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ウマ娘

「誤解を招いたことを謝罪する」式の謝罪はめちゃくちゃ嫌われる。絶対に「聞き手の責任」にしてはいけない

「俺はナチじゃないし……」
「問題はそこじゃない!問題なのは、大変なことが起きているのに状況を理解せず平然としていることよ」

立憲民主党の江田さんの発言について、民主党の対応がテンプレの「誤解を招いて申し訳ない」だったことが失望を招いている

逆にいえば、民主党はまだ期待されているってことでもありますが。自民党だったら「はいはいいつもの自民党」って流されちゃうので非常にまずいですよね。




んで、この批判の中で、こんなツイートが目につきました。

このドラマだそうです。

www.netflix.com

名門ペンブローク大学に新しく就任したジユン。英語学科長としてやったきた彼女だが、学科初の女性教授として、そして大学で少数派の非白人職員の一員として、様々な壁に直面することになる。

リベラルアーツを教える大学教授たちですら、自分たちの誤りを指摘されたときは「誤解を招いて申し訳ない」と言ってしまう姿が描かれている。




このドラマでは批判されている行為は本当に誤解なのだが、問題行動をとがめられたドブソン教授は「どうせ誤解だから」となめてかかったせいで深刻な状況に追い込まれることになる。

telling.asahi.com

妻と死別し、娘が離れて行き、落ち込んで酒を呑んで授業に遅刻したビル・ドブソン教授は、あわててパソコンをセッティングしたために、間違って妊娠した妻の裸の動画を流してしまう。
ジョークを交えながら授業をやるタイプの教授だ。
また何かやらかすかもしれないと学生の何人かがスマホで撮影しはじめる。


気にもとめないビル教授は、「人生は無意味であるという思想は、8500万人の死者をだした世界大戦の後に生まれた」とファシズムの説明をするときに、ナチス式の敬礼の動作をする。
この場面が切り取られ、SNSで拡散されてしまう。意図してない誤解で、ビルはネオナチの思想の持ち主だと糾弾される。学生の正義観が暴走する。


これについて、ドブソン教授は、「おれはネオナチではない」「誤解なんだから話せばわかる」と事態を甘く見ていた。
そして、ろくな準備もないまま学生と公開討論会を開く。



しかし、事態はドブソンが思っているよりはるかに深刻だった。
学生たちは、彼の普段の不真面目な姿勢ともあって、本気で彼を疑っており、本気で吊し上げに来ていた。

話せばすぐに誤解だとわかるはずだと思っていたドブソンは早々に謝罪を迫られる。

「いつもそう。どう見ても不適切な言動でも、指摘すると"誤解だ"と言われる」
「私はみんなの反応を責めているわけではなく……」




「謝罪は?」
「ああ、するよ」
「聞かせてください」



「……誤解を招く表現をしたことを」
「(呆れながら)謝罪じゃない」
「誤解をさせたなら……」
「とらえ方の問題にして、俺たちに責任転嫁してる!」

少なくとも学生たちは初手で「何について謝罪するのか」について語るまではちゃんと聞こうとしていた。
しかし、ここで「誤解を招いた」という表現を使った時点でもう学生たちは聞く耳をなくしてしまう。



ここから先は、糾弾する側の学生側が暴走してしまう。「ナチス教授を追放せよ」という論調が強まり学校全体を巻き込んだリンチが始まる

ここまで来て、ようやくやばいと気づいたドブソン教授だったが時すでに遅し……という展開です。



まさに今の立憲民主党もこれに近い雰囲気がありますね。




とはいえ、実際に「誤解」だった場合はどうすればよいのか。

悪意のある曲解をするクソはてなブックマークユーザーのような例外を除き、基本的には誤解された場合は話し手に責任が全くないということはない。

何かしら誤解を招く表現をしたのは話し手の方である。

つまりここまで話がこじれたなら「不適切な表現を使ったこと」が先で、「聞き手が誤解したこと」が後という前提で話をするべきだ。


「誤解を招くような表現をしてしまった」という結果について謝罪するのであれば、まず「話し手」の責任をしっかり認め、それに対する対応を示す必要がある。この点さえ間違えなければ、それほど痛手を負うことはない。



ところが、今まで日本の政治家はこういった説明を一切せずに許されてきた。なぜなら追及する側のマスコミも同じようなものだから。その結果、ほとんどの人が、ちゃんとしたお詫びの仕方を知らない。むしろテレビでは間違った謝罪の仕方だけ教えらえて育っている。



だから「こういう風に言うべきだ」が共有できておらず、ただ「こっちの誤解のせいにされてイライラする」という事態がずっと続いている。



実際は「こういう風にいうべき」という型はちゃんと決まっている

私がこのブログで何度も引用していますが、今回の件でも基本が有効です。


www.tyoshiki.com

①お詫びとは「反省」「謝罪」「償い」の3要素から成り立つ人間関係における問題解決の手法です。
この3要素すべてが揃ってトラブルが起きた相手と意思疎通が再開できるようになります。難しいけど身に付ける価値があるスキルだと私は思います


今回のケースで言えばこんな感じ。


①まず「×××という表現について、どのように理解された」かをちゃんと理解していることを示す。これによって相手はまず自分たちの言い分を相手が理解していることを確認できる。
②次に「本来の意図としてはこういう趣旨だった」ということで、誤解でなかった場合の意図を伝える。この釈明が有効になれば、自分から言わなくても「誤解だった」可能性を認めてくれる。
③ここまで共有出来て初めて「誤解を与えてしまって申し訳ない」という言葉が相手にとって意味のある言葉になる。
④最後に「本来は〇〇〇と表現すべきだった」とか「このような表現は慎むべきだった」と対応策を伝えられるとより納得度が増す。


anond.hatelabo.jp
だいたいできてるんじゃないでしょうか。初動をミスったのと、TBSラジオ以外にも公式でこれを言えてればよかったのに……




こういうところを意識しながらこのドラマの3話~4話を見ると、より楽しめると思います










以下はおまけ。


このドラマでは「男性教授陣からパワハラを受けた」と主張する女性教授が、若い女性の服装に対して「保守的な価値観」の押し付けをやってる姿が描かれていたりもする

登場人物の一人にジョーンという勤続32年の女性教授がいる。フェミニスト文学が専門だ。チョーサーに関する著作アリという設定。

この女性がやってることが無茶苦茶で面白い。

例えば、とある件で「男性教授陣からパワハラを受けた」と怒り、「パワハラ相談室」みたいなところに訪れる。そこで応対を下のは自分よりはるかに若い女性だった。

ジョーンは、自らは「男性から女性に対するパワハラ」に対して憤り、相談に来ていたはずなのに、「目下の女性には平気でマウントを取る」のである。

男性がこの女性教授に保守的な価値観を押し付けているのは問題だ。その点では被害者だ。

しかし「自分が受けた保守的な価値観の押し付け」には怒りを示しているくせに女性である自分の古い価値観を若い女性に押し付けているという点では加害者になっている。

ところが、自分の被害や不快感にはめちゃくちゃ敏感なのに、自分の加害行為には全く自覚がないのである。

ちなみに彼女は生徒たちから人気が低く、学科長である主人公から「少しは生徒からのアンケートに目を通せ」と言われる。

しかし、学生たちの意見が自分の気に食わないと、アンケート用紙に火をつけて燃やそうとし、ボヤ騒ぎを起こしたりする。

本作品のコメディ担当みたいなキャラクターだ。実際にこんなおばちゃんいたら絶対にいやだが、画面越しに見ている分にはとても滑稽である。



しかし、こんなワガママな彼女が終盤では……という感じで「人間ってそういうもんだよね」ってのがすごく上手に描かれていてとても面白かった。



オープンなネット空間には「反差別」とかいってるだけで自分が正義のようになったと勘違いし、自分の行為や言動を一切省みないおバカさんがたくさんいらっしゃります。(特にはてなブックマークには)このおバカさんたちのせいですぐ議論が0か100の極論に走りがちです。本当にアホらしい。



一方で、このドラマは「そういうところもひっくるめて人間ってこんなもんだよ」ってのを描いてて実に楽しい。


他にも、大学教授の白人率が高すぎると学生が敬遠されるから「ビジネス上の都合でアファーマディブアクションが必須となる」という描写があったりする。
黒人教授の終身在職権の話もある。授業は人気はあったが問題もあった。しかし、問題があると言って古株の教授が彼女の終身在職権の推薦を保留すると、差別として袋叩きにあってしまう。
さらに民族の違う人間同士のやり取りは細かいところで緊張感を孕んでいる。


本作品で描かれるポリティカル・コレクトネスに関する問題は、日本でネット民が口にするなんちゃってポリコレよりもずっと多様で、現実的だ。


『ザ・チェア』は、時に迂闊で、時に間違う我々を描く。愚かな我々が、あがき、苦悶し、這い上がろうとする姿を描く。
世界には課題が山積みだ。
キャンセルカルチャー、世代間ギャップの問題、人種差別、性差別、商業化する大学の問題(稼げる大学!!!)、正義観の暴走。
『ザ・チェア』は、現代的な課題を、戯画化はすれども単純化せず、なまなましく丸ごと手渡そうとする。

最終6話の展開は見ていてめっちゃしんどいが、すべて見終わった後の感触は意外とさわやかである。 
25分✕6回でさっと見終わることができる上に内容が濃く、非常に面白い作品だった。