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『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』のレビューメモ:「物語への依存と、シュライアーの感じる道徳的恐怖のしつこい強調」


とりあえず実物を読めないので、英語版を読んだ人の感想を見ておくしかないですね…出版されていたらこれは「ゲームの歴史」同様読んでみたかったかも。


というわけで、とりあえずそれぞれの感想記事のメモだけしておく



1つめ トランスの問題自体はもっと議論されるべきという立場からの書評。中立ではない点に注意

note.com
https://www.goodreads.com/en/book/show/52076947#CommunityReviews

シュライアーのレトリック過剰な文体は、せっかくの発見の機会を棒に振ってしまう。

オンラインのトランスジェンダーコミュニティは、当事者の強い意図により存在している“見せ物小屋”である。シュライアーのような人物にとって「普通」と感じられるような配信はしないだろう。実際、彼らは「普通」よりも良いものになりたいと思っているのだから。彼らが 「普通より良い」と考えるものは、なぜ多くの精神衛生上の問題を伴うのだろうか。なぜジェイク・エドワーズは性同一性障害の「新しいタイプ」を考案したのか。一般的な性別違和と併存できると考えた理由は何なのか。これらの疑問が大事なのではないだろうか?

ジェンダーはあまりにも個人的なものであるため、われわれは皆、個人個人の前提から逃れることも、自分の感情や経験の落とす影を見過ごすこともできないのだろう。そうした幻想に切り込み、現実に何が起きているのかを突き止めようとする本こそを、われわれは必要としていた。トランス、デトランス、そして彼らを愛する人々の人生を客観的に調査する。どちらかの味方をするのではなく、事実を伝える本が必要だったのだ。しかし、シュライアーにはその本を書くことができなかった。共感的な支持者の誘惑と、非常に個人的なテーマに対する氏の素朴な反応は、打ち勝つにはあまりに強大すぎた

2つの弱点——物語への依存と、シュライアーの感じる道徳的恐怖のしつこい強調——は、「ジェンダーイデオロギー」への抵抗と言われている。
しかし、シュライアーもジェンダーイデオロギーを持っている。シュライアーのジェンダーイデオロギーに同意しない読者の前では、すべての前提がもろくも崩れ去ってしまう。ページをめくった瞬間訪れるはずの恐怖に共感しない相手からすれば、それは論でも何でもない。アビゲイル・シュライアーが主張している——全世界がその口を塞ごうとしているはずの——偉大な真実とやらは、完全に主観的なものだ。
氏は、自分にとっての「真実」を語っているにすぎない

2つめ 海法さんの記事はかなり「煽り」が強く、どこまで信用していいのかちょっとわからない

note.com

・全体的には「昔は性の乱れがなくて良かった」というだけの話であって、その根拠は著者の主観である(なお著者はジャーナリストであり医者や、医学研究者ではない)。根拠となる注等にも専門書や論文は、ほとんど含まれておらず、様々な間違いが指摘されている。

・著者は、トランスジェンダーに反対するのではなく、トランスジェンダーでない未成年の誤診断を問題としている、というが、一方で、正しい診断がされる場合については、ほとんど言及しておらず、ジェンダー教育は有害であり、子供をおかしくすると主張している。子供達がゲイとの連帯をするのにさえ親として怒れと言っている。






3つめ 結論には同意できるが、途中の記述に疑問符が湧く

anond.hatelabo.jp
ちなみにこの増田について、結論部分は同意なんだが

青少年が公言する性自認を、それ以上の診断的評価なしに医学的移行への動きとして受け入れるという肯定的アプローチには、明らかなリスクがある。これが、医学的移行に対するこのアプローチに懐疑的な最近の英国の裁判所の判決の背景にある理由のようである。私たちは、どのような青少年が医療移行への迅速な移行から最も恩恵を受けるか、またどのような青少年がさまざまな介入からより多くの恩恵を受けるかについて、より良いデータが必要である。いずれも、トランスジェンダーの権利と福祉、そして彼らに課せられた敬意を損なう必要はない。学者には、急速に発症する性別違和が実在するかどうかを研究する余地が必要である。私は、査読と科学的再現性と訂正がこの問題を解明すると確信しているが、ツイッターの怒りに応じる形での科学的検閲は問題を混乱させるだけだろう。
結論として、ここには検討すべき有効なアイデアがいくつかあると思う。しかし、特にアイデンティティ・ポリティクスが激化している時代には、データの複雑さや困難な状況のニュアンスを考慮する意欲と、より多くの情報が必要であることを認める知的謙虚さを持った、より多くのデータに基づいた研究が必要である。

「ジェンダー・アイデンティティが生物学的なものに基づいている」ってのは断言してしまったいいのだろうか…?

ジェンダー・アイデンティティは視床下部に存在し、そのようなものとして、ほとんど不変であることが神経生物学的証拠から判明している。端的に言えば、トランスジェンダーは、ある性別の身体を持ちながら、別の性別の脳を持っているということだ。そのような個人は、尊敬と思いやりに値し、嫌がらせやいじめから解放されるべきであり、自分の好む代名詞や名前が尊重されるべきであり、恋愛、結婚、子供を持つこと、養子をとることも自由であるべきなのだ。

ジェンダー・アイデンティティが生物学的なものに基づいているという考えを、それを示唆する証拠が豊富にあるにもかかわらず、シュライアーが平気で否定するのには呆れた。ある時、シュライアーはこう書いている。「XX染色体が刻印された女の子の脳が男の子の体に宿るというのは、生物学的にナンセンスだ」。染色体とは関係なく、子宮内でのアンドロゲン暴露が視床下部の発達に影響を与え、性自認に影響を与える可能性はある。そのことを理解していないこの見解に、私は顔面蒼白になった。

他にもオススメのレビューあったらマシュマロとかで紹介よろです。

普段は津田さんのことは全く信用しない立場だけれど、本件については津田さんの意見に近く、私はキャンセルカルチャーの話としてはあまり考えてません






以下は特に上記の本と関係のないつぶやきです。これはサブスクの人だけ読んでくれればおk

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