みんな間違っている…
この作品はとてつもないアホの子について語られた作品である。
一応言っておくと「涼宮ハルヒ」みたいに「固有性の喪失」やら「バステーション」の問題みたいなのが語られてる気もする。
つまり"世の中間違ってると感じてるけどどうすればいいのかわからない。どうすれば「生の充実」や「己の特別性」を感じられるか"みたいな話。この時に部活ではなく殺人を選ぶという、中二病をいちばんアカン方向にこじらせた若者たちみたいなのが描写されているような気もする。こっちの面に興味がある人もいるかもしれないけれどそれは私的にはどうでもいい。
ストーリー展開上「能力」をめぐってのミステリー要素もあるけどそこもどうでもいい。
ひとりひとりでは無力を実感するしかない彼らが、それぞれの能力を合わせることで…なんて要素もちょびっと感じとれなくもない。そこもどうでもいい。
私にとって一番大事なのは、一社高蔵というとんでもなく理屈っぽいアホを描いているところである。
高蔵の話はよくわかりません。それは高蔵がアホだからです。自分の考えていることをわかりやすく相手に伝えられないのはアホ以外の何物でもありません。私はそんなアホの高蔵のことを愛おしく思っています
一社高蔵とかいうアホの子
読者からすると、高蔵は最後まで自分の能力のことすら理解できてなかったのに自分はなんでもわかっていると思っていたアホの子である。だが、彼は絶対に「自分が優秀で周りが馬鹿だ」「自分が正しくてほかが間違っているのだ」という姿勢を崩さない。
実際優秀な面もある。テストの点は100点だったり、小難しい理屈を考えるのは得意だ。だけれど、それ以上にヌケまくってるところやヘタレな部分が多く見られる。
つまり、ごく普通の高校生である。
にもかかわらず絶対に自分が正しいという部分は手放さない。
そして、彼はその一つ一つに「アホみたいに」長文の理論武装を行う。
ごちゃごちゃ考えてはいるんだけれど全く役に立たない
例えばこんな感じ。「宗教が気に入らない」という一言で済む話のためだけにこれだけ語る。
宗教の最大の問題点って何かわかるか?「自己批判を許さないこと」だよ。
当たり前というが、それがどんなおそろしいことかわかるか?
例えば科学はその前提を事故批判・自己改革・刷新を旨としているから心の拠り所とはならない。宗教と似たものとして哲学があるが、これも批判・改革を容認している。だからある哲学に則って行動することは、実はそれが間違った行動かもしれないという前提のもとになされる。
しかし人間は本質的に馬鹿で臆病だ。自分は間違っていないという思考を好む。
宗教はだからこそ存在しうる。
「自分がどう行動していいのか分からない、そのくせ間違った行動はしたくない。自分のしていることを間違いだとは言われたくない。認めたくない」そういう人間にとって宗教は福音だ。宗教は行動をさししめしてくれる。そして自らの間違いを認めることは決して無い。認めたら宗教ではなく哲学になるからな。だからその宗教にのっとった行動は、絶対に間違いを犯していない行動ということになる。その宗教に属している人間にとってはな。
でも本当は間違った行動をとるやつは救いがないというほどの馬鹿ではない。自分が間違っているかもしれない可能性を考えられないやつこそ本当のどうしようもないアホだ。自分の間違いや弱さと向き合えない人間が宗教に逃げ込む。無思考に正しい道を歩いていると思い込ませてくれるからな。
どんなにそれが苦しいことでも自分で考えなくてはいけないのに。
長い!
さて、この高蔵くんの話、文脈を無視してそこだけ聞いたら正しいことを言ってるように聞こえる。でも、次の会話で話が高蔵自身に及んだ時、この話は一体何だったんだ?となる。
「ところで、イッサくんは自分が間違ってるって思ったこと無いって言ってたよね」
「俺が間違ってるわけ無いだろ」
この高蔵という人間は万事がこの調子。しかもこれに突っ込んでも彼的にはまったく問題がない。本人の中ではちゃんと整合性がとれているのだ。
必ずと言ってよいほど理屈っぽい人間は、批判が自分に及んだ瞬間にアクロバティックな方法で自己正当化を行う。「他の人間はアホだが自分だけは他とは違う」と言うためだけの理屈をひねり出すのだ。ここでは「自分の外の神様」「自分のウチなる神様」という本人以外にとっては全く意味のない、判断基準もない話を持ち出してくる。
「それじゃ宗教といっしょじゃん、アンタの言う。あんたって宗教っぽいよね」
「俺は自分の外の神様の声を聞いているわけじゃない。俺が変われば俺の神様も変わる。自己変革できる神様だよ。信じているのは俺一人だからそれでいいんだ。
でも外にある神様はそうはならない。無思考を求め批判を許さない。思考に全く柔軟性がなく、頑なで偏屈だ。間違っていても間違いを認められないわけだからな。
だからこそ宗教はよく諍いや戦争の元になる」
あっ(察し)
こんなかんじで、彼が誰かを批判して語ることは、全部彼にブーメランとして跳ね返ってくるような形になっている。しかし彼は絶対に自分に間違いが有るということを認めない。認識すらしていないかのように見える。
理屈ばかりでクネクネしている高蔵を可愛いと思えるかどうか
この作品は終始、この高蔵がこの調子でしゃべり、他のメンバーがそんな彼に軽く突っ込んだりはしつつも深くは切り込まずにむしろ生暖かい目で見守り、だんだんそんな彼に愛おしさを感じていく話である。
最初から高蔵はこの調子で、それは最後まで変わらない。
その過程で人が死んでたり、いろんな謎がとけたり、その中には高蔵自身のアイデンティティを揺さぶるようなお話が出てきたりするのだけれど、高蔵は変わらない。ずっと同じような振る舞いを続ける。我が道をまっすぐ歩き続けようとする。
ただ、何も変わっていないのかというと、この作品の中でおきた事件や人間関係によって微妙に変わっていくものがある。
それを思うとちょっとほほえましい気持ちになれる。そんな作品である。(人死んでるんだけどね)