頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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自分の定期メンテナンス

去年のちょうど今頃に転職活動をやってました。
短期間で決まるかなと思ったらだいぶ苦戦した記憶があります。

その時によく面接で言われたのが

「会って話をしているときはいい感じだなと思っていたのだけれど帰ってから不安になる」
「実績もあるし受け答えもちゃんとしていて何も問題はないと思うんだけれど一緒に仕事をしているイメージが湧かない」
「あなたもいいと思ったんだけれど、もう一人の人のほうが意気投合できた」

みたいな感じのことですね。 

これ転職活動の面接に限らず日常でも時々言われたりする。「あなたがどんな人なのかよくわからん」って。
多分このブログも、数だけはそこそこ書いてますけど「書き手の顔が見えない」ブログって思われるんだろうなというのはわかってる。



意識して韜晦しているつもりは全然無いのだけれど。
あえてぼかして語ったり予防線を貼ったり言い切りを避けたりとかはやっぱりよくやる。
「否定(こういうことはやっちゃいかんよねという話)や最低基準の話から入る」事が多い。
自分で明確なポジションを取ることは避けることが多い。
そもそも自分のことよりマンガやアニメの言葉収集ばかりやってる。



どうやら最近その傾向がそれなりに親しい人相手でも出てしまっているようでいかんなぁ、と思っていたタイミングで
以下の2つの記事を読めました。




http://fujipon.hatenablog.com/entry/2015/11/18/105036

なるべく客観的に「評価」したり、いろんな立場から、物事をみて書くように心掛けるようにしました。すると、僕のブログには、言い訳ばかりが増えて、何が言いたいのか、よくわからなくなってしまった。偉い人や有名な人の言葉にばかり頼って、「僕」はどこにもいなくなってしまった。Mr.Childrenの『innocent world』の一節のように「さまざまな角度から物事をみていたら、自分を見失っていた」。

「恥ずかしくないと、お客さんに伝わらない」って、少し照れくさそうに話していました。僕は、書いている人が、そんな恥ずかしさをこらえつつ、舞台の上で踏ん張っているのがかすかに伝わってくる、そんなブログが好きです


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/46335?page=2

あなたのお話を聞いてると、「こうなっちゃいけないから、こうしよう」という、バランスを取る事だけに集中していると感じます。だらけて何もしなくなったら困るから、がんばらなきゃ。全部人任せにしちゃいけないから、自分で決めなきゃ。でもそれは、本当に自分がしたいこととは違うんだと思いますよ。結果、どんどんご自身の個性を殺している事になっている。才能とか能力が欠如しているのではなく、自分を自分で変なふうに矯正してしまっているだけなんです。

そういう子はがんばるから、仕事は回るんだけど、根本的に見ている人を幸せな気分にはさせられない。そして、無理しすぎて体を壊してしまうんです。


うん。もう30過ぎたおっさんだけど未だにこのあたりで引っかかってるかもしれない。


「インチキ事故肯定糞野郎」の攻撃だとか「承認欲求溢れて暴走してるやつ」だとか
そういう他人のことばかり最近気にしてるのは、どこか自分から目をそらそうとしてるからかもしれないなと思ったりする。

自己肯定感のなさにコンプレックスを気に病むあまり、「インチキ自己肯定」に支配されないようにしたい - この夜が明けるまであと百万の祈り

そうやって自分でも自分のことがよくわからなくなってきてるからこそ、
自分の考えを語るとき自信なさげになってきてるかもしれない。


でも、上の記事はまぁわからなくても別によくて、先に「姿勢を正せ」「恥ずかしくても胸はってみせろ」って言ってるんですね。

「自信があるから堂々としてるんじゃなくて、堂々としているから自信が出てくるんです」


というわけで「実際の自分はこんなにダメで―」という話はさておきもうちょい他人にこういうふうに自分をアピールしたい、というあたりを考えて振る舞いを意識してこうかな、と。



このあたり定期的に自分の中でグルグルしてる話題なので、同じく定期的にメンテナンスしないとダメですね。