スポットライト効果と、自己呈示(self-presentation)の内在化の2つがおもな原因ではないかとおもいます。
はてなにおいては「自己呈示」はキャラ立て(キャラクターではない)
スポットライト効果は「はてなブックマーク」と言い換えられるかもしれません。
自己開示=self-disclosure/ 自己呈示=self-presentation
他者に対して言語を介して自分自身に関する情報を伝達することを自己開示とよび、自分にとって望ましい印象を与えるために意図的に振る舞うことを自己呈示あるいは印象操作と呼ぶ
http://dnpa.s3.xrea.com/psy18.htm
スポットライト効果
自分の外見や行為が、他者に注目されていると過度に思う傾向があることをスポットライト効果と呼ぶ。自分が失敗したりすると、周りの人に非常に注目されているような気分になるが、実際には自分が思っているよりも、他者は自分に注意を向けてはいない。
http://kagaku-jiten.com/social-psychology/individual/self-presentation.html
自己呈示(「キャラ」=自分がどう「消費」されたいかの提案)
→「キャラ」としての認知獲得
→はてブによるスポットライト効果加速
→外部からの視線・期待に応えようと、自己呈示した「キャラ」へのフィードバックを内在化
→内在化した「キャラ」をさらに呈示していく(「キャラ」のインフレ)
を繰り返すうちに、「キャラ」が自分とずれてきて違和感を感じたり、「キャラ」が過激・過剰になりすぎて制御できなくなるとなにかとしんどいのではないかと思います。
ジャンプマンガと違って、現実の自己がある以上、キャラのインフレには限界があり、かつ、人気がなくなっても打ち切りというわけにもいかない。そういうのを理解してか、せずしてかネットではときどき箍が壊れたようなキャラつくりをしてしまっている人をみかけるのだけれど大丈夫かな。そもそも、自分自身を「消費」の対象にするのって大変じゃないかなと思う。他にも「攻撃と防御のバランス」とかいろいろ気になることはあるけどとりあえずこんな感じで。
その他知識の整理
http://www.team1mile.com/asarin/kg/2007/interpersonal_psycho1.pdf
このパワーポイントめっちゃわかりやすくまとまってるのでおすすめ
「対人心理学」は、「承認欲求」という言葉をもてあそぶよりはるかにやくにたつかも。
自己開示することによって自分自身を知るようになり、個人の精神的健康を維持する条件の一つとなっているとしている。また自己開示の機能として、告白によるストレス発散などの感情の表出機能、自分の意見や感情がはっきりする自己明確化の機能、他者からのフィードバックが得られ自己概念を安定できる社会的妥当化の機能、返報性による対人関係の促進、親密感の調整がある。また、一般に女性は男性よりも開示が多いとされている。
一方、自己呈示の機能として、
1 地位の獲得や他者からの報酬の獲得と損失の回避
2 好意的に評価され自尊心を高揚させるなどの自尊心の高揚・維持
3 自己概念と一致した行動を取るアイデンティティの確立の三つがある。ゴフマン(1969)は自己呈示を自己表現と関連付け、日常生活を劇場でドラマを演じることのアナロジーとして捉えている。こうした比喩はステージ・メタファとよばれ、ミクロ社会学の演劇論的アプローチへ発展している。
ジョーンズ&ピットマン(1982)は、自己呈示の目標を、
1 取り入り
2 自己宣伝
3 示範
4 威嚇
5 哀願の5種類に分類し、否定的な自己呈示により影響力を行使しようとすることもありうることを示した。
またテダスキ&ノーマン(1985)は、様々な自己呈示が
1 防衛的-主張的と
2 短期的戦術-長期的戦略という二次元で分類できることを示している。
関係の進展に伴った自己開示が必要だと言うことです。ほとんど初対面なのに、かなり個人的な自己開示をしてしまう人は、嫌われる傾向にあります。女性同士はお互いのプライベートな情報を共有することで友情を作り上げていくのに対し、男性はお互いのプライベートには立ち入らず、活動を共有することで友情を作っていく傾向があると言われています
http://www8.plala.or.jp/psychology/topic/jikokaiji.htm
ネットのコミュニケーションは「自己呈示」にならざるを得ないため、「自己開示」ができる空間は常に求められる
http://www.insightnow.jp/article/7315
ネットでも自己開示ができる空間としてmixiやgreeが人気になったことありましたけどいろいろあって今はあんまり使われてない印象がありますね。
Facebookはあんまり自己呈示の空間というイメージがないですが、父なんかは少数友人を相手に「自己開示」的な使い方をしています。
twitterがバカ発見器やトラブル生産器になるのは、「自己呈示」「自己開示」のどちらでふるまえばよいかあやふやだからだと思います。要求される「自己呈示」レベルがかなり低いので割となんでもいえるけれども、なんでも「自己開示」して良い空間ではないのですね。「言いにくいけど」って思うことは言わない、くらいの分別は欲しいですね。
LINE・チャットルーム・オフ会・クローズドSNS…などなどいろいろありますが、もっといい形はできないもんでしょうか。
http://syasin.hus.osaka-u.ac.jp/database/thesis/06abstract/06doctaniguchi.pdf