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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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黄金頭さんの<「マナー、道徳、常識、暗黙の了解」で人を叩く行為が気に入らない。>という記事を読んだ感想

blog.tinect.jp

これについておれは「暗黙の了解があるなら見せてみろ」と書いた。だれも「常識的には3人前(5人前、10人前……)である」と言わない。あえて口をつぐんでいるかのように、ただただ50人前の非をあげつらう。後者だ。おれは、この後者の物言いに、大きな疑問を持った。

記事を読んだのですが、id:goldeheadさんは「マナーや道徳や常識」「暗黙の了解」そのものを否定したいというよりも、「美徳シグナリング」に対して反対したいのじゃないかしら、という話をしたいと思います。


まず上タンの問題に関して私の立場

私は「この件の解決に食べ放題に明確なルールを設けることには反対」「暗黙の了解はあって当然である」「暗黙の了解となる数値はそれぞれの立場に寄ってレンジがあるため、相手が具体的数値を明示できないからといってドヤるのは💩」「ただし50人前食べること自体は問題ない」「50枚食べた上で何が悪いと大声で叫ぶやつは許さない」という立場。

ただしこの立場を主張するに当たって道徳的優位は一切主張しない。ごくごく功利的な理由で、自分にとってそれが一番得だからこの立場を取るものとする。

「法は道徳の最小限」という言葉があります。これは,ゲオルグ・イェリネックという19世紀の有名な法学者が『法・不法及刑罰の社會倫理的意義』の中で述べた言葉です。ご存じの通り,社会を規律するルール(これを社会規範といいます)には法律のほかにも道徳など様々なものがあります。その中で,法律の特徴は,国家権力が命令し,それに違反した者に制裁を加えるという点にあります。こうした意味での法律は,私たちの暮らしのすべてを覆い尽くしているわけではありません。その意味で,法律の守備範囲は「最小限」の部分に限られ,その他の部分は道徳に委ねられる

https://note.com/shuyanomura/n/nfa1e655b5d53
なぜこの結論になったのかを長々と語るけれどこの部分はスキップしても良いです

まず前提としてこの件は、例えば「上タンは3枚まで」と上限ルールを設定した場合としなかった場合の違いで比較すべきだ

恐らくだがルールを設定しない場合が3500円だったとして、明確にルールを設定して均等に上タンを食べる権利の費用を顧客に負担させる場合はおそらく料金は3800円くらいに上がるだろう。

なぜなら「暗黙の了解に基づいた、暗黙の上限はあるがないように見せかけている上タン食べ放題」は「上タンを想定した枚数より食べない人」を想定しているからだ。これによって客にとってのコスパを実際より上に見せかけるという宣伝効果がある。ビッグカメラの100人に1人だけ高めのポイント還元をする施策と似たような仕組みだ。ミクロ経済学では「機会損失」も費用として扱う。これをやめたら店から宣伝効果が失われるため、損失は価格に転嫁される。


この件、黄金頭さんは店側だけが得をしていると思うかも知れないがそんなことはない。


もちろん客も「ちっこの店どうせ大量に食うのは歓迎してないんだろうな」「食べ放題と言ったところで見えない天井はあるだろどうせ」というのはわかっている。
それでも大多数の客にとってはあえてルールを設けないまま常識的な枚数を食べたほうが「上タンを食べない人」「食べすぎない人」の存在のおかげで得をする。
「上タンを食べない人」も食べ放題の価格が安くなってくれていて、それが不合理な価格でないなら別に不満はないだろう。
そうでないならその店にいかなければいい。店主はもちろん異常に食う人間がいなければ得をする。 



損をするのは「食べ放題という看板を信じて暗黙の了解を越えた枚数を食べたい人」だけだ。
あとは「こういうはっきりしないルールを見るだけでモヤモヤして気分が悪くなる人」くらいか。
この選択で損をする、犠牲になっているのはまさに黄金頭さんが代弁している人だけだ。


黄金頭さんはルールを設定することのコストを甘く見すぎだし、ルールを設定することのメリットを過剰評価しすぎて、「ためにする議論」になっている印象を受ける

何が言いたいかと言うと、この暗黙のルールは悪く言えばただの多数決、よくいえば民主的な合意形成である。
大多数の人間にとって「ルールは設けない」としたほうが得だからそうなっているだけである。
黄金頭さんが功利的であるのと同様に、大衆もまた功利的なだけである。
このルールは店と大多数の客の両方に利益がある(と双方が思っている)からこそ成立しているのだ。
店長だけがズルしていると言うならともかく、50枚食った人意外がみんな満足しているのであればルールを設ける必要はないのではないか。



黄金頭さんがそのあたりを軽視するのであれば、黄金頭さん自身も
黄金頭さんが批判する人たちと同じように自分の正義や「べき論」を人に押し付けていることになるのではないか。
「俺は気に入らない」と主張するだけならいいけれど「お前らは間違っている」というにはあまりにも黄金頭さんのロジックは弱いと感じる。


そもそも、黄金頭さんは個別具体例の話をしているはずなのに
怒りの源泉が普段から感じているモヤモヤから来ているせいか、途中から抽象的な議論が展開されていて、受け手としても非常に反応に困る。
もちろん実際ルールを設定してみて、宣伝効果に変わりはないとか、平均的な消費枚数は増えないと明確に示せるなら良いが
そういう根拠もなしに安易にルールを作ればいいじゃないか!と主張するのはいかがなものかと思う。



「ルールを変えないのであれば、50人前食べる行為が責められるいわれはない」という主張は同意する

ところで多数決を行った結果満場一致でない限り、必ず少数派が出る。
少数派の立場からすれば、このルールは不合理だ、不公正となるのは当然だ。

なので、不合理なルールのせいで損失を被る少数派の人は文句を言っても良い。

ルールで規定されていない以上、上限を気にせず食べてもいいという意見はあっても良い。


実際、店側はその客を咎めたわけではないらしい。
smart-flash.jp

お客様のXの投稿を拝見すると、《店長にマジギレされてクソワロタ》などと記載されております。しかし、当日、店長もほかの店員も、こちらのお客様に注意や文句をした事実はいっさいありません。店員にトラブルになるような事象がなかったか尋ねたところ、当該お客様自身が常連様でしたので、『そのようなことはいっさいしていません』との回答がありました。従いまして、Xの投稿は事実無根のものです」

店側も「想定より食べ過ぎる客が多すぎなければ」問題はないようにある程度はバッファは積んでいる。
つまり、ある程度までは全体にとって不都合な少数派ちゃんと許容している。


嫌がらせ目的だったり、許容範囲を越える回数繰り返されるようであれば、そこで初めて出禁にすればいい。
togetter.com
togetter.com
今回の件はどうもかなり怪しい気がしますけどね。



そう考えると、最初からこの問題は0か1で考えさえしなければそれほど問題はない話だったのではないか。



ただし、50人前食べたうえで「50人前食べて何が悪い?」「みんなも50枚食べればいいじゃないか」と大声で叫ぶやつは潰した方がみんなの利益になる

そういうやつは全体の利益を破壊する。

なによりも一体の異常値が目立ってるだけならルールを変えるよりその一体を潰したほうが効率が良いので私ならその異常個体を潰す方を選択する。

これは道徳ではなく損得を判断した結果だ。



なので、私は黄金頭さんのように50人前食べた人間を擁護するつもりはない。



株クラにおいて「捕まらないからと言って」twitterで露骨な煽り行為をして悪びれないクソ迷惑野郎がいたとしたら潰した方が皆にとって良いから潰そうぜ、となるのと同じだ。Twitterで完全に銘柄の話をするのを禁止しろとまでは言わないが、クソみたいな煽りをするやつはまじで消えて欲しい。 そもそも「ルールを設定したら問題が解決する」と思い込んでるなら考えが甘すぎると思う。 日銀のイールドカーブ・コントロール攻防戦の話とかしようかとおもったけど自分が自爆するだけだと思ったのでやめとく。



黄金頭さんが言いたいのは「50人前食べた人間を批判するのに道徳的立場を主張するな!」ってことではないかしらん

ただ、黄金頭さんは別に「50人前食べた人間が無条件で肯定されるべき」という意見でもないだろう?



黄金頭さんが主張したいのは
「お前らも自分都合で考えてるだけのくせに、多数派だからといってそれが常識だとか道徳的だみたいな顔をするな」
ってことだと思われる。



そして、今まで私が述べてきたのは「50人前食べた人間を批判してる奴らもまた利己的・功利的だ」ということだ。



であれば、別に対立する必要はないのではないか。



私も「50人前食べた男を批判する時、別に批判する側が道徳的に優位である」とは全く思っていない。道徳とか常識とかマナーって言葉でなんとなく批判する人は、そもそもそういう道徳とかマナーをもうちょい分解してみれば、何のことはなく各々が自己利益を重視しているだけであり、道徳的に正しいとか正しくないだとか、品があるとかないとかそういう話に着地させるべきではない、という黄金頭さんの意見にはとっくに反対する点は無い。



まとめ:私はすべてのものをルール化することは望まないので「道徳や常識」による暗黙のルールによる運営は否定しない。だけれど実際は自己利益のことしか考えてないくせに道徳ぶるやつには「美徳シグナリング」だせえくらいは言っても良いと思う

というわけで結論としては・・・

1:黄金頭さんがいくら気に食わないからと言って「道徳や常識」による暗黙のルールによる運営をすべて否定するのはやりすぎじゃね?ってことですね。

黄金頭さんは「マナー、道徳、常識、暗黙の了解」をふわふわしたものだといって叩くけれど黄金頭さんが主張する「ルールを設定すればみんなハッピー」というのもそれはそれで現実の運用を無視したふわふわ理論だと思うので支持できない。

システムの実装の要件定義の時に仮に黄金頭さんみたいな人がいて「あれもこれもルールで!」っていうのであれば、そのルール実装のコストは数倍上乗せして請求すると思う。

2:ただ、上タンの件で、「そんなん常識でしょ」とか「道徳的にありえない」といった雑な批判をしてマウントをとってくるやつに「こいつらいけすかねえ」という気持ちもわかる。

そこで、そんなやつを皮肉るために「美徳シグナリング」という概念があるよということは覚えておくといいのではないかと提案したい。

www.tyoshiki.com

はてブでなぜか道徳を語りながら人にマウント取りたがる輩がたくさんいますがこういう輩を見かけたときに「ペロッ・・・このいけ好かない感覚は美徳シグナリングっ・・・」くらいに思っておけばいいと思います。

「いい人に見られる」ことばかりを気にかけ、「実際にいい人になる」ことにはあまり興味を示さない

そういうゲス連中は、その場では道徳ぶってますが、実際は「あんまりよく考えずにその場その場でそれっぽいことを言ってるだけのBOT」みたいなものなのです。

そういうのが妖怪みたいで気持ち悪いと思うのであれば、名前だけつけて納得して、それ以上は余り気にしないようにしたい。