田房永子「キレる私をやめたい」読みました。
この本の内容についても後で触れたいと思いますが、先にあとがきから。
「母親が子供に暴力を振るうことはゆるやかに許されている」ということの悲しさ
男性の暴力などについての情報や対処法はたくさんあって、切れることや暴力を振るってしまうことを矯正するプログラムを受けたりできるというのもよく報道されています。ネット上では「妻に暴力を振るわれる」「母親のキレ方が尋常じゃない」など、キレる女性本人以外の人からの悲鳴はよく見かけます。
けれどその女性本人がどうしたらいいのかという情報はほぼ全くありません。そのように「キレる女」に関して困っている人たちがいるのに、キレる女である本人が本当に直したいと思った時に治すための情報がすぐに見つからない、わからないというのは、「キレる女」は世の中から深刻に考えるべき問題でないと言われているような気がしました。放って置かれていると感じたのです。女の暴力は社会的に問題視されていないんだと気づきました。
私の場合は、子供が生まれてからやっと深刻な問題になりました。それまでは私のキレるというのは私個人の単なる癖であり、夫がそれに対して OK していればそれは問題ではなかったのです。だけど子供の前で夫に掴みかかったりグーで殴ったり警察を呼ぶくらい前後不覚になるような状態でいいわけがないと思いました。子供のためとかじゃなくてそんな自分に私自身が耐えられないと思いました。それに子供の事を殴るようになるのは絶対に嫌でした。
しかし、実際子育てを始めてみると「母親が子供に暴力を振るう事は緩やかに許されている」ということを肌で実感するようになりました。ある時、「子供を殴ってしまうことで悩んでいる」という女性に出会い、それを聞いた私は自分に何ができるのか知りたくて虐待防止センターに相談しました。そこで提示されたのは「通報」か「様子を見る」の二択だけでした。またある時は著名な教育者の講演会に行くと「子供に手をあげてしまうのことで悩みすぎないで」「何をされても子供はお母さんが大好きだから大丈夫」と、とんちのような言い回しで会場の母親たちを励ましていました。母親たちは目に涙をためてうんうんと頷いていました。そうやって具体的な対処法ではなく、「そのくらい大丈夫」「子供だってわかってくれる」という曖昧なフレーズで母親による子供への暴力を見逃すというのは今の育児の現実の一つであると断言していいと思います。
私はキレるたび、夫に暴力を振るうたび、とても傷ついていました。でも暴力行為と傷つきを結びつけていいとは思っていませんでした。元々傷だらけだから少しの刺激に過敏に反応して暴れて、他人を傷つけ、そんな自分の行動にさらに傷つく。他人に対して理不尽にキレたり暴力を振るうのは、自分の一番大事にしなきゃいけない部分を自分で破壊する行為だと思います。
だから、「それは間違ってるよ」と誰も教えてくれない、家族に暴力を振るっているのに見過ごされる、危機を感じてもらえないというのは実はとても悲しいことだと思うのです。
これ本当に恐ろしくて、母親って、夫から、家庭から、社会からネグレクトを受けてるようなものなのかもしれません。だからこそ、つながりを求めて怪しいもののにひっかかったり、逆に「子供をやたらと束縛する母親」が大量に生まれてしまうのかもしれません。
twitterでは母親からたくさん悲鳴が上がっているのを見ますが、結局母親クラスタ内で消費されてその外側に声が届いていないかなと思っていてそれも問題ですよね。ただ、申し訳ないですが、私はこのクラスタの雰囲気がものすごく怖いので近寄りたくないなと思ってしまってるところがあります……。
ネットの場合、「母親から子供」だけでなく、「女性から男性へのヘイト発言・暴力発言」もそろそろちゃんと問題にしたほうがいいと思う
あくまで一部の女性の話ですが、ネットにおいては自分の被害や、男性の加害性についてはものすごく細かいところまで騒ぎ立てる人がいます。その割に自分の加害行為や加害性に対してはあまり指摘されない。指摘されたり反論されると逆切れしたり仲間内でかばい合ったりしてしまう。そもそも本人たちが自分が加害行為をしているという側面を認識できていないというケースも少なからずあるように思います。
さらに言うと、この本でも書かれているように、男女問わず「キレる人」は誰に対してもキレるわけじゃなくて、「キレても大丈夫な存在を探して」その対象に対してだけキレるわけです。 おそらくだけど、ネットでキレ散らかしている人たちは、それ以外の話題に対してはひたすらニコニコ我慢しているというケースが多いでしょう。このため、ネットでは特定の話題や対象に「キレる人」が大集合することになります。オタク批判してる女性や、なんちゃってフェミ発言をしている人たちは、発言履歴をチェックしたらだいたい反原発とか反安倍みたいな発言もしています。理性的にものをいってるわけではなく、感情の出口をみつけさえすればなんでもいいので論理もくそもありません。こういう人たちがいる話題は、とにかく「不機嫌な職場」ならぬ「不機嫌な人たちの集い場」になります。 近寄ったら負けですね。私も以前はまともに相手しようとしていましたが、もうこの人たちの相手をしても相手の不機嫌につきあわされてこちらも不機嫌になるだけなので距離を取っていこうと思っています。
少し話が脱線しましたが、「キレル女」に対して世間では男ほど批判されない、問題視されないということについてですが、ネットではよく「女性がひいきされている」とか「ダブスタだ」という指摘がされます。これは間違いなく一つの側面です。ただ、田房さんはそうではなく「キレる女は、自分の傷に耐えられなくて(表現が間違っているけれど)切実に助けや理解を求めている」のに、あいまいな言葉ではぐらかされたり、真剣に取り合ってもらえない、ととらえているわけですね。「キレるに至った経緯」や、「本人がどれだけ傷ついているか」ということをわかってもらえない。わかってもらおうとさえしてもらえない。「あんたの悩みは大したことじゃない」と門前払いされる。だからどうやって自分の問題を解決していいのかもわからない。
これは悲しいことだし、人生が袋小路に感じられて息苦しいのではないかと思います。
正直、男側のように、あれこれ言ってもらえる方がまだましなんじゃないかなと思う。
私自身「つらいことをわかってもらえないことのつらさ」については何度も語ってきました。こういう話をしても全く相手してもらえないとなると、もはやネットでよくみかけるような「狂人」にならざるを得ないのではないでしょうか。
およそ、不幸を伝え得ぬというほどの不幸はない。彼は貧しかったから不幸であった。野心に挫折したから、あるいは女に裏切られたから不幸であった。このような不幸には理由がある。つまり告白すれば他人が耳を傾けてくれるのである。だが理由のない不幸(略)をどうやって伝えられるか。しかもそれが日夜生理的に耐え難いほどに身と心を責めさいなむとすればどうしたらよいか。このようにいえば、人はおそらくそれは狂人の不幸、むしろ単なる狂気にすぎないというであろう。だが、私はそのような不幸の実在を信ずる。信じなければ、夏目漱石の作品にあらわれた仮構の秩序は理解できない、という理由によってである。
「キレる女」=「狂人」としてまともに取り扱ってもらえないのはわかっているのだからやり方を変えたほうがいいよね
とはいえ、やり方が間違っているのに、自分が望む反応を求めるというのは人間としてクソオブクソオブクソだと思っています。
あげく、それで自分が大事にされてないと自分を憐れむというのはもはや邪悪を通り越して最悪です。
www.tyoshiki.com
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自分が被害者だと思っているし、他人に無関心なくせに誰かがいつか自分を助けてくれると望んでいる。
だが、それこそ悪より悪い最悪と呼ばれるものだ。他人を不幸にまきこんで道連れにする真の邪悪だ。
以前から言っているように、ミサンドリをこじらせてはてなブックマークでさんざん暴言を吐き散らして他人に迷惑をかけ続け、自分の行為が原因でさらにヘイトを集めその反応に対してまたヘイトをため込んでいくという自家中毒症状を起こしている人には道場も共感も何もありません。生きるのがつらいのはわかるけどそんな表現しかできないならさっさと一人で死ぬしかないじゃない。 それが嫌なら表現を変えようよ、素直に助けを求めようよ、と思っています。
というわけで、田房さんのこの本とか読んでみたらいいと思うんです。
キレる私をやめたい ?夫をグーで殴る妻をやめるまで? (バンブーエッセイセレクション)
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自分の「箱」ならぬ「井戸」から出る方法を考える
詳しくは記事を分けて紹介していきたいと思いますが、さわりだけ。
とにかくキレる人は
①「状況」にダイレクトに反応してしまう。「自分の心や考え」が機能していない。
②相手の反応を待てない。受け止める余裕もないから自分で勝手に考えて勝手に結論づける。
③自分を悪者にしておいたほうが落ち着く。
という3点が根本的な問題になっているようです。
なので、キレる人をいくら批判しても「そうだよ。どうせ私が悪いんだよ」と開き直ってしまう。
相手の答えを待つ時間、私はこれを持つことができなかったんだ。
どっちか悪いってことにしないと落ち着かないから、暴れることで「自分が悪い」って状況にしてた。
きっと夫も、そういう関係がちょうどよかったんだ。
それでうまく行ってたから、それでも別に良かったんだと思う。
サンプルが多いはてなブックマークで考えると、最近やたらとデマに流されやすかったりする人が増えていますが、これは「状況」だけみて自分で考えるという部分が弱くなっているからかもしれませんね。あと、はてブはサービスの性質上文章を読んで、自分で勝手に解釈して、一方的に自分の考えを押し付けることができてしまいますが、これをやりすぎると「相手がどう思っているか」を考えなくなる、みたいなところがあるように思います。
はてブをやっているとどんどん「キレやすく」なるかもしれないので気を付けましょうね(笑)
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私自身のこと
以前も書いたことありますが、私も普段は穏やかで、むしろ感情がわかりにくいと言われるくらいですが、特定のことに対しては割とキレやすいです。
私の場合は男だし社会人なので、女性と違って安易にキレることなど絶対に許されませんでした。
自分のつらさは少しずつネットで吐き出したりしてきたつもりです。おかげで最近は毒性が薄まってきたのかリアルでも人付き合いが割と自然にできるようになってきたと思います。ブログを通してのデトックスは6~7年くらいかかったと思う。
なので、暴れるくらいつらいなら、できるだけ人を傷つけないように気を付けながら、純粋に「私はこういうところがつらい」「こういうときに傷つく」「こういうことが嫌いだ」とかいったモヤモヤを一つ一つ自分の外側に出していってみるのもよいと思う。旧世代療法と言われてはいますが「筆記療法」や「認知行動療法」は継続すればちゃんと効果があるよ、というのははっきり言えると思います。
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※ちなみに、これはブログでやるべきです。間違ってもtwitterやはてブでやるべきではない。傷ついてる人間、心がボロボロなので、簡単に他人に影響されます。ちゃんと自分のホームで、他人に影響されない形で、しっかり文字数をかけてやるべきです。ほかならぬ自分のためにやることなのだから。はてブは対立をあおる上、党派性が強いので「そっちに行きたくない方向」に強化される可能性も強いです。私もはてなブックマークやってましたが、私のような人間ははてブをやるべきではないんだと思ったので今後はてブを公開状態にすることは二度とないと思います。