頭の上にミカンをのせる

マンガアニメ大好き兼業投資家の日記です

つらい

ちょっとやむやむしてるし文章もめちゃくちゃなので、この記事はそっ閉じ推奨。

心に病を持つ人間にとって、最悪なのは周囲の人の目だ。  
彼らはいつも私に「普通にしていろ」というメッセージをぶつけてくる
(映画「ジョーカー」より。うろ覚えなので改めて映画観たときに修正する)

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相変わらず発達障害と知的障害が一緒くたにされたりまとめて見下されたりしてる光景がちらほら目に入ってつらい。

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最近立て続けにこういう記事を読んで、自分も何かを言いたくなってきているがうまく言葉にできない。
でもいつか自分の言葉でちゃんと語らないといけないなと映画「ジョーカー」を見て思う。

私は映画「ジョーカー」に共感したというような人間とは友達になれないし、
自分の不満を、他人に、まして殺人ピエロに代弁してもらおうなどとするのは論外だと思う。

私は映画の終盤に暴れまわっていた群衆を心から軽蔑するし、同様に
面白半分だろうが真剣だろうが、N国党に投票した人間はどういう言い訳をしようがピエロだ。

と私個人としては思っている(他人には強要しない)ので、だからいつか何かを書きたい。







それにしても、今感じるのはただただつらいということだけだ。
一応多少は発達障害について配慮がありそうなはてなですらこれなのだから、まぁ一般的な認識だともっとダメなんだろう。

ついでに言うと、一般人のもつ発達障害のイメージは
「ADHD」の方が強く、ASDはなかったことにされるかせいぜい劣った人間とみなされることが結構あるような気がする。

いちいち指摘するようなことはしないが、
普段差別が嫌いとか言ってる人間が、ASDについては露骨な見下し発言を平気でやってたりしている。

あれは割と本気でつらくなる。
差別についての意識高いつもりでも発達障害は差別してもいい対象なんやなって。
どうせこういう記事を書くんだったら、例示のために5~6個くらいはメモしておけばよかったと後悔している。


要するに自分を普通だと思ってる人からすると、
発達障害というのは幅広いというか「補集合」というか「得体のしれないもの」を放り込んでおくためのゴミ箱みたいなものであり
「理解できないやつ」というレッテルを張るためのものになっていたりする時が結構あるのではないか。

別に理解できないなら理解できないでいいのに、
変に「わかってるふりをしようとする」人間がこの言葉を使うとたいていろくなことになってない気がする。

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別にわからないものを無理にわかろうとしなくていいのだが、理解するための努力は惜しむが分かったような顔をしたがる人が本当に多い。

あと、はてなは特に「周りの顔色を見てどういう風な態度をとるか決める」という思考をする人が多い。
いわゆる「学級会」の時から全く思考回路が変わってないような人たちだ。
「どう考えるか」じゃなくて「どっちの方向を向くか」ばかり考えている。
「結局お前ら自分の頭では何一つ考えてないだろ。周りの顔色見て合わせてるだけだろ」って感じることがある。


名指しは避けるが、こういう人たちは、「これを言ったら差別になる」というのが周知されてる項目についてはやたらと敏感に騒ぐが、
発達障害などについては、周りの顔色を見ながら無神経なことを言っても許されると思っているのか、と思うようなときがある。
もちろんそれは私自身にも8割くらい当てはまる話なので、他人を責める資格なんてないのだが、こと発達障害の話になるとついムキになってしまう。





なんの資格も持っていない私ごときが発達障害全体について語るのはおこがましいことではあるからやらないが、

一つのサンプルとして発達障碍者の「人から軽んじられやすい」ことの苦しみとか
逆に「どういう風にすれば高いパフォーマンスを発揮できるのか」とかそういう話はしたいといつも思ってる。


もう十年以上前の話になるが、私は発達障害ではあるが受験では東京大学に合格した。
東大生には発達障害の人間(特にASD)は結構多いという話は聞いたことがある。
その後も特定の条件を緩和さえしてもらえれば仕事で人より高いパフォーマンスを実績として出してきた。



それでも、仕事をしていて7割くらいの環境では、「あいつは変わってるから」と軽んじられたり見下され続けてきた。

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私は今の世の中に発達障害と診断される人が増えてきたのは、単に組織がガチガチに人を縛って自由を奪ってしまったからだと思ってる。

私は中高大学の間はそれほど生きづらさを感じることはなかった。
人との関係や、努力の仕方を自分なりに調整できる環境なら私は普通の人と変わらなく生きることができた。

なのに、会社員という働き方はあまりにも「人としての振る舞い」を狭く定義し、それに当てはまらないものを排除しすぎだと思う。
組織自体が「人間不信」によって成り立っているかのようであり、当然その「不信」は職場にも伝染して、お互いがお互いを監視しうようになる。
こうなったときに真っ先に「攻撃対象」となり、つぶれていく人間を「発達障害者」と言ってるだけに過ぎない。

私はいろんな制約条件を背負わされるとホワイト企業ですら働き続けることが苦しい。
数年間うまくいっていても、上司が変わったことで適応障害になって退職せざるを得なくなったこともあった。
逆に、一般的なブラック企業みたいな職場でも、特定の条件が満たされれば意外となんとかなる。

発達障害者には、「せめてここさえ配慮してくれればもっとちゃんと働けるのに」ということが結構あって
それをお願いして通じる場所とそうでない場所では生きやすさが全く違う。

さっきも言ったような「周りの顔色を窺って周りと同じようにふるまえ」みたいな職場は最悪である。
一人一人の普段の振る舞いにはあんまりこだわらない、という職場はぶっちゃけブラック企業か営業くらいしかない。

私は営業という仕事が大嫌いだが、それでも仕方なくずっと営業をやっている。帰ったら毎日ぐったり疲れてて家では何もできない。
そういう状態から抜け出したいとこの数年ずっとあがいてきた。

結局仕事ではなく株の方で幸運があったおかげで、ようやく経済的にはあと1~2年でそれがかないそうというところになってきたが、
だとしてもしかし今までずっといろんな我慢を強いられてきた屈辱は忘れられない。
もうすっかりおっさんになったし、もやは自分で自分の存在も肯定できないで、もう何も取り返しがつかない。

会社のギチギチの縛りに耐えられるということがそんなに偉いのか。
そうやって適応できない人間を見下して攻撃するのがそんなに楽しいのかと思うことが多々ある。
もう発達障碍って言葉だけは何年も言われ続けてて、みんな知ってるけど、せいぜい厄介者程度の認識しかない状態はいつになったら変わるのか。
自分が受けた屈辱や苦しみに対する恨みはどうやって晴らせばいいのだろうか。



最近はそういうネガティブな感情がふつふつと湧いてきていて非常によろしくない。
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なんかこう、発達障害者であることを前向きに飯のタネにでもして自分を肯定できるようになりたいな……。