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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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フェミニストを名乗る人であれば全員知っておくべき「敵意帰属バイアス」について

このマンガが話題になっていたのですが、

このマンガは一応「恋愛」というか「男女の友情」や「女性のアイデンティティ」を描いたマンガだ。「アイデンティティの確立」や「男女の友情」を阻む要素としての男女間のモヤモヤがあり、その処方箋としてのフェミニズムが登場する。しかし、男女ともにまだ大学生ということもあり、フェミニズムそのものよりも若者ゆえの未熟さのようなもののほうが物語の主軸になっている。フェミニズムはただのフックにしかなっていない。

「うみ」という女性は自分の抱えるモヤモヤに対する解像度が低い。自分の感情とフェミニズムを混同しており、あまり自分の感情について言語化の努力をしないので読み手としてはあまりスッキリしない。「察してちゃん」の色合いが強く、はっきりいってとても幼稚に見える。作中では描かれないが、おそらく飲み会以外の日常においていろんなところでぶつかっては消耗しているのだろうと推測できる。 途中まで私を主語にして語ることが出来ておらず、自分一人の力で立っていくことが困難になっており、フェミニズムに「依存」している様子がうかがえる。 コミュ力の低いオタクによく見られる言葉運びである。つまり「うみ」は自立したフェミニスト女性としてではなく、むしろ逆の自立できていないフェミオタクとして描かれている。

コレに対して、男性側は当初は幼稚な存在としてえがかれていたのに、途中から急に理解のある彼くん振る舞いになる。「うみ」のありようを尊重し、彼女といっしょにスッキリしないモヤモヤを抱えながら共に歩いて行こうっていうノリで終わる。

物語の中にフェミニズムという異物が挟まっているような印象を受ける作品であり、もし仮に作者がフェミニズムの啓発マンガとして描いたつもりなら私はこれを評価できない。別に間に挟まるものはフェミニズムでなくても良いしむしろフェミニズムでない方が良いという印象を受けた。一方で男女の友情の間にある「壁」を描いたマンガとしては結構好きだ。これをフェミニズムマンガとして評価している人は、その人にとってのフェミニズムはこのマンガで描かれてる程度の薄っぺらいものなのだろう。



まぁ作品の評価はどうでもいい。


この件についてフェミニストと切っても切り離せない「敵意帰属バイアス」の話(ついでに「懺悔強迫・加害恐怖」も余裕があれば)を確認しておこうと思います。




敵意帰属バイアスとは、他人の行動を敵意的な意図を持って行われたものと誤って解釈する傾向を指す


具体的には 

・他人の行動をネガティブな意図を持って行われたものと受け止め
・その結果、他人に対して不信感や敵意を抱くこと

です。


これだけだとわかりにくいと思うのでもうちょっと詳しく分解するとこんな感じ。




敵意帰属バイアスの作用

blog.kawasaki-numata.jp

1:スタートラインは「自責感情」や「罪悪感」
人間は罪悪感を感じると、次の瞬間「合理化」といって「私は悪くない、お前が良くないから」という正当化の理由を作ります。
過去に遭遇したような自責感を再び味わいたくないために必死に消し去ろうとする行為です。



2:トラウマが強いと主語を失う問題
「トラウマ (釈然感のないまま受け入れた体験)」+「後悔 (行動しなかった時の不利益を再連想)」=「正義感として強く認識された行動」。
「私だから」を飛び越えて、「誰でもそのようにするのが当たり前」と私の行動を「正しい」として拡大解釈しています。



3:排除されることへの恐怖から「帰属バイアス」が強まる問題
帰属欲求とは「所属する集団から排除される怖さがない」ことに対する欲求。つまり「排除されたくない」気持ちが強すぎて、
何か生じた時には自分のパーソナリティーに要因があるのではないかという疑念が優先され
現段階で不明瞭な外部情報を取り込むことを優先できない状態につながります。
このように帰属欲求が大きい段階でとどまっている場合、事実の解釈に対して「こうに決まっている」が多くなりがちです。


なにかの表現を見て自分は嫌だと感じた。なのに他の人は自分のように感じていない。その時に「自分はみんなとおなじではない」と感じ。さらに居心地の悪さや罪悪感を感じてしまうことがある。「普通でありたい」と思う人ほど、周りと違うというだけで罪悪感を感じてしまいがち。その気持ちを抑え込もうとすると、むしろ敵意帰属バイアスが強化される。


他にも、見下すような発言を受けたり、セクハラみたいな発言をされた。嫌だと思った。でもその嫌だという気持ちを表に出すことができず、うまくいなしたりたしなめたり出来ない自分に劣等感を感じてしまう。そういう気持ちを押し殺していると、後で敵意帰属バイアスが強化される。






ネットで見かけるフェミニストの人は攻撃性が高い人が多いのだけれど、この「敵意帰属バイアス」について無自覚な人が多いと感じる。 無自覚なので無防備にこれを膨らませてしまっていないだろうか。

・攻撃性が強い人に限って主語が私じゃないんだよね。(穏当な人はだいたい主語が「私」で、一方くたびれはてこさんやウノユウカさんみたいな過激になればなるほど主語がない語りを好んだ) なんか「大いなる力が貴様らを許さぬ」みたいな物言いをして気が大きくなってしまっていた。

・過激な人ほどエコーチェンバー化がすごかった。

・しかしその人達が稀に私を主語にする時は、特定の人への恨みを強くアピールする場合が多かった。具体的な怒りがスタートなのに、主語を消して語ることでどんどん拡散させてしまい、それで余計に敵を作っていく。この悪循環が傍から見ていてもつらそうだなと思った。



このあたりを考えると、フェミニストは、油断をすると「敵意帰属バイアス」の奴隷になってしまうと考えて間違いないと思う。



敵意というのはだいたい「自責感情・罪悪感」→「それを打ち消すための被害者感情」→「他責意識」という順番に流れている

これについては京極堂の「鉄鼠の檻」をぜひ読んでほしい。 憑き物落としの鮮やかさではシリーズの中でも圧倒的に優れている作品だ。

www.tyoshiki.com

実際の被害がなくとも、罪悪感から逃れるために被害感情を持つこともあれば、「被害を受けたことそれ自体に罪悪感を覚えさせる」ような環境ではより被害者意識が強化されます。

もちろんこの構造はフェミニストに限った話ではない。フェミニストがとくにその罠にとらわれやすい環境が整っているというだけだ。


私は女性じゃないので女性の気持ちはわからんけれど、発達障害絡みでは女性と違った形でめちゃくちゃ嫌な思いをして、それをずっと我慢してきた。自分ではどうにもならないことで劣等感や罪悪感を感じそれに耐えきれないから、自分は被害者であるとか、社会が悪いということにして自分と向き合うことからひたすら逃げ続けてきた。そのせいで10年近くずっと停滞してた。私もフェミニストの人をとやかく言えるような立派な生き方はしてない。


だから、マンガのようなことをいってフェミニストになっちゃう人の気持にはむしろ共感すら感じなくもない。実際私は大学時代にフェミニズムに出会って以来、フェミニズムにはむしろ憧れを抱いてきた。しかし、だからこそ、「フェミニストになるだけではこれらの問題は解決しないし、フェミニズムは不完全すぎてこれに依存すると行き詰まりになる」ということもわかる。





大事なのは、何のためにフェミニストになろうとするのか、ということ。 目的意識がないままフェミニストになるのは害しかないと思う

私は、理不尽なまでに自分の気持ちを抑圧する苦しさから逃れたくてフェミニストになること自体は別に良いと思うんですよ。

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