まぁ歴史はそんなに単純でもないだろうからあくまでヨタ話ということでs。
後白河法皇を幽閉したら以仁王と源頼政が挙兵。鎮圧後に東国の協力者を一掃しようとしたら源頼朝や武田信義や木曽義仲や源義経が次々挙兵。
— @ぷりめ (@prime46502218) January 31, 2022
平家の威信をかけた福原開発計画と反乱鎮圧を同時にやろうとしたら追討軍が敗北、武威が失墜。養和の大飢饉と平清盛の死も重なって事態がコントロール不能に。
平家の滅亡の原因は、軍事力で政敵を押さえ込んできたけど、いざ軍事力が必要になったときに、世代交代で軍事慣れしていた層がすでに引退していて、文官向きの層が指揮官の立場だったというのもデカそうだけど、その辺は描かれるのかな?
— ワルサー・P・38世 (@dorodoro_jirou) January 31, 2022
出世の恨みって怖いんだよなあhttps://t.co/GxbPoiObVb
— 現実論(素数) (@6yzND8OZJhVCV3V) January 31, 2022
味方(平家一門)を増やす努力を怠ったように
思えてならないんだよな
あーわかるかも。プラス、貴族化が進んだ平氏VSオラオラな坂東武者をどうにか乗りこなした源氏になってしまった結果、という感じ。 https://t.co/xDvZC02ttU
— OVA@風曜日の冒険者 (@ova1999) January 31, 2022
マキャベリは君主論の中で「征服の上で行う悪逆な行為(=粛清等)は全部を一度にやって繰り返さないこと。小出しに繰り返すと人民の不安を煽り、恨みを深刻にする」と言っている。
— Ceresia (@Sakura48610797) January 31, 2022
平家もこの轍を踏んでいたのか https://t.co/FFMFeXOjbY
フランス革命の時のテルミドールの反動がまさにそれ
— なかむら (@kahoha_netemate) January 31, 2022
派遣議員が、ロペスピエールに処罰されるのを恐れた結果、逆に処刑されたみたいな https://t.co/WyrLaRIkfd
平家は決してただ横暴だったわけではない。
まず父の忠盛が伊勢平氏で初めて昇殿を許された。
北面武士・追討使として白河院政・鳥羽院政の武力的支柱の役割を果たすとともに、諸国の受領を歴任し、日宋貿易にも従事して莫大な富を蓄えた。
ちゃんと功績があって認めらた存在だった。(まあ清盛の父が白河法皇という説もいまだに根強いけど)
その上で、「貴族の専横」に対する「武士からのキャンセルカルチャー」的存在であった。
しかし、武家の時代の到来に押されてその地位を得たのに、
武家全体のためではなく、私利私欲に走ってしまった。身内だけで権益を独占しようとした。
武家ではなく従来の貴族よりのスタンスになってしまった。
むしろ新しい時代に力をつけてきた存在たちにとって邪魔な存在となって排除されてしまう。
今の「キャンセルカルチャー」文化もそういう流れになってるんですよね。
敵を倒そうと行動してあちこちに敵を作り、それ故に敵を恐れるようになり身内だけで周りを固めようとしすぎた。
その結果、もはやフェミニズムというお題目にも合わなくなってきた。
結果として、本来自分を押し上げてくれていたはずのフェミニズムにとっても邪魔な存在になりつつある。
いまのキャンセルカルチャーの主流派は過激というか身内に閉じこもって敵を作りすぎた。
結果として平家とか、フス戦争におけるターボル派の運命をたどる可能性もありそうだ。
でも、もしこの人たちが滅びたとして、その滅亡の土壌から、穏当なフェミニズムに魂が引き継がれる可能性はある。
そういう意味で無駄な行為だったとは思わない。 支持はしないけど。
後は外部の人間でも納得できるような、バランス感覚を持った人が後を引き継ぐでしょう。
フス戦争において目立ったのは過激派のターボル派・オレープ派・シロッツィ・アダム派であるが、これらは内ゲバを起こしたり外部からの援助を受けられなくなって徐々に衰退していった。(ちなみにヤン・ジシュカはシロッツィ)歴史で勝利を収めたのは貴族勢力を中心とした穏健派のウトラキストであった。
過激派は既存体制と組んだ穏健派(ウトラキスト)に滅ぼされて終わった
リパニの戦いで過激派が事実上せん滅された後、すぐにフス派の聖餐方式が認められることになった。