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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「理不尽なキレ方」をする人の恐怖は、直接被害を受けた人以外に伝わりにくいものなのかな

dot.asahi.com
読みました。


うーん。いつもは鴻上先生の話はただただ頷くばかりなんですが、今回はちょっとしっくりこない。もちろん、この見立てであっている可能性もあるんですが。

友達と先生の前だと、不機嫌の出し方、出方は違っていたんじゃないですか?ですから、あーこさんは自分の不機嫌をちゃんとコントロールできているのです。できないという相談ではないのです。

これだけで判断していいもんなんでしょうか。本当は質問者の人ってもっと激しくキレたりしてるんじゃないでしょうか、って心配になってしまう。なんとなく、あの鴻上さんでさえ、この問題については軽く扱っているのかなあとか勝手に考えて勝手につらくなってしまった……(もちろん、鴻上先生はまったく悪くないです

なんかつらいさんなので、ここからは鴻上先生の記事とはまったく関係ない個人的な呪詛めいたことを書きます。

理不尽に不機嫌になり、その感情を抑えられない(加害衝動を抑えられない)人をものすごく警戒してしまう

なぜわたしがこんな風に感じたかというと、最近二つの作品を読んだことがあるのと、こういう理不尽な怒り方をする人が身近にいてものすごくトラウマになっているからです。


先に作品のほうを紹介しますね。

『キレるわたしをやめたい』

「母親が子供に暴力を振るうことはゆるやかに許されている」というのは女性にとってものすごく不幸なことだと思う - この夜が明けるまであと百万の祈り

著者は、ふだんはむしろ温厚なのに、夫のふとした言葉に我を失うほど怒りが爆発する、という自分の癖に悩んでいたという。はじめは暴言だけだったのが物を投げたり暴力を伴うように……とエスカレートしていき、そのあとひどく落ち込むのでなんとかやめたいのに、自分ではどうすることもできない。

http://webmag.nttpub.co.jp/webmagazine/703/

『どんどん仲良くなる夫婦は家事をうまく分担している』

どんどん仲良くなる夫婦は、家事をうまく分担している。

どんどん仲良くなる夫婦は、家事をうまく分担している。

「女(男)は感情的だ」と思っている人は、自分の話し方が「売り言葉」になっていないか一度点検してみよう - この夜が明けるまであと百万の祈り

この二作品は、ものすごく自分の中でのヒット作でした。

見境ないほどキレる人ってどんな感じ?

ここで描かれていた「キレる」という状態がどんな感じかというと……見てもらったほうが早いと思う。どちらの作品もどちらも公式でWeb上に公開されているので1ページまるっと引用します。

f:id:tyoshiki:20190522021605j:plainf:id:tyoshiki:20190522021612j:plain
とてもコントロールができるようには見えない

こうなってしまったら、もう鴻上さんが言うようになことを考えることはできないと思う。むしろそうやって無理やり頭で考えようとすると余計に反動でキレてしまうような気がする。

「キレさえしなければいい人なのに」なんて言葉は、キレることを制御できない以上、なんの慰めにもならない

うちの場合、母親が割と似たような感じなんですよね。「突然キレて制御がつかなくなる人」なんです。この状態の母は、一時的にパニック状態に陥っている。そのため会話や冷静な思考なんてできなくなってる。言葉でなだめようとしようものなら余計に暴れるんですよ。

なにより周りの人間にとって恐ろしいのは、こういうキレ方をした人は、自分がなぜキレているのかがわかってないように思うこと。ほとんど酔っ払いと同じなのだ。さんざん暴れまわったあげく、しばらくたつとキレてたこと自体を忘れていたかのように急に通常モードに戻ったりなれなれしく話しかけてきたりする。

こっちは唖然とするというか、感情のやり場がなくなってしまうんですよね。だから、どんどん腫れ物に触るような扱いになっていく。ところが、キレる側の母親は、自分が相手から見てどういう状態だったかよくわかっていない(自分の状態を把握する余裕がちゃんとあるならあんな風に暴れない)から、他の家族の態度に対してストレスをため込んでさらに爆発しやすくなる、の悪循環。

しんどいはずなのに「否認の病」にとらわれて自分に固執するいる母親を見るのがつらかった

母は母の中でもちろんつらい気持ちとか我慢してることとかたくさんあったのだと思います。なにか家族に訴えたいものがあったんだろうとかそれ自体を否定するつもりはないです。

でも、いつもキレ散らかした後反省して改めようとするでもなく、自虐したり、こちらの愛情をしつこく確認してきたりするこの人は完全に病気だと思っていました。私はだから今でもこういう母親に似たような振る舞いをする人が死ぬほど嫌いですし、ネットで自分は正しいことを言うつもりで暴力的な表現を好んで使う人にも虫唾が走ります。



私の中では、母親はたちのわるい酔っ払いと同じでした。酒の代わりに「怒り」に酔っぱらっちゃて前後不覚になるまで暴れる。私はアル中の実態は知らないけど「この家にはアル中が一人いる」くらいの認識でずっと過ごしてました。

母はさんざん家庭内では暴れたり暴言を吐く癖に、一方でものすごく世間体を気にする人で、何度医者に診てもらえって言っても拒否し続け、それを指摘するとそれだけでキレるから一時期本当に手の付けようがありませんでした。あれだけ迷惑をかけておきながら「自分はどこもおかしいところはない」「周りの人間が自分をイラつかせるのが悪い」と開き直ってしまう状態になってしまいました。

その後アルコール依存症に「二つの否認」という概念があることを知ったときには頭を抱えたものです。

健康で文化的な最低限度の生活(6) (ビッグコミックス)

健康で文化的な最低限度の生活(6) (ビッグコミックス)

アルコール依存症は否認の病と言われます。否認は2段階です。
第一の否認は、「自分がアルコール依存症であることを認めない」という否認
第二の否認は、「自分は酒さえ飲まなければ、何の問題もない」という、自分の責任を酒に押し付けてしまう否認です。
自分の問題は酒だけではなく、「その根は別の所にある、その根を断たなければいけない」と気づき、この二つ目の否認を解くことで新しい道が開けます

https://www.dansyu-renmei.or.jp/kouza/kouza9.html
これだけ手の付けられない人でも、攻撃の対象だけは選んでいた

そういえば、母は絶対に姉に対してだけはキレることはなかったですね。怒りの放出先だけは確かにコントロールしてる感じ。鴻上さんはそれだけを根拠に本人は不機嫌をコントロールできていると認識していましたが、私はついつい「だまされるな!」「もっと慎重に判断して」って言いたくなります。自分の母親とは違う人の話なのにね。ただ少なくとも、相談者が私の母親みたいな状態だった場合は、鴻上さんが言ったような「考え方を変える」みたいな理性的な方法だけではたぶん焼け石に水だと思います。

母親も、なんだかんだいって平常時にはそういう怒りを抑えるための本とか読んでたりしてたけどまったく意味がなかった。もっと根深いものがあったんだと思います。

ひとを愛することができない マイナスのナルシスの告白 (角川文庫)

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ちなみに私はこういう人のそばにいたので、否定的な感情を直接表に出すのはかなり苦手です。「嫌いです」とか表現できるのは対して思い入れがない対象に限られます。上で北条かやさんを嫌いとかけるのは、北条さんがわたしにとってどうでもいい存在だからです。本当に好きなものや嫌いなものについては、自分でも感情がよく把握できてなくなることが多いです。 一方で、文章書いてると「怨念がにじみですぎている」ときがある、みたいなことを何回かはてブで言われたことがあります。まぁそうなんだろうなとは思うけど、そういう風に言われるとなぜかうれしい気持ちになったりもします。

晩年になってから溜め込みすぎてキレる老害にならないよう、今から害の少ない形で発散しておきたい



なぜ「キレる人」は心が制御できなくなるのか

この問題に関して言えば、私は絶対に冷静な文章が書けないと思うので眉唾だなと思って読んでほしいわけですが。上にあげたいろんな作品を読んだり、バーンズさんのセルフヘルプの本読んだり、対人関係療法学んだり、発達障害について調べたり、とにかくなんとか「キレる時の母親」を理解したい、せめてこの災厄から自分の心を守りたいとかいろいろ試行錯誤し続けてきたつもりではあるので、そのあたりから思ったことを適当に書いておきます。

「自己肯定感」が低い、だけでは説明が足りないしどうしたらいいのかわからない。

これについてだけれど、この2作品のキレる人および、鴻上さんに相談していたあーこさんに共通しているのは「自己肯定感が低い」ってこと。しかし、これだけだと陳腐に聞こえる。

そもそも自分の心を把握していない。それが自分の仕事だと思えなくなっている

たぶんもっと深刻な状態なんです。

そもそも普段から今現在の自分の心を全く自分で把握できていないのです。自分の心のコントロールを自分でコントロールできる、という最低限の「自己効力感」すらかなり弱っている。


それは普段から、自分の心を自分で決めることを許されなかったり、心をないがしろにされて続けてきて「どうせ私の心なんて誰にとっても意味がない」と思わされ続けてきたからそうなってしまっているみたいです。

これは「キレる人ほど、キレた後に自虐や自己否定みたいなことはするくせにキレてしまうことそのものは一切改善しない」という私の中のイメージとも合致します。
自分の感情が暴走したところで、その責任は自分にはない。どうせ自分の心は自分のものではない、他人に操られるだけのもの、だと思っているから。

人には状況と心というものがあるんですね。普段人は状況同士で話をしているんです。
例えば B さんには嫌な上司がいてそれで悩んでいるとします。 A さんに対して「もう会社辞めようか」と思っているんだ、というような相談をしたとします。
この相談に対してさんは「辞めない方がいいよ」「こんな就職難の時に大変だよ」などと答えたりしたとしてますね。あるいは「辞めちゃいなよ」というような感じて答えるかもしれません。

これらは全部 Bさんの状況への返答なんです。
B さんは嫌な上司に悩んでいると言っているけれど、もしかしたら B さんは自分でも気づかずに別のことで悩んでいる場合があります。
例えば上司の期待に応えられない自分が嫌になっているかもしれないし、全く別の人への怒りを上司にいかされているのかもしれません。
それは Bさんの「状況」ではなく「心」に注目してあげるとわかることがあるんですね。この心に注目することがセラピーです。


つまり、キレる人はこの逆の仕打ちをひたすら受け続けてきたことになります。
readingmonkey.blog.fc2.com

「ああ、そうか。私はずっとボロボロに傷ついている自分を自分で無視していたんだ。周りからも状況にしか返答してもらったことがなかった、と今更ながら思います。例えば何か悩み事を訴えたとしても「彼氏がいるだけいいじゃん」とか「お母さんも大変だったんじゃないの」とか「暇だから悩むんじゃないの」とか「そんな悩みは贅沢だよ」という風に言われる続けてきました。

こうやって心を無視され続けるというのが続くと、自分でも心のありかがわからなくなってそれを制御できなくなっちゃう。その状況で夫から「状況」へアクセスされると、例えばただ単に「片付けてよ」と言われるだけでも心がそれに耐えられなくてパニック起こして切れちゃったりしていた。

これはさるころさんの夫であるノダDさんもほぼ同じような状況であるように思います。経緯はともかくとして自分の感情を自分の身体で制御することが困難になってしまっているわけですね。 いわゆる「魂の殺人」とか「ハラスメント」というやつです。自分の心と身体のリンクが切れてしまって制御権を失ってしまっている。この状態だと、ちょっとした刺激に対してもすぐパニックになってしまう。それが「キレる」ことにつながるというわけです。

黒い羊は迷わない 2 (ヤングサンデーコミックス)

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※「魂の殺人」について完全に離人症になってしまった子供を描いた作品として私はこの作品がものすごい傑作だと思ってます。


キレやすい人の4つの特徴

もうちょっと具体的に書いてる場所があるので引用しますね。

伝えたいことが相手に伝わったという実感を得たことがあまりない
心では自分のことを地球で一番どうしようもない人間だと思っている

ちょっとの失敗でもちょっとの否定でも地球上から追い出されるくらいの事態と受け止めてパニックになってしまう。

相手の意見は相手のものでしかなく、自分だって正しい部分があるという風なことがわからない

とにかく何か言われたら全部相手が正しいと思ってしまう。キレる時大声で喚き散らすから、「自分が正しい」と思ってるように相手からは見えるかもしれないけどその逆で、「パニックになって騒いでいる」ということは自分が正しいと思ってないってことなんです、弱い犬ほどよく吠えるって言うのはそういうことですよね

意識のピントが「状況」に合っていて、「自分の心」に気づかない

自分の心に正直になることは我儘だと思って限界まで押さえつけてしまう。漠然とした「自分って損してる」感に常に苛まれているにもかかわらず、なんとなくその自分の心は無視して我慢しなきゃっていうふうに思い込んじゃうわけです。 本当は心の中では全然納得できない「つらい」とか「本当に自分はそんなにダメな人間なのか?」って感じてるんだけどもそれを頭が拒否してしまうというような状況です。

こういう仕打ちを受け続けてきたせいで、軽く「状況」にアクセスされただけで、「この人は今私の心を無視してまた私を傷つけようとしている」と抵抗を感じる。それでいて、自分の心を表現する方法としては「キレ散らかす」ということしかできなくなっているから、手の施しようがない。


原因が分かったとして「キレやすくなった人をどういやすか」

ここから先の部分は主に「キレる私をやめたい」からの引用です。

男女で分けるのではなく、誰だって人は「自分の心」に注目してほしい

心に注目する方法というのは、セラピーだと体の状態や今の気持ちを聞くことです。そしてその人自身が今を味わうことです。セラピーの時に、「怒りを思い出し体で感じてみてください」とか「体は今どうなっていますか」という風に聞いたりしました。
その後、その人自身がこの辺がカッカする感じだとかそういう風に答えてもらった。これは、その人自身が体の状態今の気持ちをしっかりと考えて認識するというところを重視しているからです。
そして、嫌な上司で悩んでいる B さんが実際になりに起こっているのかとか原因が分かっても分からなくてもそれはどっちでもいいんです。

人間は誰かに「心の部分」に注目してもらったり、自分で心の部分に注目する、ただそれだけで癒されるんです。

「共感する」よりも「心にアクセスする」という表現がしっくりくる

心にアクセスしてもらって夫への怒りというのは、お母さんへの怒りだったのかもとぼんやり気づきました 。
自分の心が注目してもらえて「やっと話を聞いてくれた」、という風な形で癒されたということなんです。
人って、自分の心に注目してもらえるただそれだけのことでこんなに満たされるんだ

普段日常生活での会話ややり取りを見ていると、本当に自分の「心」にではなくて「状況」にしかアクセスしてもらえないんだなということがよくわかります。
そのぶん自分で自分の心に注目できていればいつでも自分で満たすことができる。その安心感こそが大事なんですねこのように「心」の部分に注目するのがセラピーの特徴なんです。

ちょっとスピリチュアルよりな話にも思いますが、これはすごく大事だなと。巷で言われる「人の話は解決しなくてよい。共感するだけでよい」というのは、本質はこういうとなんじゃないかなと思います。

普段人と話をするとき共感するっていうのは「否定するな」「肯定しろ」って意味じゃない。「状況」の話はしてなくて。自分の「心」にアクセスして欲しいんだ。そこを間違えるなってことなんじゃないかな。

たとえばこんなイメージ


子供が「ぶどうを食べたい」と言った時にどのように受け答えするか。
この時に今までは「ぶどうを今日は買ってないよオレンジならあるよこれでいいでしょ」という風に答えたりしていただけです。そうすると子供としては「イヤだ!ぶどうがいいの!食べたい!ぎゃー」というふうに騒いだりするわけですね。

これについて心にアクセスするというのはどういうことかと言うと
「ブドウがあるかないか」という状況は一旦置いておく。そしてまず「ぶどうが食べたいんだね。だってぶどう大好きだもんね。なくて残念だね」という風なことを言ってあげる。そうすると、別にブドウがなくても子供は泣き止む。その後で「ぶどうがないからオレンジでいい?」という風に言えば子供は普通におさまったりします。

きりがないのでまとめ

とりあえず言いたかったことは「キレたり」「暴言を吐く行為」を日常的にやってしまうって人は、、周りの人間に深刻なダメージを与えるし、自分も傷つくから、真剣にそれが治していくべき「病気」だと認識してほしいってことです。発達障害の私が言うのもなんですが、これは個性で済まされる話じゃないと思うので。

そのうえで、ある程度メカニズムとか治る道筋は確立されているので、ぜひ勇気をもって、まず現状把握からスタートしてほしい。否認の病のトラップにとらわれないでほしいです。

自分でできる対人関係療法

自分でできる対人関係療法

対人関係療法でなおす 双極性障害 - この夜が明けるまであと百万の祈り
最近読んだ中で一番お勧めの本はこれですかね。

追記:複雑性PTSDというらしいです。

ja.wikipedia.org
複合的な心的外傷後ストレス障害 (C-PTSD) は感情的なこと、そして対人関係の機能の多くの領域における慢性的な困難が特色である。感情調整の障害、解離症状、身体愁訴、無力感、恥、絶望、希望のなさ、永久に傷を受けたという感じ、自己破壊的および衝動的行動、これまで持ち続けてきた信念の喪失、敵意、社会的引きこもり、常に脅迫され続けているという感じ、他者との関係の障害、その人の以前の人格状態からの変化などが含まれる。もしくはこれを指してDESNOS(Disorder of Extreme Stress not otherwise specified)と呼ぶことを提唱している研究者もいる。

複雑性PTSDの主症状は解離である。解離とは意識に上る前にある心理内容と、他の内容との連結を無意識的に断絶する事を指す。一方で抑圧というのはそれらを積極的に追い出すことで葛藤がもたらすものを支配することを指す。それゆえ解離状態の体験が意識化された際は本人の苦痛は激しいが、抑圧の場合はそれがない。

その状況は心理的外傷を生み出す圧倒的状況が過ぎた後も保持され、自己の本来的な感情、記憶、危機意識を麻痺させ現実検討能力の全般的低下をもたらす。また、解離の働きが不完全な場合、保障行為としての解離的適応行動としての一時的防衛の一つとして嗜癖行動等をきたす。さらに解離の働きが不完全となりそれらの防衛が突破されると、性的強迫観念に基づく不特定多数との性行為など危険な行動を起こす。この性的強迫行動をGoldら (2002) は「性嗜癖・強迫衝動(sexal addiction/compulsivity、SAC)」と呼ぶ事を提唱した[10]。SACの状況においては通常の性の喜びは存在せず、単純な性的興奮及び麻痺、屈辱感、不快感がもたらされる。また、解離性トランスも促しており、痛覚消失物質オピオイドも同時に発散されている

→やっぱり「キレる」ことで苦痛を無理やり和らげてるみたいなところがあるみたいですね。自傷行為や○ックス依存で安らぎを感じるか、キレることでオピオイドを分泌させるかの違いでしかない感じ。

こころのクスリBOOKS よくわかるパニック症・広場恐怖症・PTSD

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