頭の上にミカンをのせる

実を言うとこのブログはもうだめです。こんなこと言ってごめんね。でも本当です。少しだけ間をおいて終わりがきます。

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吉野家の広告戦略担当役員の炎上を見て「デジタル寄りな広告とリアル寄りなコミュニケーションの間の感覚のズレ」について思う

「表現の自由」という観点では擁護されるべき話ですが、表現の自由には当然責任も伴います。批判炎上は避けがたいでしょう。ビジネス的にあまりにネガティブ効果が大きいので女性客の反発を抑えるためにも会社としては常務を首にしたうえでコーポレートメッセージの刷新まで求められる案件ですね。

追記:案の定早速クビになってしまいましたね。これはフェミニズム云々ではなく、マーケティング担当としてスキがでかすぎたやつです。しょうがない。


ちなみに、この伊東さんはちょっと前までは「女性が来店しやすい吉野家」を作ってきた=女性の味方として認知されてた人だったんだよね……

吉野家といえば「はやいやすいうまい」以外のブランドメッセージしか知らない人が多いかもしれない中で明確にこのコンセプトを「女性向け」や「家族連れ」といった層に届くように施策という形で打ち出したのがこの伊東さん。

まんぼうと協力金のせいでわかりにくくなってるが、コロナ前は確実に吉野家の売り上げを伸ばしていた

xtrend.nikkei.com

店舗のメインユーザーは30~60代で、男女比は7:3だ。ところがテークアウトになると男女比は5:5になる。ここから読み取れるのは、吉野家の商品は女性にもニーズはあるものの、「店に入りづらい」というパーセプションがハードルになっているということ。さらに、10~20代ユーザーが少ないことも課題だ。


toyokeizai.net

唯一使っているのが「引き出し理論」という考え方だ。人間の頭の中に引き出しがあるイメージで、その引き出しを開けたときに手前にあるものを買うのが購買行動だ。例えば、「時間がないからご飯を手短に食べたい」という引き出しを開けたとき、吉野家は手前にいる。

どの引き出しを開ける人が多いか。その引き出しの中でいかに吉野家を手前に持っていくか。この2つの組み合わせだけで考えている。これまでは「高タンパク・低糖質」という引き出しや「できあいの食事を買って帰る」という引き出しに吉野家は弱かったが、一度その引き出しに入ると、また想起してもらいやすくなる。

常連客(コア)に来店頻度を高めてもらいながら、女性客や子ども連れなど新しい客層(モア)を獲得する「コア&モア戦略」を掲げた。
飲食業では、来店頻度を上げることがいちばん大事だ。

女性が店に入りづらいのなら、店自体を変えてしまおうと、「クッキング&コンフォート」と呼ぶ新型店舗への改装を進めている

2019年12月には、子ども向けにポケモンとコラボした「ポケ盛」という商品を出した。

なので、当然女性を(顧客として)大事にしている立場だった。

実際、伊藤さんが常務になってから女性が行きやすい店になっていた。


なのになぜこういうことになってしまったのだろうか。


広告の世界(特にデジタル寄り)の感覚に偏りすぎて、リアルでしゃべったときにやらかすという事例、結構あると思う

上の記事を見てもらえればわかる通り、TPOに合わせてしゃべれる人なのだ。あたりまえだけど。

だが、社会人とはいえ学生に対して講義をするとなったときに、

ただのマーケティング講義ではなくてエンタメの引き出しに入ろうとして失敗したんだろうな…

上の企画を見ても、社内ではこれが受ける、笑いが取れると思ってたんだろう。

実際に、データで見てもそれが有効だったんだと思われる。

「あ、やっぱりみんなこういうの好きなんだな」って確信を持ってたんだろう。


でも、人間はネットや購買行動ではめちゃくちゃ素直(上の口ではそう言ってても財布の口は正直だな、というネタがある)でもリアルの対面の場では、めちゃくちゃ体裁を気にするのだ。

インターネットではエログロ広告などもほとんど規制されておらず割と何でもありなところがある上、「むき出しのコミュニケーション」が実際に効果を発揮することがデータで示されているのがデジタルマーケティングの世界だ。

しかしリアルでのコミュニケーションは勝手が違う。


このあたりのズレが原因で今回のやらかしが起きてしまったような気がする。



たわわ問題はこのデジタル世界とリアル世界の「越境問題」だと思われる。

これは「たわわ」問題でも同じことが言えてあれがたぶんデジタル広告だったらみんなもう「文句は言うけどそこそこで流してた」と思うのだ。

批判してる人はおそらく95%以上の人が日経新聞を読んでないからそもそも実物を見てないし見る機会もない。

それでも、あの広告は「なんとなく」リアルでのコミュニケーションと判定された。

その結果としてあれだけどっちもこっちも吹き上がっているのだと思う。

まぁ太田さんの時と同じく、治部さんが最初に「性的虐待」みたいな過激な表現を使ったのも問題だけど。


www.tyoshiki.com

とにかくフェミニズム関係の人、あとさき考えずに耳目を集めるために大げさな表現を使いがち。

言語感覚がデジタル感覚に寄りすぎてると思う。

現実の問題について論じるときに、こういうデジタル感覚のノリで語るのほんとやめてほしい。



それはそれとして、この手の広告に関する議論って今まで不毛だと思ってたけど、見るべきところを見ればすごく有意義なやり取りがされていて勉強になった

地下猫さんの記事をみればわかる通り、「論理的に批判してるつもり」の人でさえあの体たらくなのだ。
まして論理的に批判しようとこころみてさえいない人のほうが多い。
これはもちろん論理的に擁護している側でも同じことが言える。
青△才さんのクソツイートが3万RTされるような世紀末状態だ。
つまり、はてなとかTwitterでバズってるツイートとか見ても全く役にたたない。


一方で、法律の専門家たちによるTweetはとても参考になった。


・法律的な面だけで考えればたわわの広告に問題がないことは最初から確認済みである。
・広告倫理について主張している人もいるが、こちらも現状では倫理規定違反がないことは確認済みである。
・そして、契約や自主規制の問題としてみたとしてもUNW側の意見が不当であることはすでに法律の研究者が指摘済みである。
・なので、日経新聞側が自主的に取り下げない限り、政治的な権力が介入する以外で物事が変わることはない。当然これは「表現の自由」に反する。
・国連は国家権力ではないという意見についてはステートアクションの法理が適用されるので無効となる。


つまり批判している側は状況的にはとっくに詰んでいる。
なぜか批判している側は聞きかじった論点をいろいろと語るが、「問題がある可能性をにおわせる」だけで自分で確認しない。

私を含めた知識のないただの素人が、自分の感覚を頼りに不毛な議論をしている間に
そうこうしている間に、専門家たちによってだいたいの批判のルートはすべてふさがれ終わっているのである。


世の中はこうやって動いているのだなって思った。