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「フェミニストになったのは社会のせい」という主張の根っこにある「社会構築主義」は無邪気に信じて良いものなのか?という話。

www.tyoshiki.com
フェミニズムをネタにした大学生の男女の友情マンガについての補足の2つめ。


改めて思うけどこのマンガで描かれてる「フェミニスト」って本当に典型的というか、
「幸せになれない」フェミニストだなって感じてしまうので、ついつい口出したくなる感じがとても上手いなと思う。


前回はこちらの画像について「敵意帰属バイアス」の話を紹介した。



今回はこちらの画像について話をする。

これあまりにも典型的な「社会構築主義」の言い方だからだ。



この「社会構築主義」は敵意帰属バイアス以上にフェミニストがハマりやすいトラップであると思っている。



社会構築主義について

ja.wikipedia.org

ある事柄に対して、社会的に作られたものと考え、それを変更可能だとみなす立場。構築主義とも呼ぶ。逆に、ある事柄に対して、変更不可能な性質だと見なす立場を本質主義と呼ぶ。例えば「男女差」を、「生物学的なモノ」と考えるのは本質主義、「社会的に構築されたもの」とするのが社会構築主義的な考えである

社会構築主義自体は、知ったきっかけがいぬじんさんだったこともあり、それほど否定的には捉えていない。

自分の人生を自分でコントロールできると考えていて「今は変えられないと思ってるものを変えられるかも知れない。そのために何が突破口になるか考えたい」と考えてる人にとってはとても役に立つ考え方だ。

逆に自分の人生をネガティブに考えていて、「自分には何も出来ない。それは誰のせいだろう」という他責思考の人がこの考えに触れてしまうと、どこまでも他責思考がドライブしていく。

そういう意味で、とんでもない劇物だと思っています。




そして、個人的にはどうにも社会構成主義とフェミニズムとの相性は最悪だと思っています。

この考え方によるとフェミニズムは、イデオロギーの領域における階級闘争(ヘゲモニー争奪戦)ということになる。
フェミニズムの思想がこの考えに基づく限りにおいて、フェミニズムのボスは上野千鶴子でありつづけるであろう。
そういうこともあって、私はフェミニズムは支持しているが、社会構築主義に基づいたフェミニズムからは距離を取っている。

まず障害の社会モデルから考える。

「障害の社会モデル」は皆さんご存知でしょう。
biz.kaien-lab.com

これも社会構築主義に基づいた考え方です。
障害についてはこれでいいかもしれませんが、フェミニズムにこの考え方を適用するのは本当に問題ないのでしょうか?


社会構築主義は、以下のような枠組みで社会で今当たり前とサれている常識やイデオロギーを問いなおす

anond.hatelabo.jp
※序盤の「反証可能性」に関する記述は💩だから無視してよいが、社会構築主義についてはそこまでおかしなことは書いてないので引用する。

(0)現状では、Xは当たり前のことだとされており、不可避の事柄のように思える。

(1)Xのこれまでの存在には必然性がない、ないしはそれが現在あるような仕方をしている必然性はまったくない。
今日のXのありようは、物事の本性によって決められているわけではない。端的に言って、それは不可避的ではない。


おうおうにして、社会構成主義者は、さらに一歩進んで、次のようにも主張する。

(2)Xの今日のありようは、まったくもって悪いものである。

(3)もしXが根こそぎ取り除かれるか、少なくとも根本的に改められるかすれば、われわれの暮らしは今よりずっとましになるだろう。

表現を巡る議論の際に「必然性」という言葉を使う人間がたくさんいたと思う。その人達は大学で社会構築主義について学んだことがある人間かその人間がいうことを深く考えずに丸パクリしていると考えてよい。
いわゆる「初学者が学んだばかりの言葉を使いたがる現象」だ。



社会構築主義は、実際に社会に問題がある場合にそれを解決する道具になることもあるが、一方で「問題ないものを問題に仕立て上げてしまう装置」にもなりうる。なぜなら社会構築主義によれば言葉が現実を作るから

広義の意味での社会構築主義とは、何か(大抵は個人的で意外なもの)が社会的に構築されていると主張することの総称です。その意味ではデュルケームも自殺が社会的に構築されているという社会構築主義者ですし、おそらくフェミニストであろうがなかろうがすべての社会学者がそうです。狭義の意味では現象学的な理論が語用論的展開の中でエスノメソドロジックになんちゃらみたいなのがあるようで、一部フェミニズム的な社会学者はこの立場を取っている

「社会的構築」の定義を諦めてその意図を問題にしたところにあります。
いわく、「社会的構築」というのは問題提起のための語なのだと。
似た構造を持つ言葉として「搾取」があるとハッキングは言う。

「社会構築主義ってろくでもねぇな」と思ったあなた、ちょっと待ってください。これが有効に機能する場合もあるんです。たとえばハッキングはX=児童虐待の例を挙げていますが、日本におけるX=セクハラもまた社会構築主義的なフェミニズムがうまく機能した例といってよいでしょう。

社会構築主義に基づいたフェミニズムは、中途半端に学んだ女子大生が「女性は男性社会において無力なものである」みたいな考え方をしてしまうのではないか?少なくとも例のマンガはそれを示したと思う

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