頭の上にミカンをのせる

マンガアニメ大好き兼業投資家の日記です。WORLD END ECONOMiCAアニメ化のCFを応援しています。

「ひゃくえむ。」 はてな民が大好きな「自己肯定感」についておそらく終着点に近いところまで掘り下げて描かれた作品

今後はてなで「自己肯定」という言葉について何かを語るのであれば、まずこの「ひゃくえむ。」を読んでからにしてほしい、と言いたい。
そのくらい「自己肯定」について一生懸命掘り下げて描かれている作品。

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「陸上漫画」としてではなく「なにかに挑んだり抗う人生」についてえがいた作品

この作品はもともとマガジンポケットで連載されていたマンガです。ただ、「チ。」の紹介記事でも書いた通り、主人公の内面の葛藤が主体のお話であり、かつ「賢い人間が、ダメだとわかっていて理不尽な選択をする」のがテーマの作品なので連載マンガとしてみると、テンポが凄く遅い。3話ごとに少しずつ話が動く、みたいな作品でした。かつストーリーがどこに向かおうとしているのかがわかりにくいため安心して読めない。などなど、「アプリ漫画」にとても不向きな作品だったし、ぶっちゃけストーリー自体は割と既視感があるもの。陸上漫画としてみたら全然ダメじゃないかと思うようなところもあります。

ただ、私はこの作品かなり好きです。 こういう作品こそが「マンガだからこそ表現できるもの」だと思うから。

この作品で描かれる「今ここだけがすべて」という感覚の描き方は「ゴンさん」を思い出させるものであり、
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その上で「ゴンさん」と違ってチートのない私たちは、勝負の場の場が終わっても「終わらない人生」を生きる必要があるという現実とも向き合っています。



この両方の中での葛藤をしっかり描き切ってくれたところにこの作品の価値があると思っていてこれは実際に読んでみてほしいです。なんというか……魂のこもった名言のオンパレードなので、あれもこれも引用したくなってしまいますが。 とにかく読んでみてくれーって感じ。



もともとは「好きだから」ではなく「楽だから」陸上をやっていた主人公

昔、俺にとって陸上は生きる上で一番楽な選択肢だった。
楽だから依存した。
結果、俺は陸上抜きのコミュニケーション能力を失った。

走るのは怖い。
だが、走らないのはもっと怖い。
もう退路はない。俺がとれる選択肢はただ一つ。
0.01秒、勝ち続けるしかねえ

いいじゃないか。はじめて人の役に立てるぞ。
才能の枯れたお前に訪れた最後のチャンスだ。

そもそも、お前好きじゃないだろ、陸上。
勝利の涙も敗北の涙も流したことないだろ。
そんなお前が走る理由はなんだ?誰の役に立ってる?
お前が陸上したって、クソの意味もないだろ。しがみつくなよ陸上に、みっともない。

そもそも俺は、何のために走って……

孤立しないためだろ?不安から逃げた先には安心があるからな。
そこへ行くためにその足はついてる。簡単な話だ。
だが、お前にはもう、その実力はない。

方法は一つだ。
孤立が嫌なら、アメフト部に入れ。
それがこの地獄にたらされた一本の糸だ。
つかめ、登れ。そこが最後の安全地帯だぞ

(中略)

いいのか?熱に浮かされた人間の末路は、敗北だぞ

自分にとって陸上が
コミュニケーションの手段として、ちやほやされる手段だけの意味しかなかったのであれば
トガシくんにとっての陸上はこの時点で終わっていた。


でも、動機がどうあれトガシくんにとって陸上はそれだけの存在ではなかった

「俺は速いぞ。もしそんな俺がこの現状に何かを感じていて
 この脚は逃げるためじゃなく戦うためについていて。
 孤立なんてクソどうでもいいと思ってたら。俺は、どうすると思う?」

「これで戦って勝っても他人(みんな)が変わる確証なんてない。
 でも、自分(あんた)は変わる。」
「いやいやいや。言ったろ。人には与えられた役割がある。僕はここの役だ」
「じゃあ、俺はあんたを変える役だ。」
「……勝手に決めるなよ」
「勝手に決めます。俺たちの役割は、俺たちが勝手に決める。他人にも偶然にも現実にも決めさせない。
 ……先輩。もう弱者のフリはやめましょうよ。あなたそんあにけなげな人間ですか?本当は持ってるんじゃないですか?怨念。

きちんと葛藤乗り越えて、すっぱりした顔で戦いに挑むっていう展開は王道で好きです。
ここまでは「よくある展開」ではあるけれど、逆にいうと安定感のあるお話だったと思います。



ただトガシ君が戦っていたのは最初から最後まで「自分」。「自分」との戦いに勝つためにどうすればいいかをずっと考え続けていた

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選手とか評価とか道徳とか規範とか世論とか常識とかそういうことじゃない。俺という人間が一人。外野から見ていて純粋に不快だった。だから、あんたたちに勝ちたいんだ。俺がスッキリするために

「私たち、いまさら練習して勝てると思う?」
「いまさら、遅いかもね。けど…とりあえず練習はする。」

たった100m遅いのが、他の人生のどんなことよりも悔しいッ!この痛みの治療法は一つしかない。ダメだとわかり切ってても、もう直視するしかない。俺は走るしかない。

ただ、部活物なのに、「人と人のつながり」とか「仲間が大事」みたいな話に落とし込まない。
決してそれらを否定するものではないけれど、そういったものはあくまで手段であり
トガシくんの目的は最初から最後までずっと「自分」に勝つことに向けられている。

このあたりの描き方が独特で見ごたえがあります。



最終章においてはプロの100m勝負の場で、多様な人生観のぶつかり合いが描かれます。

ここから正のヒーローであるトガシ君と、ダークヒーローである小宮君の因縁の戦いを見られる……と思ったら予想外の展開に

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なんと、トガシ君と小宮君の対決は描かれません。

一応勝負はするんですが対決にすらならない。

トガシ君は、小宮君に圧倒的な差をつけて敗れます。

そして、いきなり10年後に時代が吹き飛ぶ。

このころには、小宮がが日本代表を目指す第一線のランナーであるのに対して、
トガシはもはや最前線の選手でもなんでもなくなっています。




それでも、トガシはなんとなく陸上を続けている。

高校のインターハイまでは「勝つ」ことを目的に熱い気持ちで戦っていたものの
現在では自分の衰えと向き合いながら「とりあえずプロ契約を維持していければいい」というテンションに落ち着いています。


そんなところから最終章が始まります。

31話から40話までの短い1.5冊分の位のボリュームですが、ここから先が「ひゃくえむ。」の本編だと思います

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最終巻で描かれているのは「厳しい現実」との向き合ってその上で「自己を肯定する」ということの答え

①自分がそれをやりたいという理由があれば現実からは逃避できる

現実は勝手に消えてくれない。
不思議なことに、この世は俺が勝てない「現実」であふれている。
が、これも不思議なことに。とうの俺は、次こそは俺が勝つと信じ切れている。

なぜかわかるか?

現実は、逃避できるからだ。

現実ごときが俺の意志には追い付けない。
俺の勝利が非現実的なら、俺は全力で現実から逃避する。
現実逃避は俺自身への期待だ。

俺が俺をあきらめていない姿勢だ。
例えどんな正論、洞察、真理、啓蒙を振りかざそうと。俺は俺を認める。

それこそが俺の使命、仕事、生きる意味、走る理由。

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②ただし、単に現実から逃避すればいいというものではない

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現実に対し、目をふさいで立ち止まるのと、目を開いて逃げるのは大きな違いだ。
きっと、現実を直視するのはとてもつもなく恐ろしいことだ。
認めたくねえことも認めなきゃいけねえ。

でも、本当に現実を変えたいなら、現実を否定したいなら
向き合ったうえでやらねえとダメだ。じゃなきゃ、目を閉じて立ち尽くすことになる。

現実が何かわかってなきゃ、現実からは逃げられねえ。気をつけろよ。

③現実を「本当に知って」その上で立ち向かうってのがどれほど残酷でえげつないことかということ。
「それでもやりたい」ならだれにも自分の歩みを止めることはできないということ

俺は惨敗してるんだ。おれは、とっくに終わってるんだ。これが現実だ。

でも、そんなことより一番大事なのは。

誰が望まなくても人に迷惑をかけても、世界が終ろうと、現実が道をふさごうと!

俺がまだ走りたいんだ!俺だけはまだ!勝ちたいんだ!

俺の人生で出会った人々に教わった。

全身全霊で勝負するのは、誰かに評価されに行くのは、震えるほど怖い。
憂鬱で不安で、心配で辟易して焦って悩んで億劫で。とてつもなく嫌気がさす。
でも少し、本当に限りなく、ごくごくわずかな一瞬だけ。ワクワクする

その一瞬のためなら、何度だって人生を棒に振れる。
だから負けるな。絶対に負けるな。
どんなくだらないことでもいい。人生をかけよう。

最終的には「今この時を全力楽しめるなら、人間は不死鳥のようになんどでも再生できる……ハズ!」というところまで読者を連れて行ってくれる。

主人公の心が乱れまくってるこの展開は本当にグッとくるので、4巻と5巻だけでも読んでみてほしいです。

37話から40話までのラスト4話は、あくまでもマンガ的なお話であって陸上漫画としてどうなんだろうって思わないこともないです。でも、最初からこの作品は「陸上競技そのもの」を描くことではなく陸上競技というメタファーを使って「過去も未来も捨て去って、今この時に短い距離を全力疾走する」という姿を描きたかったのでしょう。

いろんなことを考えさせられる終わり方になっています。




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…そう、一度も、味わったこと無い程の幸福。
俺にこんなことができるなんて。
こんな気持になれるなんて。
この気持を味わうために、俺は生まれてきたんだって、そう思った