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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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モンスター社員Bさん的な人間だった私が、たった2年間だけ有能な社員として機能できたことがあるという話

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の続き。この記事についてまぁこういう事を言う人がいて。

この人は前後のツイートを見る限り、口で偉そうなことを言ってるだけで具体的な提言ができるわけではなさそうですね。


でも、彼が言いたいことはすごく同意です。

なんでかというと、私は自分自身がBさんみたいな無能だったけれどたった2年だけ、とある上司のもとでだけは有能になれたことがあるから(ちゃんと結果も出して会社で表彰されたので間違いない)。

私は「上司が上手く使ってくれれば無能と思ってた部下でも使える可能性があること」を身をもって知っているんですよ。

そのくらい、上司ってすごく大事。

なので、「私みたいなモンスター社員ってどうすればいいんだよ」って話のヒントになる話はできると思う。

ちなみに、私の上司に対する理解が甘いせいで再現性が弱いです。

先の記事で書いた通り、私はこのときの上司をイメージしながらモンスター社員さんに対峙したけどうまくいかなかったしこの上司のとき以外のわたしは結局無能なままだからです。

私が理解している部分以外にもいろいろ大事なところがあるのだと思う。

一つだけ確かに言えるのは、「上司次第で部下は結構変わるよ」ってことですね。なので、私が足りなかったところを補足してくれる人がいたら嬉しいですね。

SIerのシステムエンジニアとして採用された私は、自分でもドン引きするくらい無能でどうしようもなかった

anond.hatelabo.jp

話の内容が結びつきにくい、連想ができない。
話の内容Aと話の内容Bが繋がりにくい。

・Aさんが明日○○に行くと会議で話す
・数時間後AさんとCさんが営業内容話をしていた

これがまったく繋がりません。

ほんまこれ。

私最初に就職した会社がSIerだったけど、ホワイト企業だったのに適応障害になって退職した話はしたことある。

www.tyoshiki.com

これについてもっと詳しく書いておくことにする。

私は完全にこのタイプであり、応用が効かないから一個ずつパターンを作り上げていくしかない。

そういう人間にとって、私は複数部署を自由にまたいであちこちすり合わせや折衝をする、っていうのが本当に苦手だった。

みんな自主的にいろんあ部署を渡り歩いて雑談して情報とってきて、それを元にやり取りをしていた。

私はこれが何をやってるのか全然分からなかったし実行できなかった。

そもそもいつ自分の席を離れていいのかが分からなかった。

何回か自分のおもったタイミングで席を離れて他の部署に話をしにいったが、「なんでこのタイミングで離席したんだ」と怒られて萎縮してしまった。

「今から~の話ししに行くので離席しますね」というとだいたい引き止められる。「自分でタイミングくらい見計らってくれ」と言われるがそれがわからない。

離席せずにメールで遣り取りをすると「ちゃんと顔を見せに来い」と言われる。

どうしていいかわからなくなって、しだいに席を離れられなくなり、ひたすら技術資料を読み込んで資料作りをするだけになってしまった。

最初は部署の人だけじゃなくて私だってやればできると思ってたけど、翌年以降新入社員ですらできるようなことが、入社して数年経ってもできるようにならなかった。

最初はすごい期待されてたのだけれど、失望され具合が半端なかったなあ……。

というか、未だに全然できない。なんでみんなできるの?って思ってる。

最後の最後まで、言われた作業をこなすことしかできなかった。

自慢ではないけれど言われた作業をこなすのはめちゃくちゃ早いし的確だった。でもそれは会社にとっては付加価値が殆どない行為だった。

だからほとんどの時間が手持ち無沙汰だった。

ろくに仕事もできないのに、ひたすらサボってずっとネットサーフィンをしてた。罪悪感が半端なかった。



もう一つ苦痛だったのが、会議。

私は会議で何も発言せずに2時間座っているというのができたことが殆どない。

ただ、下っ端のうちは会議で発言することはなく、ただ議事録をとることが求められる。

じっとしているとすぐに脳がスリープモードに入るので、半年もたたずに諦められて会議室から追い出されることになった。

会議中は一人ぼっちで事務作業、逆に他の人が別の作業をしている間に一人ぼっちで録音を聞きながら議事録おこしとかやってた。

会議に参加できないということは、自分の意見を伝える機会もなくなるということだ。

「ただ大人しく座って議事録を取る」という、他の人間が当たり前にこなしていることが私にはできなかった。

私は尋常でなく無能だったし、無能ですら無くただの空気だった。自分でもここまで何もできないとは思っていなかった。


そんな感じで私は最初の会社ではずっとずっと無能なままだった私でも、たった2年間だけ有能だった時がある

私が唯一と言ってよいほど優秀だったのはM課長の下で働いて「新商品の企画開発」の仕事をしていたときだけだ。

法学部出身ということと、無能ゆえに暇を持て余しているということで特許申請作業の手伝いをすることを前提に駆り出されたのだが、これがめちゃくちゃ肌にあっていた。

少人数チームだったこともあり情報のやり取りはダイレクトだったし、上司のM課長が私の扱い方をよくわかってくれていて、タスクを細分化してくれた。

なによりも大きかったのが「他の人に追いつく時間」=「みんなとコミュニケーションをするために必要な勉強をする時間」を業務時間中に取ってくれたことだ。

私は、ちょっとでも他の人よりビハインドがあるとその瞬間に何もできない無能に成り下がる代わりに、自分で言うのも何だけれど他の人よりアドバンテージがあると結構優秀なのだ、と思う。他の人より時間がかかるけれど、一人でちゃんと予習をして、ちゃんと準備する時間さえあれば、ちゃんと仕事ができるのだと認めてくれて、その時間的猶予を与えてくれた。
togetter.com

最初は手続きに必要な法律の勉強をしていただけだったが、途中からは認められて企画の話し合いにも参加させてもらい、さらに決まった内容を営業部門に社内セールスする仕事なんかもやらせてもらえるようになった。自分の中でできることがすこしずつ広がっていく感覚は、自分がRPGのキャラになったような、今で言えばなろう小説の中の人になったような高揚感があった。残業をするのも全然苦じゃなかったし、なんなら課長と、チームメンバーの人と一緒に飲みに行って飲み会の場で仕事の話をするのも楽しかった。今まで無能無気力キャラだったのに、いくらでも湧いてくるかのような感覚があった。



上司次第で、私のようなモンスター社員ですら使い物になることを私は体験で知っている

考えてみれば受験の時から私はとにかく周囲の人と比べて要領が悪かった。一度身につけてしまえばほとんどミスしないが、できるようになるまでが遅かった。でもあの時は、どんなやり方でも試験までに間に合わせていい点を取れば認めてくれた。

ところが入社してからはそれが認められなくなった。要領が悪く、リアルタイムでテキパキとやり取りができない人間は何もさせてもらえなかった。何もできないから、やりたくない仕事だけ延々押し付けられて、メインの仕事から遠ざけられていく日々の中で自分がどんどん腐っていくのを感じていた。

でも、M課長のもとではちょっと生き返ることができた。他の人とは違うやり方だけれど、自分なりの手順を踏んでやればできるのだと、その時初めてわかった。
(もう期限切れてるけどこのときの過程で会社が取得した特許には自分の名前が載ったときも誇らしかった)


この時は初めて仕事が楽しいと思えた。このときの自分は絶対に無能ではなかったと断言できる。多少美化もされているとは思うが、この期間は今でも自分の中で今もキラキラ輝いている。

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