目に映る真実=ホムンクルスを見る行為には圧倒的な甘美さを伴う(ウォッチャーの愉悦)。しかしながら他者の本質に見えたものは全て過去の記憶との符号・共通点、つまり究極的には自分自身にすぎない。深淵を覗き込もうとするとき、深淵もまたこちら側を覗き込んでいる。
手術によって人の心の歪みが「ホムンクルス」として見えるようになってしまった名越という正体不明な男をめぐる話。
序盤はホムンクルスを見ることの楽しさにはまっていたものの、中盤から、名越という人間がひた隠しにしようとしている正体そのものに焦点が移っていき、その過去や正体があきらかになっていくにつれ、名越は「自分のホムンクルス」を見れる人を求めて暴走していく。
ビッグコミックスピリッツで連載していたとき途中まで読んでいたんだけれど最後どうなったのかしらなかったので今日本屋で見かけて確認してみたら……
BAD ENDでした。しかもタチ悪い系。
もう見てばかりはつかれたんだ。あの女は俺を見させるのには使い物にならなかった。
ちょうど、俺を見てくれる人間を探していたんだ。
いや、ずっと探しているんだ。お前が見てくれないか…?
どうやっても救いようのない結末しか期待できないとは思ってたけど名越さんだけが心のなかで救われて、読み手はこころをえぐられてそのまま放置されてしまう。
一気に読むといつのまにか引き込まれたあげく最後に主人公である名越が自分を放置してあっちに旅立ってしまうので要注意。個人的には終始感情移入できない「ワールド・イズ・マイン」よりよほどタチ悪い作品だと思いました。これほど読後感悪くておえええってなる作品珍しいですね。
しかし文句なしに面白かった。特に1巻から3巻の導入部分は神がかっていたと思います。
今から読もうと思う人は余裕が有るときによみませう。
「ここは天国か、地獄か?」
最終巻の終盤において、名越は街行く人間が全て自分と同じ顔に見えるようになる。
この光景をみて、名越は「ここは天国か、地獄か?」とつぶやくのだけれど、
これどちらの意見になるかは人によって違うだろうから是非他の人の意見も聞いてみたいです。
ワタシ的には地獄側だと思いました。
まともに感想書けないのでかわりにいくつか他の人の感想記事
『ホムンクルス』第15集(完結)/山本英夫 - アルバニトハルネ紀年図書館
名越が彼にとっての「真実」を他者と共有するためには全人類が頭蓋骨に穴を開け、更に第六感(と作中で呼ばれている物)が芽生えなくてはならない。
不細工は面食いである限り主人公のように歪むし、女の場合はブスに生まれた時点で面食いじゃなくても終わりだ。
いやそういう話じゃねえだろw
一番面白かったのはこの記事。
漫画『ホムンクルス』 - 自意識をひっぱたきたい
名越は全ての人間のホムンクルスを見えるわけではない。ホムンクルスが見えるのは一部の人間のみである。それはどのような人間か。自分と同じ抑圧を持っている者だけのホムンクルスが見えるのである。だから組長と抑圧を共有し、共に解放した後は、組長のホムンクルスが見えなくなったのだ。
きっと、僕たちは困っている人を救ってあげたいと思う時、自分と同じ抑圧を感じている人間にしかそのような感情は湧いてこないのだ。だから、解放されるのは相手だけではなく、自分と相手の双方なのである。
他者の無意識の抑圧を解放することは、時には人を苦しめるのである。抑圧することで自分を保っていた人が、抑圧が顕になった時、耐えられるのかはわからない。他者の無意識の領域に踏み込むことは危険を伴う。
また、主人公の名越は、利己的なことと利他的なことの一体の究極形態に達した時に、疲れ果ててしまった。世の中では利己的に振舞う人間が圧倒的に多いため、名越のようになると不利益を被ることが多いのであろう。無意識の抑圧の意識化には、そんな負の側面も見逃せない。
うんまぁ、アレの人が垂れ流しにしてるのに自分では見て見てみぬふりをしてることに
苛ついてズカズカ土足で踏み込もうとしてた時期あったからわかる。あれは、危険だ。
おまけ ウォッチャーの掟について
「それは、あなたが「見てきた」という証明・勲章。
ようは「見てやった」というエゴの塊です。
ホムンクルスという人の歪みを見れば見るほど、
自分の身体に「見てあげた証明」として勲章が発生し、いびつな姿になっていった
そんな簡単なこと、あなた自身こころのどこかではわかっていたはずです。それは「お前をみてやったんだから俺も見てくれ」という
期待・希望・欲求の現れに過ぎません。
見るという行為からきた単純な副作用。
あなたはただ見返りを求めている。俺を見てくれ、という。」
「な、何を言っているんだ?
俺は今まで見返してくれ、なんて言ったこと一度もねえ」「だからこそその押さえた思いがそういった形で現れてるんでしょう?」
「違う、俺の真実(ホムンクルス)は、そんな薄汚いもんじゃねえ!
お前みたいに何も見えない奴に、俺に見えているコイツの意味がわかるはずがねえ。
コイツ(俺の本当の姿)には、何か特別なメッセージが含まれているはずだ!
見えるやつに見てもらわないとわからない!
俺のホムンクルスは、ちゃんと見えるやつに見てもらわないと!」「なーんか、違うんだよなぁ。
たしかに、貴方の見えているものはただの幻覚ではない。
計り知れないものが見えているのかもしれない。
しかしながら、その「転移したもの」は何ら意味のない、
あなたのただのワガママな主張にすぎない。第一、見るってのはそんな代償を求めるものじゃないでしょう。
見たことが転移して見返りに俺を見てくれってしつこく主張するよりは
見返りなど関係なく、一方的に見ているだけのストーカーのほうが
まだよっぽど人間らしいですよ」
この一線を越えたらあかんのか……。
参考
この作品読みながらずっと「さよならを教えて」が頭の片隅にあったので。
BD-PG「さよならを教えて」| Nonentity Alice -非実在アリス-
本来の「恋愛行為」が外へ外へと向かっていく所を、『さよならを教えて』では閉じた輪の中に追い込んでいく、という形になっている。 いうなれば「アンチエロゲ」。アダルトゲームのご都合主義的恋愛性を、狂気に裏付けされた異常なまでのご都合主義で叩き潰そうとした怪作
"誰か僕に生きる意味を下さい" という事なのだと思います。『本当は現実をしっかり見たい、だけど 自分のような意味のないような人間じゃ きっと、誰も僕を見てくれない。僕を見て欲しい。何だってするから』というような、切ない思いが込められているのだと感じました。だからこそ、最後までこの作品の主人公は"何かになりきろうとした"のだと思われます。
http://homepage2.nifty.com/blue01/sayonara-rev.htm
彼自身は異常な行動を取っていると思っていない。そういう認識をしながら行動している人は、確信犯であり、決して異常者ではないのです。認識が無いからこそ異常な行動が出来る。
不変的な自分から決別する為の『完璧なさよなら』を、彼は求めていたのかもしれません…
このかわりに名越が求めたのは「自分の確定=誰もが自分のホムンクルスをみれるようになること」だったような気がする。