責任を持つ者について話したことがありましたね。
https://ameblo.jp/buttai-player/entry-12791139483.html
あのときの私にはわかりませんでしたが、今なら理解できます。
大人としての責任と義務、そしてその延長線上にあったあなたの選択。
れが意味する心延(こころばえ)も。ですから、先生。
私が信じられる大人である、貴方にならこのねじれて歪んだ先の終着点と、また別の結果を……
僕はブルアカ4th PVちゃん!
www.chunichi.co.jp
ニュース自体はどーでもいいんだけどネットの反応が面白いのでちょっと「責任」について考えてみる。
ジャニオタの人たち、はてなブログとか増田だとめちゃくちゃ語彙力豊富で知的水準高そうって思う人が目立つんですけれど、実際は母数めっちゃ多いので全体では日本人平均と分布はそう変わらないと思うんですよ。つまり、半数以上の人たちは「責任」って言葉について真面目に考えたことがない人んじゃないかなと。
私達日本人は、社会人になるまで「責任を意識する」って機会が殆どないような気がする(外国でどうやってるかは知らない)
責任ってのは自由と裏側の関係なので自由を求めれば当然そこに責任が生じるし責任を自ら負うなら、自由(裁量)を手に入れることができる。この関係が基本ですよね。
で、今みたいにあれこれと自由が叫ばれている中であれば、人々は責任を意識してるって思うじゃないですか。でも実際は、責任を意識してる人ってあんまりいないと思うんですよ。
詳細省きますけど「~~からの自由」はすごい主張するけれど、「~~への自由」はあんまりというか。何だったら本人たちは自由になったと思ってるけど実際は別の誰かに依存してるだけみたいなのがすごい多い。
少なくとも私は社会人になるまであんまり責任っていうのを明確に意識したことはなかった。どっちかというと親とか学校からいろいろルールとかタスクを強制されてそれをただひーこらいいながらこなしてるだけだった。責任があるとしてもそれは押し付けられるものであって、自ら取りに行くものではなかった。自分から「私はこれをしたいです。そのために◯◯という責任を背負います」なんて考えで動いたことがなかった。
みんなもそうじゃないですか? ぶっちゃけ部活のリーダーとかなにかの活動をしない限り、「社会人に入る前に、私はここで明確に責任ということを意識した」って人ってそんなに多くないと思うんですよ。というか、人によっては社会人になってもなお、責任なんか意識せずに生きてきたって人がいてもおかしくなって思いますよ。ただひたすら上司の言うことを聞いてるだけなら、責任は上司がとってくれますからね。
私の身近な人に「大学を卒業したあと社会人1年目でドロップ・アウトしてから33歳になるまで全然まともに働いたことない人」がいますけど、「責任」って言う言葉を全く理解してない。そもそもそういう概念があることもよくわかってないって感じです。これはその人が悪いというより、そのくらい我々って仕事を通してしか責任を意識する機会が少ないっていうことの証左だと思うんですよ。
私は結婚してないのでわからないですけど、結婚生活でも夫婦の関係について「責任」って意識してる人そんなにいなく無いですか? 私は↓のマンガを読んで、こういう形で「きっちり話し合って役割分担をし、定期的に見直す」ということができてる夫婦ってめちゃくちゃレアなんだろうなって思ってますけど違いますか?
であるならば、まして自分が消費者の立場にいるとき、自分に何かの責任があるとか普通考えないでしょ?
よーするに、みんな責任ってなんだ?なんで責任なんてものがあるのか?って考えることなんてそんなにないんじゃないかなと。
だから、例えばツイフェミがオタクの責任を主張するときに、だいたい「表現の自由」「信教の自由」みたいな感じの議論ですぐ塗り替えられちゃう。いや、そこ表裏一体やろがってなるんですがなんか対立概念のように扱ってる。
で、今回の件だオタクのときは「子供のため」みたいな感じで責任を追求しておきながら、自分が責任があるって言われたら発狂する頭の悪いジャニオタがいたり、逆にエロい絵についてオタクの責任はないって言ってるのにジャニオタには責任があるだろ!って言っちゃう頭の悪いオタクも出てきてしまう。
みんな、自分の自由は絶対に侵害されたくないし、それでいて自分が不快なものには深く考えずに責任って言葉を使って責め立てる。そういうバランス感覚がめちゃくちゃ悪い人が、Twitterとか見てたらすごく多いなって思いますね。特にはてなブックマークユーザー(特に左翼)の頭の悪さはレベルが段違いですね。
「責任がある」という言葉に拒絶反応を示しちゃう人は、責任って言葉は犯人探しでないということをこれを機会に知ってほしいよね
今回のケース、頭の悪いジャニオタの方は「責任がある」というのは「お前は悪いんだから責められるべき」みたいに認識して発狂したんでしょう。
それは責任という言葉をそういうものとしか認識してないからです。
実際のところはこんな感じでしょ。
・あなた方にはこの自体に対して影響を及ぼす力がある。あなた方に選択する権利が与えられてる。
あなた達はこの事態を動かす投票ボタンが与えられていて、それ次第で結果が変わる。
事態をよくするかしないかをあなた達自身が選ぶことができるんだよ。
・その上でどっちを選ぶのかはあなた方の自由だけれど
影響を与える力を持っていて行使するかしないかはあなた方自身の選択なんだから
出てきた結果に対しては自分たちが選んだということ事態はちゃんと受け止めようね
って話ですよね。
「責められるべき」って話じゃなくて「あなた方にできることはあるよ。そのことは自覚しようね」って言ってるだけです。
責務責任とか負担責任まで踏み込んだ言及ではないですよね。
このレベルの責任はジャニオタに限らず普段我々が「常に」社会から言われ続けてることです。
◯◯問題解決のためには男性一人ひとりの主体的ななんとかが必要だーとか
◯◯問題解決のためには国民の皆さんのなんとかが必要だーってのは聞いたことあるでしょ。
日常的に言われてることなのに今回の件で発狂するっていうことは
普段頭の悪いジャニオタさんたちはいかに責任というものを意識しないでぼんやり生きてるかって話なんですよ。
これジャニオタだけにいってるわけじゃなくて、オタクのみなさんも一緒だからね。
まぁ私みたいな人間がごちゃごちゃいうより坂口安吾の本とか小熊さんの本とか読んでください。哲学はわかんね。
私はよくわかんないので、そのうち本しゃぶりさんが
「日本人の責任意識をめぐる文化史」みたいなテーマで本を紹介してくれるのを待ってる。
そういう話の本があれば絶対に買って読みます。
おまけ
ここで「じゃあそういうふうに言えばいいだろ!」って思った人いるかも知れないけれど
「そういうところだぞ」って話をしておきますね。