頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「自分は差別とは一切関係がない」と勘違いできる人すごいよね。自分の中にどれだけの「〇〇への差別は例外」という例外ルールを作ったら自分をそこまで騙しきれるの?


「頭隠して尻隠さず」ってこういうことを言うのでしょうか……。やましいところを否定しようとして、そっちばかり気にした結果、別のところを増幅させてしまっている。


私の感想としては「顧客の座席の希望に応じない」ことは別に差別じゃない(そもそも応じる必要がない)が、「自分は差別なんかしてません!」「こいつにたいしてこういう対応をするのは当然でしょ?」と言いたかったのか、そのせいで一生懸命オタクをキモく描いてますね。この部分はドストレートに差別意識(悪魔化したいという欲求)が駄々洩れで怖い、という感じ。


というより、まさに「差別」というのはこういう「ネガティブ感情の自己正当化」によって生み出されるんだよっていう最も素朴な形がここにあるなと思った。



「廃棄前提おじさん」と同じ類の炎上構造です。単なる個人的なむかつき感情を、可燃性の高いテーマにむりやり絡めて正当化しようとした結果、無駄に炎上させてる。「自分を意識高い系だと思っているけれど実際は意識めちゃくちゃ低い系」の人によくあるやつです。

①よりかね氏の最初のツイートは単純に言うと、旅館の料理が多すぎて食べきれなかったという「だけ」の話。(個人的な体験)
②その後の関連情報などを見ていると、よりかね氏はあまりこうした典型的な日本の旅館の夕食に慣れていなかったようですから、これだけの量が出てくると事前に予想ができていなかったということでしょう。(不慣れな問題に対して不快感や問題意識を持つのはよくあること)
③その体験を、「Go To」というそもそも可燃性の高いテーマに、「大失敗」という言葉を加え、食料廃棄問題とからめた上から目線の投稿にすることで、多くの人の賛否の意見を集めることになったという「だけ」の投稿でした。(意識の高いところを見せようとして、問題を複雑化しようとしたり無駄に上のレイヤーの問題と絡めようとする)

https://news.yahoo.co.jp/byline/tokurikimotohiko/20200816-00193506

これが初めてということであれば「うっかりさん」で済むんですが、以前も同じようなことをやらかしてたようなので、これはちょっとダメだと思う。

アナマリア on Twitter: "明日からプリキュアの映画が始まりますね。 この時期になると毎年思い出してはモヤつくお話をマンガにしてみました。1/2 #映画館ではよくある事 https://t.co/pXwjV7g128"

この人は1800円のチケットが売れても配給がほとんど持っていって映画館の取り分は200円未満と大嘘ついたことのある人なので、それを念頭に置いて読んだ方がいいです(映画館の取り分は基本的に料金の半分)

2021/10/25 17:19


こういう指摘を見ても、「自分の感覚が正しいと思って暴走するタイプの人」「思いついたら大げさに盛って語るタイプの人」だというのは間違いないと思います(その時のツイートはこちら)。

というわけで、「〇二才」フォルダに放り込んでおきます。以上。

以下は蛇足です。









差別心のない人間なんかいません。まず、差別心と差別を区別してほしい。

差別心なんか誰にでもあります。 差別心は、慣れ親しんだものや身内など、安心感を与えるもの以外に対して抱く不安や恐怖が根っこにあるからです。

よく知らないものに対して警戒心を抱いたり、過去に同じ属性の人から嫌な思いをさせられて恐怖や嫌悪感を抱くのは人間の常です。

ぶっちゃけ「弱者や被害者ほど差別心が強い」と言っても良いと思います。つまり、女性の方が身体的・社会的に弱者だというのであれば、女性の方が差別心の根っことなる感情は強いと言えます。

そういう内面までいちいちさばいていたら人間はすでに滅んでいます。



問題となる差別は、例えばこのようなものです。

差別(さべつ)とは、特定の集団や属性に属する個人に対して、その属性を理由にして特別な扱いをする行為である。 それが優遇か冷遇かは立場によって異なるが、通常は冷遇、つまり正当な理由なく不利益を生じさせる行為に注目する。

社会的な問題として考えたり、個々人が自戒しなければならないのは、「属性を理由に、正当な理由なく不利益を生じさせる」ことです。

差別心を持っていてもそれを自覚してそれを行動することを慎んでいたり

うっかり無意識で差別的な発言や行為を単発的に行ってしまったとしても、程度が明確に不利益を与えるようなものでないのであれば、第三者がそれを取り上げて差別だなんだのと騒ぐべきじゃない。


たとえば、容姿で人を好き嫌いしたり、下方婚を嫌ったりするのだって明確に差別ですが、

そういうのを「差別ではない」というのは無理なので、「差別かもしれないけれど人間である以上避けられないものだ」「男女お互い様」として不問に付してる事例もあるわけです。

差別からすべて自由なんてことは不可能ですし、そういう社会が逆にどのくらい気持ち悪いかは「君を死なせないための物語」で描かれてますよね。

www.tyoshiki.com





自分の中にあるちょっとした差別心に気が付いたらショックを受けるってことは、「普段自分は差別心すら全くない」と勘違いしてたわけでしょ?どんな生き方して来たらそこまで自分をだませるの?

んで、上のマンガの人、自分の考えや行為が差別かどうかをめっちゃ気にしてますね。

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もうこの時点で考え方が完全に間違ってるわけですよ。

「自分の中から差別心を一切排除できる」と思ってる。 というか「今までの自分は差別とは無縁の存在だった」と思ってる。


ないわ……どんな生き方して来たらこんな考え方ができるわけ?

「差別心なんかあって当たり前」なんですよ。それを今までずっと否認して生きてきたってことでしょ?


日本人の男性は、「男という存在であるだけで」「日本人という存在であるだけで」何もしてなくても差別の主体ということで責められてきて来たというのに。

働き始めてなお、自分は差別とは無縁の存在だとずっと思ってきたわけか。

そんな清廉潔白な人間が、目の前の人間をこういう風に描写することになんも思わないのか。

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どういうギャグだよ……。




「一部のスキもなく正しい人間でなければいけない」という意識のありようは、それはそれで差別の温床なわけですよ

こういう風に言うと「いや、差別心があることはわかってるよ。だからこそ厳しく戒めてるんだ」みたい言い訳をする人いますけど。


この考え方も間違ってますからね。そういう「人間の理性を過剰評価」するのは勝手だけど、それは無理だから。
こういう人たち、悪い人じゃないのかもしれないけど「正しい人間」しかみとめないところがあって(というか自分たちを正しい人間だと思い込んでいて)、
「(’自分たちの基準で)何か少しでも間違ってる」者がいたら、すぐ攻撃的になるんですよ。



たいていの場合、この手の人たちは「自分が正しい人間だ」と思いたいだけなんだよね。
そのために「自分と近い属性の人間」同志て固まって、身内ではすごい肯定しあうんだけれど、自分たちと違う人間をすぐに攻撃しだすんですよ。
身の丈に合わない高い理想を掲げてはみたもののそれがしんどくなってきた時に、それでも自分の間違いを認められない人は、
自分たちの正しさを証明するためにすぐ他人を攻撃し始めたり、他人を貶めようとする。


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まあ人間だからしょうがないと思うけど、その行動習性は「選民主義」って言ってめちゃくちゃ広範囲に対する差別なんですよ……。
「差別と闘う」じゃなくて「差別と闘ってる(ということになっている)私たちと意見が合わないやつと戦う」にすぐ堕落しちゃう。


<閑話休題>

この手の「正しい私たちの同類」しか認めない人にとって、コミュ障って存在自体が間違ってるから殴ってもいい対象になりがちなんすよね……

私は発達障害で、うまく人となじむことができなかったのでよく普通の人から冷たい反応をされることが多かったのですが。

そういう立場から、この手の人たちに一時期期待してた時期ありましたよ。けど、まぁ見事に裏切られたよね。

<閑話休題終わり>



アナマリアさん、マンガ見てるだけでも「こういう属性やこういう特徴の人間はどれだけ雑に殴ってもいい」って例外がたくさんありますよね?

今から思うと、こういう人たちは「差別してはいけないというルール」にいろんな例外を持ってるんだろうな。と。

これも別に驚くべきことではない。 あの偉大なトマス・ジェファソンですら「例外」を抱え、矛盾した言動をしていたのだから。

とはいえ、トマス・ジェファソンは力及ばずとも自分が「例外」を作っており、それらはいずれ解決されるべきだと考え、主張していた。



一方で、アナマリアさんはそういう「例外」(穴)をたくさん作って、
「私のこれは差別じゃない」って言い訳を積み重ねてきたことによってようやく
「めったなことでは差別しない私」「ちょっとでも差別こころがあると思ったらショックを受けて己を戒める私」っていうセルフイメージを作ってんじゃないかなと。


そこまで無理して「差別しない私」を作ってきたからこそ、無理筋な差別の指摘に対しても激しく動揺してしまう。


マンガの中で「言い訳してる差別かもしれないやつ」より、「例外」扱いした人間に対する姿勢の方がよっぽど差別的だと思うわけですがそっちには全く無頓着なあたり
「例外処理」した存在に対する差別は本当に全くこれっぽっちも悪いと思ってないんですねってのがわかる。

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私発達障害者で、しかも男性だからこの手の人の感覚は本当に「しんどい」としか思わないんですよ

・日々ネットでは日本人男性というだけで、差別だと叩いてる女性の方々がたくさんいらっしゃいますが、ああいうのみると「しんどい」って思いますね。


・発達障害者で、できないことが凄く多いため、「もともと人間そんなに立派なもんじゃない」って考えなんですよね。
 なので、こういう「ちょっとでも間違ったことがあると許せない!」「自分の頭で考えて私と同じ考えになりなさい」
 ってなってる人を見るともうそれだけで「しんどい」ってなる。
 この手の自己肯定感が間違った形で高い(「~~を守ってる限りにおいて私は正しい」って感じで教義に依存してるタイプの人)は視界に入っただけでうんざりする。
 そういう「他者を踏みつけにする形で自己肯定感保ってるくせに、差別はよくないとか笑わせんなボケ」って言いたい。


差別反対というのはノーコストノー覚悟ノー精進の楽しい石投げ遊びや火付け遊びではない

近くの、自分が直に迷惑や被害を受けることに、それでも歯を食いしばってその相手を憎まず疎外しないこと、それが差別反対ということです。

”素直な感情”が差別の原料であり差別そのものなんだから、これに気付いて、自分の素直な感情なんてものは動物的な機能の身勝手な反応だと気付いて、厳しく戒めていく。

それが「差別反対」ということでしょう。

どこまでも理性の話だし、結構客観的で立派な人格と知性と精進が無ければやれることじゃないんですよ。

あなたたちがいつもやってるノーコストノー覚悟ノー精進の楽しい石投げ遊びや火付け遊びは差別反対ではありません。

そんなのはただのヘイト野郎の手遊びなんだから、寝てた方が心が汚れないだけまだマシだったでしょうに。

https://anond.hatelabo.jp/20201210074954

Twitterとかはてなブックマークには

教科書みたいに「これが差別ポイントです」みたいなのを覚えて、そこに他人の言動を当てはめて点数を稼ぐゲームだと勘違いしてるんじゃないかと思う人いますが

そういうゲームじゃねえからこれ!

そういうお遊び感覚でやってるから、こういう漫画みたいに雑に扱って馬脚を出しちゃうんだよ、と言いたい。



結論

「自分だけは例外」みたいな勝手なルールを設けず、みんなうっかり差別心を持ってしまうものなのだ、というところをスタート地点にしよう。

「差別心を持ってしまうこと」それ自体は自分にも他人にも当たり前にあることだと理解して一つ一つの問題について丁寧に考えていこう。

絶対にやってはいけないのは、自分にも差別心があることについて変な正当化を試みて、自分は差別なんか全くしてませんと自分を偽ること。

こういう自己欺瞞を繰り返していたら、一部の手遅れなはてなブックマークマーク連中みたいに取り返しのつかないことになるよ。

最近紹介した「片喰と黄金」という作品は、19世紀のアメリカを舞台としてこの差別と真摯に向き合う主人公が描かれててめちゃくちゃ面白いのでお勧めです。


おまけ トマス・ジェファソンと黒人について

私は「マンガ世界史」でジェファソンは立派な人権宣言(権利憲章)を打ち立てたが黒人はしれっと例外扱いとした、って描写を読み「まじかよジェファソン最低だな」って思っていました。

しかし高校のときの世界史でD先生から「ジェファーソンは黒人差別にもずっと反対し続けてたんだよ。黒人奴隷のサリー・ヘミングスとの間に子供もできているよ」って話を聞いてめっちゃびっくりしました。

www.y-history.net

ja.wikipedia.org

ジェファーソンは明言を伴う奴隷制廃止論者だったが、彼はその生涯で多くの黒人奴隷を所有していた。この事実は不可解に見えるが、伝記作者達はジェファーソンが大きな負債を抱えており、奴隷を手形や担保にしたことで重荷になっていたと指摘している。彼は自分が負債から解放されるまで奴隷を解放できず、その負債はなくならなかった。その結果、ジェファーソンは良心の呵責や試練を味わっていたように見える。その葛藤はモンティチェロなどで彼やその家族と最も密接に働いていた奴隷達の待遇にも現れた。ジェファーソンは奴隷達を鍛えさせ、高い質の技術を教えさせた。奴隷制について「我々は苦境に陥っている。奴隷を持ち続けることも安全に去らせることもできない。正義は一つの尺度にあり、自衛本能は別の尺度にある」と記した

ジャファーソンはその公職に就いていた長い期間に、何度も奴隷制を廃止するか、奴隷制の進展を制限しようとした。ジェイムズ・リーメンのような自由州の推奨者を後援し、奨励した。伝記作者に拠れば、ジェファーソンは「奴隷を全て解放するのが国家と社会の責任であると考えた。」1769年、ジェファーソンはバージニア植民地議会の議員として、議会にバージニアの奴隷を解放するよう提案したが成功しなかった。アメリカ独立宣言の初稿では、イギリス王室が植民地に奴隷を輸入することを援助していることを非難し、王室が「人間性そのものに対して残酷な戦争をしている、彼に対して攻撃したことも無かった遠方の人々の生命と自由の神聖な権利の大半を侵害し、彼らを捕まえ異なる半球に連れて行って奴隷にした」と告発した。しかし、この文章はサウスカロライナとジョージアからの代議員の要請で独立宣言から除外された。

これ意外と知らない人多いんじゃないかな。 少なくとも中学の時の私みたいに誤解してる人多いと思うので紹介しておきます。