ゲームの歴史の内容がひどすぎるということで絶賛炎上中のハックルさんだが、今日になってこんな記事が出てきた。
僕は「マウンティング」というネットスラングの提唱をしたと自負しているが、今の今までそのスラングの産まれた瞬間のことをすっかり忘れていた。僕が勝った負けたに終始して議論のできない人をニホンザルのマウンティングに例えて評したのは、その対象の第一号は、ハックル氏だったのか!ハックル氏こそ、日本で初めてその行動をマウンティングと評された人物だったのである!!
この人が「ネットにおけるマウンティングしぐさ」という言葉の元祖というのはまぁ眉唾なのだがそれはおいといて、まさに今回もこのマウンティングが今回の炎上のきっかけになっている。
ハックルさんは、マウンティングさえ自重していれば、たぶんここまで燃えることもなかったし、燃えるにしてもたぶん元ずっと後だったからその頃であればある程度目的は達成できていたはずだ。
マウンティング欲は事故率を高め、時に取り返しのない事故を引き起こして身を亡ぼす。自分も肝に銘じておきたいなと思う。
- ハックルさんはもともと自説を述べる際にかなりの頻度で誰かにマウントを仕掛ける癖が昔からある
- 1回目は特にお叱りが発生することはなかった
- しかし、結果としてはここでお叱りが発生しなかったのが後の惨劇を招いてしまう
- 最初は初心カイさんに対する反撃のはずだったのだが……
- マウントは一人に対してやるべきなのに全方面に向けてマウントを仕掛けてしまうハックルさん
- 策士、策に溺れて全方位からの集中攻撃を浴びる結果になってしまった
- 正直いつかはこうなると思っていたけれど、逆にこれでハックルさんの命運が尽きたとも思ってません
- おまけ
ハックルさんはもともと自説を述べる際にかなりの頻度で誰かにマウントを仕掛ける癖が昔からある
というより、彼は炎上を利用して目立とうとする癖があるのだ。
彼はネットでは呼吸をするように他人に対してマウンティングを仕掛ける。むしろマウンティング欲が先にあり、それからつじつまを合わせるように適当に記事を書いているのではないかと思うことすらある。この推測については「ハックルさんは本質という言葉を愛しすぎている」という記事ですでに詳しく述べた通りなのでそちらを参照してほしい。
思えば10年前から自説を披露するためにいちいち他者にマウントを仕掛けていた
岩崎氏は「認知されない効果で売上は変わる」という一つのヒントを得ました。すなわち「合法な範囲でサブリミナルに訴えかけるようにすれば良い」としました。なお、「もしドラ」の背景は、日本人が好みそう風景を選んだ結果、決まったということです。ヒット後、雨後の筍にように同様の本が発売されましたが、岩崎氏曰く「どれも背景がダサい」そうで、「もしドラは背景がよかったのも売れた要因の一つ」だとしていました。
1回目は特にお叱りが発生することはなかった
実際、ハックルさんは「ゲームの歴史」が発売された2022年11月14日にも、素直に宣伝するのではなくわざわざ他の人の書いた記事に対してマウントする形で記事を書き御大層な自説をぶちまけた後に自著の宣伝を行っている。
ちなみに、この際に共著者の稲田さんは、ハックルさんをいさめることなく呑気にその記事を宣伝しているのだから、この人もちょっと変だ。
岩崎さんのブログです。
— 稲田豊史 (@Yutaka_Kasuga) 2022年11月14日
>ぼくも、ゲームが好きで、ゲームのことを考え続けてきた。なぜゲームはこれほど面白いのかを考え続けてきた。そうして、研究書を1万時間読んできた。
>しかし、さすがに「飽き」てしまった。そこで、仕方なく自分で書いた次第である。https://t.co/0jhONUas4s
自分が稲田さんの立場なら、このようなマウントたっぷりの記事を共著者が書いていたら止めるのだが……。
幸いに、この時はハックルさんのマウント芸は相手に無視されあまり話題にならなかった。
しかし、結果としてはここでお叱りが発生しなかったのが後の惨劇を招いてしまう
ここでおとなしくしていれば、散発的に批判されることはあっても、それほど真剣に相手をする人もおらず静かにこの作品は広まっていたかもしれない。少なくともITメディアに「ゲームの歴史はでたらめばかりの本で批判が殺到している」という記事を書かれることはなかっただろう。
ところが、1回目の炎上仕掛けにお咎めがなかったのでハックルさんは再びやらかしてしまう。
そして二度目の記事では盛大に事故ってしまった。それがこちらの記事である。
note.com
最初は初心カイさんに対する反撃のはずだったのだが……
この記事は前段としてまず「初心カイ」氏が書いた「ゲームの歴史」に対する感想の存在がある。
初心カイさんはハックルさんのプライドを傷つけないようかなり持ち上げた後で事実の間違いだけを指摘している。
note.com
これに対して、ハックルさんはちょっとカッとなったのか「初心カイ」さんに対して軽めのマウントを入れていく。
「「『初代プレイステーションには任天堂のDNAが宿っている』とは証明できない」ということである。そうして初心カイさんは、「宿っていないと証明できる」とはいっていない」 / “ゲームの歴史を書くとはどういうことか?|文脈くん|note” https://t.co/trglgdBTLX #歴史
— 真三 (@chintaro3) 2023年1月14日
マウントは一人に対してやるべきなのに全方面に向けてマウントを仕掛けてしまうハックルさん
これだけならわかるのだが、なぜか「初心カイ」さんだけでなく「多根清史」氏(id:bigburn)にマウントを仕掛けに行くシーンがある。(少なくとも読者にはそう見える内容となっている) bigburn氏はすでにゲームについての歴史に関する著書を出されていたがnoteでは「ゲームの歴史」はこの本に対して優位性があるということを独自の理論で展開しているのだ。
ハックル先生が多根さんディスってるというすごい構図。
— ラッキィ (@lucky_jp) 2023年2月12日
ゲームの歴史を書くとはどういうことか?|文脈くん #note https://t.co/qxR4IfPsyh
“ツッコミが入りそうな「意見」や「見解」を慎重に避けるのはもちろん、特定の固有タイトルを「取り上げないこと」へのツッコミも恐れ、過剰なまでに網羅的かつ並列的になっていた。”
— Ag (@Agrius_) 2023年1月13日
一理ある
ゲームの歴史を書くとはどういうことか?|文脈くん #note https://t.co/xDVC89L7dR
なお、ハックルさんはbigburn氏の事が大嫌いらしく、twitter上で「彼は僕にずっと嫌がらせをしてきている」と主張していました。(まさかハックルさんがアカウントを削除されると思っていなかったのでソースは出せません)
もっというとこのnoteでは「どうせ俺の本に批評家があれこれ文句をつけてくるが俺は屈しないぞ」というような挑発的な記述まである。
“ゲームのこと——取り分けその「歴史」を書くとなると、いわゆる「うるさ型」の批評家があちこちから現れて、きわめて炎上しやすい土壌があるということだった。きわめてとげとげした雰囲気が、ゲームの言論空間には従前から存在していた” https://t.co/8qidIkDoEs
— マリモ ∃xist (@marimouper) 2023年1月13日
筆の勢いが滑って全方位にケンカをうるような記事内容になってしまったのだ。
同社は、ゲームセンターと家庭用テレビゲームを両方とも推し進める「2面作戦」を展開するとともに、なんとハードとソフトの両方を開発するという、もうひとつの「2面作戦」も同時に展開。実に「4面作戦」とも言うべき施策を推し進めていったのです。さらには、後に携帯ゲームのハードとソフトも開発したため、最終的には「6面」にまで戦線が拡大しました。
これは、かなりびっくりです。ナムコやコナミやタイトーはもちろん、任天堂やその後にプレイステーションで天下を取るソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)ですら、そんなことはしていないのですから。
岩崎夏海;稲田豊史.ゲームの歴史2(p29)
書籍「ゲームの歴史」について(7) | Colorful Pieces of Game
セガが6方面作戦を行ったと馬鹿にしてたのに、自分がその馬鹿にしていたセガと同じことをやっているのだから始末が悪い。
さらに言うと、ハックルさんは2008年に書いた自分の記事を自分で回収することになってしまった。
web.archive.org
例えば議論に勝つための初歩的なテクニックというのがある。それは相手のプライドを刺激することだ。人間誰しも矜持というものがある。例えばぼくなら「面白い」ということについては一家言ある。あるいは「言葉」についても並々ならぬこだわりがあったりする。そういうぼくに向かって、「おまえの言ってることは正しいかも知れないけど面白くないよね」とか、「言わんとしていることは分からなくもないけど言葉の使い方を間違ってるから分かりにくいんだ」とか言うともうとたんにカーッとくる。それでペースを乱されて以降の物言いがはちゃめちゃになって結局議論に負けるというのもある。しかしこの戦法も痛し痒しで、そういう陽動作戦に相手が出ているのだなと分かったら、逆にそこで落ち着けることもできる。そうしてその陽動作戦に乗っかった振りをして、逆に相手の裏をかくという戦法もある。こういう陽動作戦を使う相手に一番効くのはバカの振りをして気付かないふうを装うことである。あるいはあからさまな嘘を言って相手を貶めることだ。陽動作戦を使うような人間は、自分が頭が良いということに関してはプライドがあるので、逆に単純な作戦に弱かったりする。単純なルール違反に弱いのだ。コロンブスの卵的な作戦にからっきしだったりする。
この時点では、1回目と同じように馬鹿のふりをして相手を貶め、炎上を起こしてまた宣伝に利用しようとでも思っていたのかもしれないが……。
策士、策に溺れて全方位からの集中攻撃を浴びる結果になってしまった
しかしただケンカを売るだけならともかく、今回は脇がめちゃくちゃ甘かった。
最初の記事ではマウントはしていたがゲームの歴史について特に語ってはいなかった。だからマウントを仕掛けられた本人がやや不快に思う程度で済んだ。しかしこちらの記事ではマウントついでに「僕が考えるゲームの歴史」について熱く語ってしまったのだ。この記事の記述がいろいろとまずかった。
これで、ゲーム関係者がマジで怒って「ファクトチェックに大勢の人が参加」することになったのだ。
マジギレした一節。
— 岩崎啓眞@スマホゲーム屋+α (@snapwith) 2023年2月12日
本当にマジギレしたわ。 pic.twitter.com/jMX85B2fSi
今noteみたら有料になってました。
— 鶴田道孝 (@mTsuruta) 2023年2月13日
有料前に読んだ内容だと「歴史を科学的(数量的)に検証するのは難しいので伝聞や心象によって書く」とか書いてました。
あー。
資料を突き合わせて事実を繋いでいくんじゃなくて「俺はこう思った」というのを正当化したいのだと。
度し難い。
うーん。読む程に
— inuro (@inuro) 2023年2月12日
「任天堂はロード時間短縮に偏執的に拘っていたに違いない」
「久多良木氏はそれに触れ影響されたに違いない」
「それをナムコに強く示唆したに違いない」
と、断片的な事実から物語を導き出し、それを史実として断言する歴史学の禁忌そのものでは?と思う。 https://t.co/M7h5DjGqzu
ただ
— inuro (@inuro) 2023年2月12日
>それを踏まえた上でぼくはなお「その証明できないことを推測で書くことには価値はある」と思うのだ。そしてそれは、歴史書としての価値を損なうものではないと思っている。それ以上に、それこそが歴史書の価値とすら思う
と歴史書についての根本的な考え方が異なるので、これはもう平行線よね
謎の歴史書は読んでないので中身のことは何も言わんけど、このスタンス(「盛る」ことに「腐心した」)は自覚してやってるんだなということはわかった。>>ゲームの歴史を書くとはどういうことか?|文脈くん|note https://t.co/oxKZjM2sf5 pic.twitter.com/XugHZa5Zt2
— じーくどらむす/岩本翔 (@geekdrums) 2023年2月12日
しかも、明らかに間違ったことを書いているのにゲームの歴史のあとがきではこのように書いており、それがまたひとをおこらせた。
「ぼくの妄想を書き連ねた「フィクション」にするつもりはなかった。「歴史」と銘打つ以上、事実を無視したり、憶測を暴走させるようなことはしてはならない」
↓そうなってるところが多数みうけられたから、問題になっているのでは?
— 中山智/旅人ITライターさとる#AD/PR (@yenma) 2023年2月13日
“かといってぼくの妄想を書き連ねた「フィクション」にするつもりはなかった。「歴史」と銘打つ以上、事実を無視したり、憶測を暴走させるようなことはしてはならない。”
https://t.co/8zsXmOfqE3
正直いつかはこうなると思っていたけれど、逆にこれでハックルさんの命運が尽きたとも思ってません
私は、ハックルさんは結構すごい人だと思っている。
ただのでたらめ人間であればもしドラはヒットしなかっただろうしそもそもドラッカーの権威である上田先生が彼を認めるわけはないのだ。
ただのでたらめ人間であればみなもと太郎先生が彼を認めることがあるはずがないのだ。
悪い方向だけでなく、良い方向でも人の感情のツボみたいなのを刺激するセンスは高いのだと思っている。
ハックルさんはただただ、歴史を書くのに全くむいてないのに自信過剰なところがいけないだけだ。「マンガの歴史」の時のように、自分ではなく他の著者を見つけようとすればよかったのに自分で書こうとしたところが間違っていただけだ。ハックルさんはなぜか「自分は歴史に強い」という思い込みがあるらしく、ブロマガでもさんざん歴史について語っている。
もう一つ、それほどゲームをやってない割に、なぜかゲームに関する本は大量に読んでいるらしい。あとなぜか「高校生の時にマリオカートで小学生を唖然とさせた」という体験を自分がゲーム好きである証拠として語っており、やはりセンスが常人の其れとは違う、というのもあるだろう。
「ゲームの歴史」 1968年生まれの著者が
— ひんご (@asahineru) 2023年3月15日
「ネット上では叩かれるが、僕ほどゲームが好きな人間はいないと思う」というほどのゲーム好き。ディスクシステム(1986年~)で発売されたマリオゴルフで、小学生を唖然とさせた
と自慢してて
「もこっち以上の逸材だ…」てなったhttps://t.co/7oec9tVfRa pic.twitter.com/15e5tD7ojS
そのあたりについて反省していただいて、今回の件はちゃんと禊を済ませた上で、まだ別の形で活躍してほしいと思います。
おまけ
映画版「もしドラ」についての町山さんの批評。ちゃんと前振りをしてますが「顧客の定義」と「映画の目的」をアイドル映画として定義し「アイドル映画として撮るならこうすべき」という話をしています。私がアイドル映画に興味ないせいか、町山さんのもしドラ改善案はあんまり見たいと思わない内容でした。
ただ、「もしドラ」のキャラクターやストーリーの構成のダメさについては本当にここで語られてる内容は妥当だと思います。前半部分の点はすごく面白い
ちなみに、町山さんは「がんばれ!ベアーズ」をベースとして、もしドラはこうすべきだったという話を書いているのですが、ハックルさんはブロマガで「もしドラ」はがんばれ!ベアーズをベースとして描いた」と語ってます。ハックルさんはベースがちゃんとわかっていて書いてこれだったんですよ…。