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「ケーキの切れない非行少年たち」感想02  認知が歪んだり能力が不足して「反省以前の状態」の子供たち

の続き。

各論について述べていきます。今回はこの部分について。

(1)認知能力が不足していたり歪んでいる人間には認知行動療法も効きにくい。まして自分で反省したり改善していくことはほぼ不可能である

この部分は「ケーキの切れない」でもかなり強調して描かれている部分です。


悪いことをして痛い目にあっても「自分の何が間違いだったのかわからない」「何について叱られているのかわからない」それどころか叱られて屈辱だったという認識しか持たず被害者意識だけを募らせていくという人間はいます。



これについては、叱る側のコミュニケーション能力にも問題があることが多いです。大人たちは大人たちで、たとえばこの本を読んだりして勉強するべきだと思います。

①あえて「少なめ」に言うことで、子供がどこまで知っているかどうかを確かめる
②大人は急ぎすぎる。子供に「理解し、行動するまでの時間」を与えよ
③他人がいう「こうすべき」をうのみにせず、ほかならぬ自分の子供を理解しようとすることがすべての基本

子どもが聴いてくれる話し方と子どもが話してくれる聴き方 大全

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「きちんと反省する」というのは結構高度なコミュニケーション能力が必要で、認知能力に問題がない大人でも相当難しい

しかし、認知能力に不足やゆがみがあって、そもそも相手が何について怒っているのかが全然わからない人がいます。

というか、日本人は「問題ごとそのものを嫌う」→「問題が起きたら原因も何もきちんとわかってないのに当事者はとりあえず形だけ謝る」を強制する文化が強すぎる気がします。そのためきちんと反省するというプロセスが身についてない人がいます。

謝るということがどういうことか、その意味も効果もしらず、なんとなく屈辱だと思っている。とうぜん、おさえるべき要点もわかっていないから頓珍漢な謝罪をして問題をよけいややこしくして謝罪に「失敗」する。その過程で誤学習を行ってしまう。

この記事では北条かやさんを例に挙げていますが、明らかに大人になってもまともな謝罪一つできない人は、結構見かけます。

というかさ。ぶっちゃけあらゆることに「反省」して「行動を改善」できるってめちゃくちゃ高度なスキルだと思います。これが完璧にできる人って5年もすればパーフェクト超人になれるでしょ。私だって、いまだに対人関係でまともなコミュニケーション取れないし、やせたいと思ってるのに毎年夏は食いすぎるし、英語の勉強は続かなかったし全然ダメじゃん。

認知能力に全く問題なくたって、そもそもきちんと反省するってすごく難しいんだよね。


まして認知能力に問題がある人に「反省」を求めるのは無理があるのに「反省」を要求しても余計にこじれてしまう

認知が歪んでる人間ってどのくらい歪んでて、しかもそれに自覚がないかということなんですが。これについて私が最近読んだ中でもっともおぞましいと思ったのが「いじめの時間」のいじめ加害者です。

最近になって「いじめられる人間よりいじめをやる人間のほうが精神や認知に大きな問題を抱えていることが多く、警察もそうだが医療や特別支援教育と接続する必要がある」と言われるようになりましたが、この漫画のいじめ加害者はまさにそんな感じです。

認知が完全に歪んでる。反省する機能そのものが存在しないといってよい。

https://www.tyoshiki.com/entry/2018/11/03/142519

この作品のいじめ加害者はただただ「自分もつらかった」ということしか言わないのだ。「自分がやったことがどれだけ主人公を傷つけたか」「どれだけ主人公が苦しかったか」ということを一切考えない。

そもそも、今まさに自分が自分がやった行為を「お前がやったことだ」と言われて体験させられているのに、そこまでやっても「自分がやったこと」について考えない。ひたすら「自分がつらかったこと」だけを語る。「苦しかったから仕方がなかった」とか「俺のしたことは報いを受けるべきことなのか?」と語る。今まさに復讐されているのに、なぜ自分がこんな目にあっているのかちゃんと理解できてない。目の前にいる自分がいじめてきた人間のことをまともに見ていない。

自分がやったことを正確にやり返されても、全然、これっぽっちも、自分がやったことが悪かったと思っていない。自分がやったことは「正当な行為だった」と考えている。なのに自分がやられる側にいるのは不当だという

自分が同じ目にあってなお自分がやったことが悪かったと思えないのだからお手上げです。この状態で「反省」なんて無理です。


これはマンガの話ですが、実際にネットでよく見かける「謝れない人」というのはこのレベルの受け答えになっていることが多いと感じます。「反省したほうがいい」ということはわかっててそれっぽいことを言うけど完全にズレている。こういう人に「反省」させようとしても、その機能そのものが壊れているかそもそも最初からないと考えるべきでしょう。

反省できない人が反省できるようになるまでのステップについて

「ケーキ~」ではこれについて3章および7章で対策を考えています。

矯正教育は、本人たちの発達レベルに応じた見る力や聞く力といったもっと根本的な認知機能の底上げから始める必要があります。

ところが、現在の矯正教育では本人の理解力などあまり考慮しません。ひたすら矯正局から指定された難しい教材を黙々とやらせていることが多いのです。少年たちもわからないと答えると叱られるので、わかったふりをしているという状態なのです。

同じことは学校教育にもあてはまります。
悪いことをした子がいたとして、反省させる前にその子にそもそも何が悪かったのかを理解できる力があるのか、これからどうしたらいいのかを考える力があるのか、を確かめなければなりません。もしその力がないなら、反省させるよりも本人の認知力を向上させることのほうが先なのです。

として、認知力向上のために前段階として3つのステップを考えています

①認知機能をアセスメントした上で、必要なコグトレ(覚える・数える・写す・見つける・想像する)を行う=小学校5年生レベルの勉強ができるスキルを身に着ける

②感情の把握・制御のためのワークを行う

③特に加害行為の原因となる怒りの背景やパターンを知るワークを行う

こういった前段階を踏むことによって、ようやく自分の感情と思考が区別できない=「反省すらできない」「認知行動療法が効果を発揮しない」という状態から抜け出せます。そこからようやくコミュニケーションが可能になるというわけです。


現実的にはかなり絶望的

実際にはさらに「不適切な自己評価」「SSTの不足」などいろいろな問題があって支援には困難を極めます。

そもそもこういう人たち、今まで勉強全然できなかったので勉強自体がめちゃくちゃ嫌いなんですよね。そういう人たちにおとなしく勉強させることがまずきわめて困難です。それこそマンツーマンレベルの体制で取り組まない限り難しい。一人一人にそれほどの手間とコストをかけることは現実的とは言えないですよね。

結局学校のように「1対多」で「型どおり」の教育プログラムが実行されるケースがおおいというのが現状になってきます。特別支援学級は先生の負担がすごく高いです。なかなか「シーラ」のようなケースは難しいようです。

タイガーと呼ばれた子―愛に飢えたある少女の物語

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今回の記事だけでも気分がめいりますが、現実的にはそもそも「認知に問題がある」と周りに気づいてもらえるだけでも幸運なレベルだというのが次の話になります。

(2)知能指数に問題はないけれど遂行機能が低い子供たちは、様々なヘルプサインを出しても「厄介者」として切り捨てられてしまう