頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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推し活の気持ち悪さの極致を描いた作品「昭和不老不死伝説バンパイア」「近未来不老不死伝説バンパイア」

「ジャングルの王者ターちゃん」「狂死郎2030」の作者がリーマンショックに描いた話。
日本の将来に対する視点がめちゃくちゃ悲観的なのですが、とても面白かったです。

マリアという女性を慕うあまり「神様のように崇める」にとどまらず、本当に神様にしてしまった厄介オタの究極進化系「十文字 篤彦」の話

この作品のメイン部分についてはこちらで詳細に書かれているので読んでください。
mgkkk.hatenablog.com

あーちゃんの抱え続けていたマリアへの愛情の結論は、愛していたはずのマリアを殺すことでした。マリアを殺す瞬間、それはマリアという他者への愛情ではなく、あーちゃん自身への自己愛に変貌を遂げていたのだと思います。つまり、神マリアとはマリアではなくあーちゃん自身であり、その神マリアと決定的に乖離したマリアはもはやただの邪魔者でしかありませんでした。では、それはいつ頃からだったのでしょうか?他者への愛が自己愛への変貌を遂げたのか?あるいは、そもそも最初から全てが自己愛であったのか?その献身の全ては、果たして自己利益でしかなかったのでしょうか?


人間の認識は不完全で人それぞれですから、自分の中の認識が、外の実際と異なってしまうことは仕方がないことだと思います。しかし、それが事故に繋がるのは、その差を埋めようとする力が生まれてしまうときでしょう。つまり、こちらの方が正しく、あちらが改めるべきだと思ってしまった時点で、世の中には急激にその差を埋めようとする圧力が発生し、そこに巻き込まれる事故が起こります。事故が起こると痛いじゃないですか。痛いのは嫌じゃないですか。僕はそのように人が事故に巻き込まれるのはしんどい話だなと思うので、齟齬があるのは仕方ないにせよ、ゆっくりその差を埋めてなくすか、自分の中のそれを外にある別の誰かのそれと直接一致させようとなんて考えない方がいいのではないか


おまけ:本作品は「憲法」と「律法(道徳)」の違いについて述べられているところがとても面白い


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