統一教会じゃないけれど、「 の 」を信じる家庭に生まれた子供のお話。
この世に存在しない「楽園」を信じ、その「楽園」に至るためにひたすら信者に「現世との汚れ」を避けるように強いられ続ける。
この作品では、作者の幼少期からずっと母親にコントロールされ続け、高校時代に母親と訣別するするところまでが描かれている。
そして描写の中心は母親の狂信ぶりである。
しかし、私が恐ろしいなと思ったのは、それ以上に父親の描かれ方である。
作者の父親は、作中では3話に登場した後、その後一度も登場すらしない。
途中で離婚したのかどうかすら判明しない。
作者にとって、ずっと自分に教義を押し付けてくる母親が恐ろしかったということかもしれないが、それにしても父親が全く絡んでこないということがあるのだろうか?
後半の記述を読むと、この父親もこの宗教の信者だったはずなのだけれど、教義を信じて厳格に行動しているのは母親だけで、父親は一切関心を示さない。
そのうえで、父親は母親が娘を巻き込んで宗教にのめりこんでいるのを止めない。
その結果として娘がひたすら母親のおもちゃとして虐待されたり奉仕活動に連れまわされたりしているのに、放置しているのだ。
まるで「御手洗家、炎上する」に登場するクソ親父みたいだ。
実際はどうだったのかは描かれていないので何もわからないが、描かれてないことがこんなに不気味に感じるとは思わなかった。
最初は「互助会」みたいな雰囲気があって必ずしもすべて悪というわけではないんだけれど……
でも、何かいいことがあると全部「宗教」のおかげになるあたらいから違和感が出てくる……
ネットの互助会程度ならいいんだけれど、本作の宗教の場合、信者には「人権」という概念が存在しない
教義に逆らった瞬間に人権がすぐに停止される。そして制裁を受ける。
ルールを破った子供をムチでしつけるのだが、ニコニコしながら体罰の方法について話し合ってる。
しかも完全に善意ならまだわかるのだが「旦那にバレるとヤバイ」とわかっているのにそれでもやるのである。
このマンガではカルト教団にハマっていたのが母親だった関係上、その友達も女性ばかりで「女性こええ」ってなるけど、男女比どのくらいなんだろう。
というかこの宗教、「基本的に禁止事項ばっかり」なんだけど、いいことはないの?
結果として、娘であった筆者は、家ではしょっちゅう母親に体罰を受け、いろんな自由を制限され、学校でも仲間外れ。
・合唱コンクールに参加してはいけない
・運動会には参加してはいけない
・「バビロン的な行事」には参加してはいけない
・クラスの投票は白紙で出さなければいけない
・同じ信者の子供と仲良くしてはいけない。
・肉を食べてはいけない
・おじいちゃんが死んでも信者じゃないので葬式に行くのもNG
そのくせ、したくないことはしなければいけない。
しだいに、人とかかわることをやめました。
友達を作るのもやめました
できるだけ目立たないようにしました
禁欲主義の憂さ晴らしに子供をいじめてるようにしか見えない
現世でのありとあらゆる欲を捨てて、神の世界で永遠に生きることを願うだけの宗教なのはわかる。恋愛を禁止するのも友達付き合いを禁止するのもわかる。
同じエホバの証人の中で結婚を推奨するのはカルト宗教あるあるだからわかる。
なるほど、合同結婚式って「信者以外との交わりを禁止する」宗教の当然の帰結になるわけか。
と思ったら、この宗教、めっちゃ性教育は丁寧にやってた
母親がこの部分だけ教義に違反して性嫌悪だったらしい。
さんざん子供に「教義だから」でいろんなものを強制しておいて、自分は好き嫌いで教義に従わないのか……
結局作者は母親に振り回されて性の知識を得ることもなく
それでいて友達や異性との交際を全て禁止されていたので
好きな男の子と両思いになったのに恋愛をあきらめたらしい。
そして、唯一の味方であった祖父もなくなってしまい、ますます逃げ場がなくなってしまう。
ここで諦めていたら、作者さんはそのままこの宗教に取り込まれて終わってたんだろうな……
作者は「ずっと我慢し続けても救いは得られなくて、他の信者もただ我慢してるだけ」というのを知る
現世においては救われる時は来ないということを知って、ついに我慢できなくなって母親に反抗する。
父親はやっぱり一切出てこない。
そしたら、ものすごく意外なことに割とすんなり受け入れられる。
このあたり正直意味不明で混乱してしまった。
母親は、娘が自分と同じように「楽園」に生きたいと思ってると信じてたんやね。
これに対して作者が明確にNoを言ったら、この母親はちゃんと聞く耳を持って、受けれいてくれた。
しかも、娘が望んでいないと言ったあとでも家を追い出したりせず、きちんと高校卒業まで育児を継続している。
……そんなことってある?
しかし脱宗教できても、長い間教義に従い続けてきて、今までの教義に反する罪悪感から精神に不調をきたすようになる
その後は、今まで禁止されていたタブーを意図的にどんどん挑戦して「今までの自分を否定しよう」とあがき続ける。
大事に守っていた処女もわざと捨て、たばこも遊びもやる。
それでも、自分が「普通」だと感じることができなかった。彼女はここからどうやって立ち直ったのか?
この単行本に収録されている話では12話までで、続きも連載していたのだが、雑誌が廃刊になって打ち切り。
今号もトリ。いしいさや「よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話」。この作品読むたびに、人生はそれぞれで、自分の知ってることなんて、世界のほんのごく一部なんだなあ、としみじみ思います。ぜひご一読ください! pic.twitter.com/WgmyJZ4MBa
— 月刊ヤングマガジン 第10号 9/21(火)発売 (@gekkan_ym) February 6, 2018
このツイートの前後に作者さんのツイートも更新が停止しており、その他の作品を描かれたという話も聞いていない。
テーマがテーマだけに作者さんが元気でツイートしてるところが見たい気もちになるが……
連載最後のコマでこのように描かれているが、果たして今でもご健在なのだろうか・・・。
一応一年後にインタビューで発言されているのだが、これが最後である。
「幼少期のエピソードで描いていないことがまだまだたくさんあるんです。まずはそれらを描き切りたい。そして、そんな体験をした少女がどんな大人になったのか、いつかはそれも描きたいと思っています」
本作を通していしいさんが描きたかったのは、宗教を断罪することではない。彼女が訴えかけたいのは、「子どもに選択をさせる」「自由を尊重する」ということだ。それはなにも宗教に限った話ではないだろう。たとえば、子どもの将来もそう。家柄や体面を気にして、それを勝手に決めてしまう親は少なくない。けれど、それで果たして本当に幸せになれるのか。幸せというものは、子どもが自ら取捨選択していくことではないだろうか。