このやりとりを紹介したかっただけの記事
Sutâ Torekku Intô Dâkunesu (2013) - Quotes - IMDb
「敵の敵は友達だろ」
「それを言ったアラビアの王子は民衆に殺されましたよ」
「またすごい引用ぶっこんで来たな……」James T. Kirk: The enemy of my enemy is my friend.
Spock: An Arabic proverb attributed to a prince who was betrayed and decapitated by his own subjects.
James T. Kirk: Well, still, it's a hell of a quote.
これだけでは寂しいので一応最近のネタなんかついても雑に言及しておきます。
反自民、反エスタブリッシュで人気を集めたがアンチにとどまり
「アウフヘーベン」はスローガンだけという小池さん周りを見ているとうんざりする。
そもそも、反〇〇だけしかいうことがない人間のいうことなど価値がない。
反〇〇ってのは、「現状に不満がある」って言ってるだけにすぎない。
何も考えなくても言えることだし何も言ってないのと同じだ。
別に代替アンガーという話ではない。
「現状に不満がある」というのはそれはそれで意味がある。もちろん軽く扱ってよいというわけではない。
しかし、これをもとに何かを行うことはできないということだ。
何の権限もない、何も背負うものがない、誰にも何も期待されてない(と思いこんでる人たち)人が無責任にこういうことをいうのは好きにしたらよいが、その人たちには何も与えるべきではない。
「不満がある」人は、自分で意見を出さないまでも「ではどうすればよいか」を選ぶ必要がある
そうしなければ、小池さんみたいな人が出張ってくることになってしまう。
俺たちは若いからバブルの頃は知らない、って言ってる人でもいい加減わかってるはずだ。
自民にお灸をすえろ、で反自民という旗頭しかない民主党を選んだらどうなったか。
反ヘイトスピーチで最初人気を集めたが空中分割したしばき隊の皆様
全部言ってることは「まだ〇〇で消耗してるの?」って言ってるアレと同じだ。
こういう言い方をしてる人たちは、ほとんどの場合「自分だけがよければそれでいい」のだ。
彼らが提案する問題解決の視野は狭すぎる。
「反〇〇」は言うは易すぎるし、それをもとにつながるのは簡単なことだけれど、
大事なのは、反〇〇の先に何があるか、であって、それが示せないなら部分的に改善していくしかない。
「反〇〇」というゼロかイチの思考しかできない人は「ワインバーグの法則」を知っておこう
まずこれ。
ルウディーのルタバガ法則
第一番の問題を取り除くと、第二番が昇進する。高度困難法則
第一番の問題を取り除いたとき、第二番を昇進させるのはキミだ。
小池百合子は第一の問題を取り除いたかもしれない。
しかしその結果、小池百合子が第一の問題になってしまった。
反〇〇が主張することというのは必ずといってよいほどこういう結果をもたらすのだ。
そういう雑な認識をしている人は「問題を取り除こう」とする。
その問題を取り除いたときに他の問題は発生しないのかを考えない。
そっくりそのまま取り除いてもだれも困らないのは互助会の記事くらいである。
(本当は、互助会ですらそのまま取り除くべきではない)
問題解決に関するスパークスの法則
問題を解決できる見込みは、問題を起こしたのは誰なのか見つけ出そうという立場に近づけば近づくほど減少する。
ディーラーの心意気
みんなを信頼して、でもカードは切るんだ。彼らに何でも好きなことをやらせておこう。ただし彼らに、自分たちの身を守るすべを教えておこう。いつも依頼主を信用しよう。だがカードは切ろう。
たつきフレンズ問題においてまさしくこれが目立った。「反〇〇」として、わかりやすい悪を叩くという構図で群がることの拡散力と弊害がこれでもかと現れた事件だった。
反KADOKAWAを旗印に大きな動きは発生したが、結局彼らがやっていたことはそのKADOKAWAが何とかしてくれるまでひたすら怪文書を量産し続けたことだけだった。彼らがやっていることは事態を混乱させるだけで、問題解決をただただ困難にさせただけだった。
もちろん「たつき監督復帰の署名活動」などを行った人たちもいたけれど基本的には関係のないところに電凸したり、確定していないうちから吉崎観音たたきを始めたりとろくでもない人たちが多かった。
今回騒いでいた人たちは、KADOKAWAが態度を硬化させたらどうするつもりだったのか。自分たちの無力さをこそよく実感して次からの行動に生かすべきだ。
一〇パーセントの約束の法則
決して一〇パーセントより多くの改良を約束してはいけない。一〇パーセントの解決策の法則
もしたまたま一〇パーセントを超える改良をしてしまったときは、それが気づかれないよう手を打つこと
何かおかしいという時でも90%は機能しているものだしそれ以上を変えるくらいなら、ゼロからやり直した方がいい。反〇〇を主張している人間が「うまくいっているところ」についての知見をもっていないようならその人間の言ってることは聞くに値しない。青〇才が教育について語ってる記事とかは読むに値しない。現場を知らないガキのたわごとに過ぎない。
マービンの大秘密第三番
どんな処方にも二つの部分がある。
その一つは薬、もう一つはそれが正しく使われることを保証するための方法だ。
代替案というのはここまで示されているもののことである。「薬」についてそれなりに意見を出す人間はいても、オペレーションについては経験がないと難しい。この点において、この前のフミコフミオ氏のマズイ給食問題についての言及は本当に素晴らしかったと思う。問題が起きたとき、ああいう記事こそ読んでみたいと思う。
ちなみに、スタートレックinto darkness は結構面白そう。見てみたい。
第十四回『スター・トレック イントゥ・ダークネス』 | 映画時評|神戸映画資料館
謎のテロリストによる無辜の市民を巻きこんでの連邦中枢部への襲撃をきっかけに、いったんは決裂していたカークとスポックとが和解し、超法規的措置として、遠い星までテロリストを殺害しに行くという展開は、いかなる現実の「大問題」を下敷きにしているかがあまりに明白で、そんな映画はキャスリン・ビグローに撮らせておけといいたくなる。だが、連邦と一触即発の状態にあるクリンゴンの領土に逃げこんだテロリストが、別に敵側に味方しているわけではなく、主人公らにとって友/敵の対立を超えた存在であることがわかるにつれ、映画は俄然おもしろさを増す。それ以降もカークたちは、味方だと思っていた人物と敵対する状況に追いこまれ、目前の危機を乗りきるために、今の今まで敵だった人物と組むことを強いられるといったように、単純な対立と思われた図式は二転三転し、そのせわしない反転のメカニズムこそが、現実の「大問題」への物欲しげな目配せを振りきって映画を疾走させる