頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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褒められたいわけでも相手をけなしたいわけでもないけど「当たり前」と思わないでほしいことってあるよね

[B! 生活] あめちゃん on Twitter: "夫が「デマに騙されてトイレットペーパー買う人はバカだなぁ」と笑ってたので「私が普段からストックしてるから買いに行かずに済んだだけであって、あなたが我が家のトイレットペーパーの在庫を気にして買いに行ったことがこれまで一度でもあったか?私の努力にタダ乗りするな」とキツく言ってしまった"

これなぁ……。言い方がキツいというかズレてるとは思うけど、気持ちはものすごくよくわかる……気がするんですよね。

この発言については3つの論点があると思ってます。

①身内が軽率に他人をけなしてる姿を見るのは苦痛であること
②シャドウワークの評価はどうあるべきか
③コロナショックで余裕がなくなっていること

そのうちの1つ(シャドウワークの評価はどうあるべきか)についてちょっと思ったこと書いてみます。


些細な問題なのに、コミュ障すぎて「あなたもやってね」といえずストレスを貯めた経験が私にもあります

私、今の会社に入社したときに配属された部署では「ゴミ捨て」とか「段ボール捨て」とか「書類捨て」とか「シュレッダーのゴミ捨て」について明確な担当がなかったんですね。

で、なんとなく気が付いた人がやる、みたいなことになってたんだけど、これだとやらないでゴミがたまってる日が多かった。入社直後で余裕があったしこれからお世話になるからと私が毎日捨てるようにしたんですよ。


そしたらまぁ……お察しの通りです。他の人が誰もやらなくなったんですよね。別にそういうつもり全くなかったのに「ゴミ捨て係」にされてしまった。


まぁそれでも普段は「まぁいいか」と思ってやってたんですが、ショックだったのが、入社して2年目くらいの時に一週間ほど休んでる間、さすがにゴミは捨ててたみたいだけど書類とか段ボール、シュレッダーが全部そのままになってたんですよね。 しかもシュレッダーは詰まってて動かなくなったまま放置。


さすがにこりゃあかんと思って
・「私は自主的にやってるだけで私がやることに決まってるわけじゃない」
・「普段は私がやるでもいいけど私がいない時は誰かやるように指示してください」

って部長に言ったんだけど、「そういう機会はあんまりないから大丈夫」みたいな返しをされてげんなりしました。


それからは意図的に毎日やらないようにしてたんですが、やっぱり誰もやらない。帰ろうとしたら「〇〇さん、今日はゴミ捨てしないんですか?」みたいに声かけられるようになったり、忙しい時期の日中に「シュレッダーが詰まりそうなのでゴミ捨ててください」と声かけられるようになり、さすがに我慢できなくなって改めて部長と直談判し、掃除当番を決めることになりました。


相談したとき部長も嫌そうな顔をしたし、それを知らせることになったときに周りの人がめっちゃ嫌そうな顔をしたし、たぶん陰でなんか言われてるんだろうなと思うと自分まで嫌な気持ちになってしまって、最初に自主的にゴミ捨てやったこと事態が間違いなんじゃないかという気持ちにさせられました。


これ、大した問題じゃないのはわかってるんですよ。だからどこかの段階で周りの人に自然な形で「みんなもゴミ捨てやってね」って言えばよかったんですよ。それができずに勝手に我慢して勝手にストレス貯めてる私はどんだけコミュ障やねん、って話です。


ちなみに私は全くきれい好きではありません。


感謝されたいわけでも褒められたいわけでも相手をけなしたいわけでもないんだけど「無いもの」扱いや「当然」扱いされるとつらい

ただ、こういうことって他の人でも結構あるんじゃないかなと思ったり。

大したことじゃないから、些細なことだから普段わざわざ「私これやってます」ってアピールとかはしない。大げさに感謝されたり褒められたりされたら逆に困る。ましてこれをやってるからといってマウントしたいわけじゃない。なのに、それを「無い」ように扱われるとふざけんなって気持ちになる。相手がものすごい無神経であるように感じてしまって「何か」を言いたくなる。でも「相手にわかってもらうためにどう言ったらいいのか」がよくわからなくてモヤモヤしてしまうもの。


掃除とかに限らず普段の努力とかもそうで「あえて見てほしい」ほどじゃないけど、「それをないことにされると自分自身を否定されるように感じる」ものってないですか?

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自分ではⅠのつもりなのに伝わってなくてⅢになっちゃってるのかなぁ


私のゴミ捨てごときでもモヤモヤするのだから、家事や子育てにおいて女性が感じているモヤモヤはどれほどのものだろうと思います。このモヤモヤをすぐに「男女差別」という言葉で回収しようとする雑なネット言説はクッソ嫌いですが、このモヤモヤをないことにしてはいけないと思う。


「シャドウワーク」や「センチネル」的なものをどう評価すればいいのか

実際こういうのは「シャドウワーク」とか村上春樹がいうところの「センチネル」に当たると思うんですよね。意外とこの部分こそが人間にとって一番大事、まであるんじゃないかなあと。

今はすっかり残念な人になってしまいましたが、私は昔内田樹さんの記事が好きで、その中でも印象に残ってるのが「忍耐通貨」の話とこの「センチネル」の話です。この二つの話だけでも内田さんはすごい人だったと私は思ってます。

blog.tatsuru.com

村上春樹はおそらく青年期のどこかの段階で、自分の仕事が「センチネル」あるいは「キャッチャー」あるいは「ナイト・ウォッチマン」である、ということをおぼろげに感知したのだ。
『アフターダーク』は二人の「センチネル」(タカハシくんとカオルさん)が「ナイト・ウォッチ」をして、境界線のぎりぎりまで来てしまった若い女の子たちのうちの一人を「底なしの闇」から押し戻す物語である。
彼らのささやかな努力のおかげで、いくつかの破綻が致命的なことになる前につくろわれ、世界はいっときの均衡を回復する。
でも、もちろんこの不安定な世界には一方の陣営の「最終的勝利」もないし、天上的なものの奇跡的介入による(deus ex machina)解決も期待できない。
センチネルたちの仕事は、ごく単純なものだ。
それは『ダンス・ダンス・ダンス』で「文化的雪かき」と呼ばれた仕事に似ている。誰もやりたがらないけれど、誰かがやらないと、あとで誰かが困るようなことは、特別な対価や賞賛を期待せず、ひとりで黙ってやっておくこと。そういうささやかな「雪かき仕事」を黙々とつみかさねることでしか「邪悪なもの」の浸潤は食い止めることができない政治的激情とか詩的法悦とかエロス的恍惚とか、そういうものは「邪悪なもの」の対立項ではなく、しばしばその共犯者である。世界にかろうじて均衡を保たせてくれるのは、「センチネル」たちの「ディセント」なふるまいなのである。

仕事はきちんとまじめにやりましょう。衣食住は生活の基本です。家族はたいせつに。ことばづかいはていねいに。というのが村上文学の「教訓」である。それだけだと、あまり文学にはならない。でも、それが「超越的に邪悪なもの」に対抗して人間が提示できる最後の「人間的なもの」であるというところになると、物語はいきなり神話的なオーラを帯びるようになる

http://blog.tatsuru.com/2005/12/27_1058.html

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  • 作者:内田 樹
  • 発売日: 2011/10/19
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コロナ問題の渦中における今のインターネットはまさに"「邪悪なもの」の対立項ではなく、しばしばその共犯者"に陥っていると感じます。

www.tyoshiki.com

みんなが激情にかられ、過激な言葉を使って注目を集めることを良しとする。「魂の錬金術」ばかりがもてはやされ、みんな自分は正義だと思ってるのかもしれないけど実際は邪悪なものと共犯になってる人たちがたくさんいるように私は感じます。私はそういうインターネットはあんまり好きじゃないです。

ただ「シャドウワーク」や「センチネル」に気づいて評価するのは難しいし、まして自己申告することも難しい。どうしたらいいんだろうね

そういうわけで、私はこういうものをすごく大事で美しいものだとは思っているのだけれど、しかし私は他人のこういうの全然気づけないタイプの人間です。


だから「みんながこれに気づくべきだ」とは絶対に言えない。だいいち、これは形にして褒めなければならない、ということになったら美しさが失われてしまうたぐいのものだと思う。


とはいっても、相手は私と同じように「些細なことだから」といって普段は黙ってそういう作業をやり、余裕がなくなった時にため込んだものを吐き出してしまう。 だいたいそういうときに言うと言葉もキツくなるし反発も受けやすくなる。それはとても悲しいことだ。


だからどうしたらいいんだろうって思う。「秘すれば花」的なものとして扱うのが良いのか、それとも美しさなんていいからある程度評価しあう仕組みを設けるべきなのか。


というか、昔から本当に思うんだけど。お互いのこういう「見えない部分」を評価しあえない人たちが夫婦になっているという感覚が私にはよくわからないです。twitterでバズってる人たちが例外で世の中の9割の夫婦はちゃんと目に見えないところも含めて尊重しあってるって信じたいよ……(サンタクロースを信じる幼児並感)。

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