青二才こと三沢文也さん、なぜか禁書目録を「間違った認識に基づいて」目の敵にし続けている問題について。
すでに10回くらい「禁書目録を嫌いなのは全然いいけど事実と違うコメントするのやめて。事実だと言うならどこが該当するのか具体的に示して」ってお願いしてるんだけどいつまでたっても雑な言及をやめてくれない。
いい加減埒があかないので一度記事を書いておいて、今後同じ発言したら黙ってこの記事を投げることにする。
三沢さんは「禁書目録」と「リゼロ」を異常に嫌っている
別に好き嫌いは人それぞれなので、ただの「好き嫌い」の感想ならいいんだけど、彼の場合、間違った読解に基づいて3年間くらい同じことを言い続けている。
今回は禁書だけれど、リゼロもだいたい同じことを言っている。
三沢さんにとってはリゼロは「チート能力で俺TUEEEEなハーレムもの」に見えるらしいですね。
禁書についてはアニメ二期まで全部見た上でこのような感想だそうです。
英語版作るのをきっかけにアニメランキング改定しようと思って、過去のランキング見てるんだけど…過去の俺、禁書に配慮してるなぁ〜。
— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) 2019年10月3日
禁書のアニメなんてレールガンを抽出した絞りカスなんだからもう「レールガン」だけランクインして終わりでいいのに…。
レールガンは、上条当麻とかいう日本のラノベを20年単位でダメにしてるであろうクソキャラが出てこないだけストレスが少なく女の子のかわいさと、ニュータウン育ちの中坊が考えそうな「子どもしかいない街とかあったら面白そう」みたいなアイデアだけを読めるから比較的マシではある。
— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) 2019年10月3日
レールガンってその辺上条さんの説教とか不幸自慢が出てこないだけまとまる(能力値低くても居場所見つけてる初春とか、やっぱり色々悩む佐天さんとかの話やからものすごくまっとうにティーンネイジャーしてる)と思うから嫌いやないけど…まあ、ほんとうに萌え期待して見るにはやっぱ雑味なのよね。
— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) 2019年10月3日
結局ぼくに言わせると禁書って幕の内弁当で、レールガンも冷静に考えるとやっぱ幕の内弁当なんだよなぁ…。
— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) 2019年10月3日
好きなおかずも入ってるけど、この弁当じゃないと絶対にアカンっていうものがないから熱狂的にファンの人がわからへん。
で、色んなおかず入ってて好きなものもあるから買ってみるけど…うん
すげえ表面的なところしか見てない……。というかこの程度の認識なのに、よくアニメを二期まで全部見れたなと逆に尊敬する。
私は原作大好き人間だけどアニメは苦痛で最後まで見れなかったゾ……。
<閑話休題>
いつも思うけど、三沢さんは例えの使い方がへたというか何か勘違いしてるんじゃないだろうか。言葉でも具体的に説明できる人がたとえを使うのはとても良いと思う。
でも三沢さんみたいに「例えしかない」のはダメ。これだと、ただの連想とか類似でしかない。独り言ならともかくとしてそれで何かを他人に伝えたいと思っての発言なら話にならない。
三沢さん、いつもたとえ話するとき「うまいこと言ってやった」みたいに思ってるでしょ・・・
でもだいたいいつも実態と乖離してて「たとえた対象そのもの」の説明になってるんだよ。
今回の例えでいうと、他人からしたら「禁書やレールガン」と「幕ノ内弁当」の接続性が自然に示せてないから意味がないんですよ。他人から見たらあなたがやってるのはただの幕の内弁当の特徴の説明にすぎないの。「お前の中では禁書は幕の内弁当に見えるんだな。お前の中ではな」とか「幕ノ内弁当美味しいですよね」にしかならなくて、納得性が低いの。その比喩を読者の中でも成立させたければ、先に禁書についての説明をしておく必要があるの。それをさぼっていきなり例に飛んでる。
さっきもいった通りそれは比喩じゃなくて類似点とか連想でしかない。似てるけど違うものの話をして、禁書について説明できたつもりになってるだけなの。三沢さんに限らずこの手の勘違いしてる人すごく多いけど、読み手としては本質捉えてるかどうかが判断できないの。わかる?
だいたいこういう「必要な説明を飛ばしていきなり例えに飛ぶ」という展開になったら、聞き手としては「具体論を避けて感覚論に逃げてるな」「話題を微妙にそらしてるな」と判断するの。いつも唐突すぎて面白いし個人的には好きだから個人的にはいいぞもっとやれ、って思うけど、三沢さんの例えはそもそも三沢さんの理解や説明が不十分な手抜きになってるからちゃんと機能してない、というのは認識したほうがいいと思う。
ちゃんと「実態」を説明した上で「たとえ」を使わないと。いきなり上級者みたいに実態の説明すっ飛ばして読み手を納得させられると思ったらあかんよ。その区別がつかない読者だけ相手にしてたらいつまでたっても「自分では文章うまいつもり」の人で終わるよ。
比喩が有効に機能するためには必要条件があると思います。「話し手が伝えたいことについて、少なくとも本人はしっかりと理解できていること」です。その上で、比喩が、本人の伝えたいことを的確に表現できていた場合についてのみ価値があると感じます。
この手の「比喩に比喩を重ねたキーワード化」とそのインフレは、たぶん「右」サイドもさんざんやらかしているのだと思います
三沢さんは時々とんでもない読解エラーを起こすときがある
どうも彼は「特定の種類の話」に関しては読解エラーを起こす確率が非常に高い。
今まででいうと、「禁書目録」「俺ガイル」「GATE」がその最たるものだ。
下の記事を見ての通り読解エラーのレベルがすごい。作品を根本的に逆に理解してるくらいひどい。しかもその誤解をどや顔で語り、批判されたら批判する奴が間違っているとイキり散らす。
下の記事が書かれたのは6年前だが、この時期のイキり具合は本当にすごかった。
・まず、TM2501さんの住んでいらっしゃるところと日本では、小説への態度がかなり違うと思われます
・TM2501さんのように、生産性で評価をする、という尺度が日本の小説にはあまりそぐわないのです。
・TM2501さんは記事中で「受動的にハッピーが来るような思想がそもそも不愉快」とおっしゃっています。ですが俺ガイルはそのような思想の作品ではありません。
・TM2501さんの記事の表現では逆に描かれているように読めるので注意してください。
当時は批判されたら「批判する奴は何もわかってない」「俺が正しい」とイキり散らしていたけれど
今のところ「俺ガイル」や「魔王勇者」に関する記事は自分の誤りを認めて削除したようだ。*1だが、6年前の話に限らず、今になってもこのあたり全く懲りてない。
最近でも「娘の友達」という作品で読解エラーを堂々と披露していたし
togetter.com
禁書とリゼロに対しては今でも自分の感覚が正しいと信じているらしい。
なぜなのか。
三沢さんが読解エラーを起こす状況と理由について
どうも三沢さんは「そのキャラクターはどういう造形であるか」というところはめっちゃよく見ているのだけれど、「そのキャラクターが作品においてどういう位置づけであるか」というのがたまにわからくなるようだ。
また、彼の中には「主人公はかくあるべし」「こういうキャラははダメ」みたいな一次方程式レベルの規則があり、それに反するとその時点で拒否反応が出てしまってダメになるらしい。
このため、作品中における主人公の扱いが複雑になったりミスリードがあるともう理解できない。
あくまで見た目で判断するから「導入部分」がミスリード的な描写だった場合にひっかかる。特にラノベはあえて客寄せの釣りのため、序盤にエロや萌え、それからミスリードを設定することがよくあるのだが三沢さんはそういうのにバンバン引っかかってしまうようだ。
「俺の妹がこんなにかわいいはずがない!」という作品を「桐乃が高校生なのにエロゲをプレイしてる」という一点だけで否定する、って並のフェミニストよりも勤勉だと思う。*2
逆に言うと、禁書目録を「上条当麻は人に説教かますくせに一番努力してないクズ」という理由で否定している割に、序盤さえ好印象であれば「デスマーチから始まる異世界生活」などの作品でも楽しめるらしい*3なので、本当に序盤次第だということが分かる。結局のところ序盤の印象で「アニメに対する姿勢」を決めてしまい、それを修正できない、というところに彼の読解エラーの根本があるような気がする。
っていうか、「人に説教かますくせに一番努力してないクズ」が嫌いなはずなのに「娘の友達」のおっさんに感情移入してるのは普通に理解できない。三沢さんの基準はブレブレすぎて全く説得力がない。
それにしても「上条当麻は人に説教かますくせに一番努力してないクズ」という発想はどこから来たのか本当に謎
まず大事なこととして、説教がうざいのはわかる。あれほんと何とかしてほしい
(まぁ、「新約」では全然説教しないどころか出番そのものが少ないんですがw)
三沢さんが勘違いしてそうなところとして
①1巻の上条当麻と2巻以降の上条当麻が不連続な存在であるということを認識してるか。
②「努力」の定義が不明 (あれで「努力してない」というなら三沢さん同じことできるのか?)
③チート能力がダメならなぜ御坂美琴はOKなのか。(努力して獲得した描写があるから?それなら才能差については?)
④二期まで見たのであれば、主人公が上条当麻だけではないことは理解しているか?
などがあり、何をもって「努力してない」と言ってるのか不明。
三沢さんの主張は、ただふわふわとした彼の脳内にしかないイメージだけが根拠じゃないかと思う。
そんなふわついたものをなぜ強固に信じられるのが本当に謎。
これについて説明してくれっていうといつも「ゴメン」っていって逃げるだけ。
要するに本人ももう全然覚えてないし説明もできないんじゃん。
それでいてこの主張は絶対に撤回しないで何度でも繰り返す。
これ絶対に「記憶があやふやだけど今更意見撤回できないから意地になってるだけ」だよね。
そんなしょうもない意地で人が好きな作品について的はずれな批判するのやめてほしい。
ちなみに私は禁書目録好きだけど、禁書目録の批判ならいくらでもできるし過去記事で結構批判してる。
特にアニメ版は微妙だと思ってて、アニメ二期は途中で見るのやめたし、アニメ三期とか不満だらけです。
でも三沢さんのは明らかに「何もわかってない人間がわかったふりして語ってる」やつでしょ。
同じ雑さで自分がすきなアニメ作品とかについて語られたらどう思うべ。
「あほ丸出しだからわかんないならわざわざ言及しなきゃいいんじゃない?」って思うんだけど
なぜ「わかったつもり」になって禁書について語るのをやめられないのか本当に謎。
せっかく面白い作品についていろいろ紹介してるのに、こういうところで信頼性投げ捨ててていくの本当にもったいない。
昔禁書目録読んでたけど今更原作読むの無理って人は、せっかくだから設定まとめ動画でもどうぞ
いきなり致命的なネタバレがあるので注意(笑)
三沢さん、先ほど上の方でこういう発言をしていましたが
禁書って(それを作品にして続けた事自体はすごいと思うけど、アイデアや発想としては)中学2,3年生ぐらいの俺でも似たようなこと考えちゃうものそのまんまやからおもろいとかつまらん以前に、価値が年々低下していくしかない
無理だと思うで……。もうこういう発言してるあたりから見てもお前ほんとにアニメ二期の間に何を見てたんだ?って言いたくなる。
禁書についてしゃべればしゃべるほど頭が悪く見えるからほんとにやめような?
余談 三沢さんは「男版キャバクラ」とか「レンタル聞いてるだけの人」で商売ができると思う
※以下は本人にも直接話をして、本人も一理ある、と言ってくれた話です。
禁書の話に限らず、三沢さんがtwitterでトンデモ発言をしてる時、私はたまに「その事実認識間違っているよ」と指摘するのだが、彼は面白いことにその場では「わかりました」「間違ってました。気を付けます」と神妙にうなづきつつ、ほとぼりが冷めたらまた同じ間違った発言を繰り返すことが結構ある。んで、再度指摘したら「そういえばそうでした」と言って言われたことを思い出すのだけどまたしばらくしたら繰り返す。何度か同じことを繰り返しているとあるタイミングで突然認識の間違いが訂正されていたりする。
小学生低学年の子供の頃はこういう感じの成長をすることはよくあるが、三沢さんの場合大人になっても変わらずなので面白い。
なので、ガチャを引くような感じで懲りずに事実訂正を繰り返して何度目で直るかなーって思いながら見てるネタもある。
最初は馬耳東風(そもそも聞いてない)とか鳥頭(記憶力が著しく低い)のかなと思ってたんだけど、めげずに何度となく会話を繰り返していると、だいたいこういう感じだということが分かってきた。
①その場ではちゃんと言ってることは聞いているしリアクションもする。相手の意見を尊重するつもりも一応ある
②しかし彼の中の考えと一致しないものは会話が終わった後で「ファイル保存」に失敗するのでなかったことになる
③何度か話をしているうちに考え方が少し変化したタイミングで初めて「ファイル保存」に成功する
ということらしい。
本人は「自分はよく人の話を聞く人間だ」って思ってるらしいのけどそれは世間一般では聞いてるとは言わない。「人の話を聞く」というのは「相手を尊重する」ことにつながる。ただ聞いてりゃいいってもんじゃなくて話を聞いた後に何らかの変化や対応があったかどうかが重要になってくる。ぶっちゃけその場でいくらうなづいていてもそのあとで全く変化がないなら、まったく人の話を聞いてないのと同じである。三沢さんは「聞いてるふりはしてくれるが全く人の話を聞いてない」のである。
通常であれば、人は気に入らないことは反発したり、どうでもいいことはどうでもいいアクションを返す代わりに、まじめなリアクションをしたときはそれなりに行動に変化があったりする。ところが三沢さんの場合「その場ではまじめなリアクションをするが何も変わらない」のである。以前三沢さんは自分で自分のことをまじめ系クズだと自虐的に言っていたことがあったが(現在削除済み)、わざとではないけど三沢さんは本当に「まじめ系クズ」と同じことをやっている。 多分、初対面とかその場限りの付き合いだと印象は悪くないはずだけど、継続的に付き合ってるとだんだんとクズに見えてくる感じなのではないだろうか。
ただ、このあたりADHDの特性も関与していると思うし「三沢さんは人の話を全然聞かない」というのは悪いところばかりじゃない。むしろ「全然こっちの話が通じない=彼は結局自分がやりたいようにやる=自分が何を言っても彼には影響を与えない」という安心感があるので、思いついたことを適当に彼に投げて、その場限りのリアクションを返してもらう、という点ではとてもありがたい存在だと思う。
「その場ではちゃんと話を聞いてくれて、でもその実全然ちゃんと聞いてないから、あまり責任を考えずに発言できる」という意味で、女性だったらキャバ嬢の才能がすごく高かっただろうなと思う。でも、男性でもこういう需要あると思うのでそういう商売はありだと思ったりする。
*1:※ちなみに、ここで私は連想としてキブツジムザンを出してるけど、「俺に言わせれば三沢さんはキブツジなんだよね」という口調でキブツジの説明だけして三沢さんについて語ったことにしたら、三沢さんは納得できる?できないよね。 三沢さんのやってる幕の内弁当の話って、そういうことです。
*2:というか、ネットフェミの多くはこの手の「自分だけはまともなオタクだ」と主張したい人間の自意識が結構目立つ。特に腐女子などで「男オタクの萌えはキモいからゾーニングされるべきだがBLは神聖なものだから規制されてはいけない」というダブスタを堂々と言うやつがいて開いた口が塞がらない。どんだけ自分都合で考えてるんだ
*3:別に「デスマーチ」がめっちゃ悪いといいたいわけじゃないですが