頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

最近のこのブログのお気に入りは「アークナイツ」です
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今後「自分の気持を自分で表現しようとせず他人に代弁してもらうのが当たり前になってる人たちの扱い」がどんどん厄介になっていく

追記

id:ryotarox 2023/12/26
申し訳ないけどはてなに散見される迂遠な文章と思った。「考えた順」と「事前知識の無い読み手が理解しやすい順」は違う。はてな特有の引用をカード状で示すUIもわかりにくい。引用は文章で書いたほうが。

全く持ってそのとおりです。

そのうえで、ryotaroxさんはちゃんと考えられる人だと思うので
「はてなに散見される迂遠な文章」はなぜはてなで散見されるのかについて、読者視点ではなく書き手目線で少し考えてみて欲しいです。

私はryotaroxさんがおっしゃるような構成の記事を書けないことはないです。
実際に収益を目的とした場所(※noteではありません)では今でも「一見さんが理解しやすい順」を意識して記事作っていて、そちらはこのブログより10倍くらいアクセスあります。
私は技術的にはそういう順番で書くことは可能です。

そして、本当ならはてなブログでも「事前知識の無い読み手が理解しやすい順」で話を組みたかったしそういう風に記事を書いていたこともあります。

しかし、はてなブログではそういう風に書くことはむしろデメリットが大きいと感じるようになりました。
そうでなくても単純に割に合わない。「事前知識の無い読み手が理解しやすい順」って簡単そうに言うけど割りと手間なんですよ。自分で文章書いてるならわかると思うけど。
もともと手間がかかる上に、それが報われないどころかはてなブログではデメリットすらある。

だから私は「あえて」こういう書き方に落ち着いてるんです。
このブログでは積極的に「事前知識の無い読み手」や「はてブ経由でやってくる一見さん」はお断りしております。

このブログでは常連さんだけが読んでくれればいいと思ってます。
冗長で読みにくくても、ちゃんと読めばそれなりに価値があると思ってもらえるような話はしてるつもりなので、お前も常連にならないか?

(追記)記事内のお返事感謝/ 見出しは面白そうで 読みたいのに 本文が期待と違ってた という感想でした。 気を悪くされたら陳謝

タイトル部分の内容は有料部分で書いてます。気を悪くされたら陳謝。



本文ここから

私は普段からこの手の人間についてはしつこくしつこく批判し続けてるわけなのですが

www.tyoshiki.com
www.tyoshiki.com

しんざきさんがこの汚い……めんどうくさい話題に切り込んでくれているのは珍しいかも。




blog.tinect.jp

それにしても、記事を見ると、あらためてしんざきさんの記事は気遣いの塊でできておるなあ…。安定感がぜんぜん違う。「商業媒体で記事を書けるというのはなによりもこういう安定感や気遣いができることが第一なのだ」というのがわかります。それを勘違いして岡田育さんに「逆に、なんで僕みたいな人ぐらい数字飛ばせない人がライター名乗ってるの?面接でパンツ見せたの?」とセクハラ発言をした人いましたね



しんざきさんの気遣いというのは例えばこのあたりです。


・まず、できる限り批判の対象を限定する(ネットのみんなではなく身近な人の話から考えたという態にする)
・そして、批判といっても「苦手に感じる」という表現で自分の問題として表現する。
・人は批判しない。あくまでも「◯◯の要素」が問題なのだという問題があるある行為を取り上げる。

私が苦手に感じたのは、「他の誰かの気持ちを代弁すること」自体ではなくて、

・仮想的な他人の快/不快というデリケートな要素を安易に議論に持ち込んでいる
「自分はどう感じるのか」という重要な要素をマスクして、「不特定多数の誰か」をダシに自分の意見強度をドーピングする構図になっている

その「快/不快」の源泉は、本当に「自分」ではないのか?何故「自分自身」の快/不快を表明しないのか?

そもそも、「そういう言い方は良くないですよ。私はいいんだけれど、〇〇な人が傷つくかも知れないから」という言葉に、何でわざわざ「私はいいんだけれど」などという留保が必要なのか。
(中略)
この、「自分」をマスキングして数の力を頼ってマウントをとろうとすることに、私はなんともいえない気持ち悪さを感じてしまう
(中略)
わざわざ「これは私の感覚じゃないよ、他の不特定多数の人たちの感覚だよ」とお化粧する


さらに、これを批判対象の行為をやってる人たちに対して
あなた方は十分尊重されるに値する存在なのですから、こういうことをしなくても大丈夫なんですよ、とフォローをする

別に「自分が不快」ならそれはそれでいいじゃないかと、それで十分尊重されるべきじゃないかと、少なくとも私は思うんですよ。あなたの気持ちは、それはそれでちゃんと尊重されるべきである。「自分が不快」というのは、決して「他の誰かが不快」に劣るものではなく、十分参考にすべき材料になり得る。

ここまでケアできればたとえ正しいことをいってても自分が批判されてると持ったら脊髄反射で文句を言ってくるサル……いや、はてなブックマークユーザーでもそうそう簡単には文句を言わないはずです。

b.hatena.ne.jp


とにかく丁寧である。


このあたり読むだけの人は何気なく読んでるかもしれませんが、普段から文章書いてる側の立場からしたらかなり丁寧であることがわかるはずです。

読み手の人はこれが当たり前だと思わないほうが良いですよ。
これめちゃくちゃ「ヨシヨシ」されてますからね。
この人の記事を当たり前だと思ってしまうと他の文章よむのつらくなりますよ。



あと、この記事防御力高いなあと思います。

これ真正面から否定するのすごい難しいでしょ。
自己満足での批判くらいならできるかもしれないけど、否定ができにくいように組まれている。
この記事が気に入らなかったとしても自分のお気持ちを述べるかレッテルしかできない人がほとんどだと思う

はてブ民のように、ネットで人の粗を探して文句つけるときしか自己表現ができない寄生虫スタイルな方々は
自分を表に出さずに一方的に他人を殴るのが当たり前になってるだろうけれど、この記事は「自分」を出さない限り否定できない。
卑怯者の寄生虫しぐさが染み付いてるはてブ民泣かせの記事だと思います。



ただ、しんざきさんの記事が見事であるがゆえに
しんざきさんの意見は「反論はされにくい」だろうけれど
これがちゃんと腹落ちする人は少ないんじゃないかなって思いますね。

この記事を読んで「そのとおりだ」って思える人は
最低限の自己表現ができるというハードルを越えられるひとでありそれってかなりの上位層に限られるんじゃないかなと。



今インターネットで自分の考えを主張するのはめちゃくちゃハードルが高くなってしまっており、そのせいで自信のない人たちや面倒くさがりやは些細なことでも全て他人に代弁させるようになってしまっている

しんざきさんの記事は気遣いに溢れているわけだが、それゆえ
逆説的に「ここまで気を使わないとなかなか意見を言えない」と感じさせるものがある。


つまり今インターネットで自分の考えを主張しようとする場合

・問題の解像度を高める
・言及する対象をできる限り限定する(何かを批判する場合は特に気をつける)
・人ではなくて行為を具体的に指摘する
・さらにまともに文章を読めず感情だけで反応するサルの感情をケアする


といったスキルセットが必要ということになります。
どれかが欠けている場合、炎上リスクが高まることになる。



これってめちゃくちゃハードル高いよね…。



私はこのあたり、気をつけてやろうと思えば一応できなくはないとは思いますが、めんどう臭いです……



そして、こういっちゃなんですが、私ですらまだマシな方なのかなと。



つまり、多くの人はこういうことを「やろうと思ってもできない」んですよ。

自分の気持を他人に伝わるように説明するということ

それどころか他人に伝えようと意思することすらがまず難しい。

これって訓練しないとできないんですよ。

だからはてブ民を始めとする大半のネット民って、他人に寄生しないとネットでものを言えないわけじゃないですか。








しんざきさんは、このように述べていますが

「自分が不快」ならそれはそれでいいじゃないかと、それで十分尊重されるべきじゃないかと、少なくとも私は思うんですよ。あなたの気持ちは、それはそれでちゃんと尊重されるべきである。「自分が不快」というのは、決して「他の誰かが不快」に劣るものではなく、十分参考にすべき材料になり得る。

残念ながら、ほとんどの人はしんばしさんと違ってボンクラです。私もしんざきさんと比べたらボンクラです。

ボンクラには、そもそも「私の気持ち」を他人に伝わるように説明する技術もメンタルも無いんですよ。

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