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の話の続き。
シュナムルさんがまたあほなこと言ってるけど(リンク先はシュナムルさんによる18禁画像の無断転載なので注意)この人は無視するとして。
この増田について。
anond.hatelabo.jp
この増田は他人を思考停止呼ばわりして、かつ自分が思考停止してないというのであれば、
ちゃんと人の反論にも答えるってことですよね。
公的な場において公的なコンテンツですよ、と展開されていることが問題なのです。社会として、許容していることになりますから。小さい頃からのこういった刷り込みで「女性は性的に消費しても怒らない存在なんだ」「女性は性的に消費されるのは当たり前の事だから怒ってはいけないんだ」という意識が少しずつ形成されていくと思っています。それを危惧しています。
多分ここが増田の主張の根幹だと思います。周りのフェミニストの皆さんがこういうことを言ってるので、テンプレ感漂いますがまぁそれだけ普遍的な感覚だとも言えます。
ミクロな権力とマクロな権力及びそれに対する自由について
この部分について増田さんは
「国家などによるマクロな権力(全体に影響する)」だけではなく「ミクロな権力(国家などによらない、特定の主義主張を主張する集団)」というものがあること。
かつ、権力というのは「制約・検閲」だけでなく「特定の価値観の煽動」の方向もあり大衆はこちらに対して防御が難しい、という論が過去に語られていたこと
を意識しておくといいと思います。
性現象の歴史を、権力=制圧、権力=検閲という考えに基づいてでなく、権力=煽動、権力=知という考えに基づいて書かなければならないだろう。抑制するものとしてでなく、性現象という複雑な領域を構成するものとして、強制、快楽、言説などの体制を見極めるよう試みねばなるまい。-西欧と性の真理-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) 2018年10月3日
たとえば、このPDFなどを読まれるとよろしいでしょう。
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/15355/1/kyoyoJ36_02_01_t.pdf
オタクのコンテンツに「ミクロな権力」を感じてそれを嫌悪すること自体は別におかしくない
あなたが言うように、オタクどもがこういう絵を好み、公共の場(というには微妙なラインですが)においてこういう絵を好むことに対して、マクロではなくミクロな権力を感じるというのはわかります。
オタクは「女性を性的に消費しても問題がないのだという価値観」を煽動している、怖い!
と、あなたや、あなたに近い考えのフェミニストの皆さんが感じること自体は全く否定してません。
実際には宇崎ちゃんはそういうキャラではないのですが、「表象」=「第一印象」くらいに認識してる人や、何も知らない人があの絵を見て、そういう感覚を持つのは十分あり得ることだと思います。
その感覚が否定されたくない、ということだけなのであれば「あなたがそう感じるのは別におかしくないよ」とお答えします。
キャラや原作を否定したい訳ではないです。
キャンペーンを規制したい訳でもないです。
ただ、男女ともにこのような表現を許容することが、現在の「女性が性的に消費される苦痛」の温床になっていることを知ってほしい。性的に消費されることの苦痛を男性にわかってもらうのって難しい事だと思ってます。
だから、何回でも言います。
はい。あなたが女性を性的消費するコンテンツを見ると苦痛を感じる人であるということは理解しました。
でも、これが主張のすべてなのであれば、「こういうのに苦痛を感じちゃうんですね。大変ですね」で終わりです。
個人対個人の関係なら配慮します。
あなたがこういうものに苦痛を感じるのはわかっているからそういうものは見せない。
「そば粉アレルギーの人にそばを食べさせたり臭いをかがせる」ようなことをしないのと同じです。
それでいいのであれば話はそこで終わりです。
ただ、これで終わりでいいんですか?
もし増田さんがそれ以上の何かを求めるのであれば、それ以上の何かを示す必要があります。
そして、これネットのフェミニストの人たちが全くできてないなと私は思ってます。
「私がそれを嫌なんだ」という主張だけなら誰も否定しません。あまりに根拠がおかしくなければ。
でも、みんな「私」を主語にせずに語ってて、その割には語る内容は「私がそれを嫌なんだ」の枠を超えられてない。
増田さんをはじめ、みなさん一見もっと大きな社会的な云々について語っているつもりですよね。
これがほんとによくわからない。
「あなた個人としてではなく社会として性的消費自体はどこまでがOKでどこまでがNGか」「性的消費自体はいろんなところで行われてるけど、他のものも同様にNGなのか?」にこたえられない話はすべて個人的な好き嫌いにすぎない
繰り返しになりますが、増田さんの言ってることだけだと「あなたはそういう権力が苦手なんだね」で終わりですね。
そういう共感コミュニケ―ションをお求めならいくらでも応じますが、それだけです。
なぜかというと、これは「マクロな権力」の話ではないから。
先ほども言いましたけど、今回の宇崎ちゃんのポスターなんかは「ミクロな権力」なんですよね。
これを日本社会全体のマクロ構造における男優位の話と直結させるのはちょっとなー馬鹿なのかなーって思う。
初期の頃ならともかく、今更になってそんな主張をしてる時点で確実にオタク側の言い分全く聞いてないよね。なんでそれで自分の話に耳を傾けてもらえると思ってるの?馬鹿なのかな。
今回の件は、オタクがマスになりつつあるからわかりにくくなってるけど、位置づけとしては
フェミニストの人が「オタクコンテンツキモイ滅ぼすべし」「公共から不健全なものはゾーニングしよう」っていう主張をやってるのとか
腐女子の人が「男オタクはキモイけどBLは崇高なものだからゾーニング不要」って言ってるのと等価です。
確かに「男の方が社会的に強いから女の方がプレッシャーを感じやすい」という点はあるけれど、これは魔法の言葉でも何でもないので、これ使えば男の行いは何でもマクロに直結するわけじゃない。
他にも
・TVでグラビアアイドルなどの女の子が水着で出てくること、
・女性向け雑誌でたくましい胸をあらわにした男性が賞賛されていること
・ドラマやバラエティで美男や美女が美しいというだけで有利な立場にある描写が描かれること
いろんなものがありますよね。すべて性的消費されてますね。
どれも、今回の献血車よりよほど「公共の場」で登場しますよね。「女性が公的な場で性的消費されていること」自体が苦痛なのであればこれらもすべて苦痛なはずですよね。
でも、増田さんはこうした「権力」については苦痛を訴えられたことがありますか?
ごく一部の「献血車」という限られた場所でのみ使われていることすら「公共」だと感じられているのですから、ましてツイッターやTVなんてますます公共ですよね?
そうでないなら、「オタク絵」だけに特別な嫌悪感があるのではないですか?
そういうのを取り繕ったりごまかしたりしてませんか?そのことについて「思考停止」してませんか?
あなた個人の好き嫌いではなく、社会の問題として論じたいのであれば
「あなた個人としてではなく社会として性的消費自体はどこまでがOKでどこまでがNGか」
「性的消費自体はいろんなところで行われてるけど、他のものも同様にNGなのか?」
という問いにちゃんと答えてほしい。
はてなでは、いままで声の大きい人たちがみんなごちゃごちゃと理屈を述べていたけれど結局はこの部分をごまかして自分で線引きをしようとしなかった。自分たちはオタクへの不満を言って「あとはオタク何とかしとけよ」と丸投げする不誠実極まりない人たちばかりだった。
「ネットで騒いでるフェミっぽい人たちは不誠実なものが多くてまともに聞いても時間の無駄なんだよね」って空気が漂っているのは、フェミニストの人たちの自業自得だと思ってます。
当然オタク側の抵抗も冷笑とか茶化しが多くてとても見てられないもんが多かったので、当然みんな「あほらし」ってなってどっちからも遠ざかっていきますよね。
今この手の話ってホントに不毛でしかないよなー、ってゆらぎ荘のあたりからずっと思ってます。
というか、フェミニズムはこういう風に「オタクを嫌悪しなさい」っていう教科書とか授業みたいなのがあるの?
Has a busty character, screams male gaze
— 🔞ⒶBesuBaruⒶ🔞 (@BesuBaru) 2019年10月14日
Has a character that has a flat chest, screams pedophilia
Has no female character due to not being able to appease these crybabies, screams "lack of diversity"
Covers up female character with hijab, screams "sexism"
言っちゃ悪いんですけど、増田さんの言ってることって教科書に載ってるシケプリを見せられてるみたいな感じなんですよ。
教授とか試験で「こういう風にかけば正解」って言われたものをそのまんま引き写ししてるみたいな。
以前こういうお話を紹介しましたが。
男性嫌悪とかオタク嫌悪を煽るような仕組みがあるような気がするんです。
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今回のもそれと似た雰囲気感じるかな。
先ほどのフーコーは、「〇〇に対する抵抗」もまた権力の一形態になるって言ってるんですよね。
男性支配とかオタクに「抵抗」せよと教えるフェミニズムもまた一つの権力となっていろんなものを「自主規制」とか「表現取り下げ」に追いやってきましたよね。
そのあたりの自分たちの暴力性の自覚とか、「フェミニズムという権力」への危機感とかちゃんと持ってるのかな。
オタクであろうがフェミニズムであろうが、どっちも「自分は無力な弱者です」面をして権力を行使しようとしてるやつらが鼻持ちならないのは当たり前でしょ
もちろん、我々オタクもいい加減「自分たちはマクロな権力による規制に抵抗してるだけの無力な存在だ」って言い張るのはやめた方がいいと思います。
私たちは私たちで、ミクロではあるが権力を行使してる。自分たちの価値観をいろんな場所で煽動してる。
だからそれに嫌悪感を持ったり抵抗を感じる人がいることは当然認めるべき。
ただでさえマス化してるので、その自覚がないと吉本の二の舞になるよと前の記事では書きました。
ただし、だからと言ってマクロな権力による規制や制限を受けるいわれはないし、それを批判するフェミニズムの人たちもまた無力な存在じゃなく同様に権力を行使してるんだって自覚が欲しい。
わたしとしては、オタクだからとかフェミニズムだからとかじゃなくて、弱者のフリして人を殴りまくってるやつはどっちにしてもその行為それ自体が嫌いです。