頭の上にミカンをのせる

マンガアニメ大好き兼業投資家の日記です

少なくない数の人たちが「もはや自分一人で怒ることができなくなっている」ことがとても怖い

私はこれを見て、「ワンピース」の魚人島編を思い出しました。

魚人島のボスは「自分自身に何の動機ないからこそ、無限に英雄願望に突き動かされてどこまでも他者を憎悪できる。しかもそれで周りの支持を得ているからもはや止まることもできずにどんどん過激になっていく」という空虚な存在。
この人物は今のネット時代のネトウヨや、ミソジニーミサンドリーなどの「分断の社会」をいやがおうにも意識させます。正直今読むからこそ面白いなと感じるくらいですが、これを5年以上前に描いてたというのだから本当に鋭いなと思います。

https://www.tyoshiki.com/entry/2019/01/27/145730

自分たちは自分たちの事情でそれぞれ怒ってることがあるはずなのにそういった個人的な事情で怒ることをどんどん抑圧していった結果として、

①誰かに「怒ってもいい相手」(社会的に承認されたパブリックエネミー)を見つけてもらって

②その他人が差し出した「怒ってもいい相手」を殴ってスッキリしようとするけど

③いつまでたっても満たされなくて延々と他人が差し出す「怒ってもいい相手」を追いかけ続けている

っていう人がいますよね。満たされないのは当たり前なんだけどね。

いくら代替物として関係ない他人殴っても怒りの原因なくならない。自分の怒りの原因にちゃんと向き合わない限りそれは残り続けるし、まして他人のたたきに参加したら「他人の○○はちゃんと批判されて叩かれてるのに自分の原因である△△はなぜ誰も攻撃してくれないのか」と、他人に感化されてストレスを感じてもよい敷居だけ低くなるのに、それでも自分では怒れないから余計にストレスたまってしまう。。結局怒りってちゃんと自分で自分ごとに対して怒る以外は不毛なんだと思う。自分ごとにできず、他人事に怒ってみせるなんてのは本当に余裕がある人だけやればいい子に余裕がない人ほどこういう行為にのめり込んでる気がする。



んで、そういう安心してお手軽に他人を殴りたいという最悪な欲望がが高まりすぎたせいか、今のtwitterの「不満ぶちまけ」空間は白いたい焼き屋やバブル期の不動産みたいなことになってます。

①「怒ってもいい相手」を調達する側の質がどんどん悪化していく。嘘松(藁人形的エピソードの捏造)や三為業者(他人のエピソードを転売するやつら)みたいなクズが増えてくる。

②供給業者は不動産テックみたいな名前で客をだましたり、参加した人がやけどをするような無理筋な理屈で人を叩き始める(ただのミサンドリをフェミニズムと偽装したり、ただの女キモオタの解釈違いや好みの違いを正義のように粉飾する)

③対立関係が発生したらお互いに相手を悪者にして罵り合う構図を維持することで対立をあおる業者だけが焼け太りしていく。

こういう間抜けな構図でしかない。


「怒る対象探し」から「怒る理由付け」まですべてをアウトソーシングしてしまうようになりつつある人たちが怖い

こういう状態になったところには、もはや自分の怒りを自分で御することができる人がいなくなっている。
私は、怒りという個人的なものさえ他人に依存してる人間はもはや人としてコミュニケーションがとれる存在とは思わない。



そういった人たちを「傷つきたくない文化圏」って表現してる記事がバズってました。

でも今起きてるのってそんな上等な話じゃないと思う。「安全に人を殴りってスッキリしたい」「怒りという個人的な感情さえ周りに合わせる形でないと発することができない」っていう、知的に怠惰すぎる需要に対して、それを供給する質の悪い業者が増えてきただけだと思うんですよ。

こういう自分の欲望を他者に仮託していて、しかもそのことに自覚がない人たちは怖い。憎むべき対象がいなければ自分を語れない人たちがこんなに増えているのはとても恐ろしいことだと思う。


差別というのは、自分と同じもの以外を受け入れられない人間が増えれば増えるほど簡単に広まるし、自分の頭で考える力がない人間が増えれば増えるほどどんどん強化されていきます。そのあたりもうちょっと危機感を持ったほうがいいと思う。

上のnoteでフェミニズムが名指しで批判されてます。確かにフェミニズムは「思考停止」「個人を尊重しない群体化」という気持ち悪い現象の最たる例ですが、別にこれはフェミニズムに限ったことじゃないと思っています。 引用されている https://oreno-yuigon.hatenablog.com/entry/2019/06/24/235115 の指摘もフェミニズムに限った話ではないな、という印象です。 根本的な問題は、考えることをすべてインフルエンサー的な存在に預けちゃってるような人たちが増えてきていることが問題なんじゃないかなと。

「他人事」ばかり話したりRTしまくり、話す内容も他人のことばかりで自分自身を表現したり大事にすることをおろそかにしすぎてる人、普通に抑うつの症状だと思うんですがみんな大丈夫なの?って心配になる。
www.tyoshiki.com


だから、みんなもっと好き勝手に怒ればいい。ただし個人的なことで。他人の理解や共感なんて求めなくても個人的に怒る練習をしよう

「プライドっていうのは、自分がいちばんだって偉そうにすることでもなく傲慢な態度を取ることでもなくてたとえば知世が何十億人の人たちの中でほかならぬ知世であるために必要なものだと思うんだ。」
「IDカードみたいな?」
「そうだな、でももっと重たい。旅行かばんのようなものかな。すべての人があらかじめかならず1つずつ持ってる。型はそれぞれ違っていても重さは皆同じなんだ。女の子も男の子も、大人も、子供も。持って歩くのはなかなか大変だ。だからこんなものは邪魔だと思ったら捨ててしまってもいいわけだ。それがその人の意思ならね。でも中にはとんでもないバカなおせっかいがいる。"君は小さな女の子だから、こんな重いカバンなんかもっちゃいけないんだよ。必要ないんだよ"なんていうやつだ。」
「はりたおしていいのね?」
「うーん、、、まぁ」
「お墨付きがでたわ」
「それから、みんなのカバンをまとめて持ってあげようという人も出てくる。大きな一つの荷物にしてしまおうってね。それは楽ちんだけど、とてもこわいことだ。どこに運ばれるかわからないんだから。やっぱり自分のカバンは自分一人で持たなきゃならないんだ。だから、知世のカバンをお父さんが持ってあげることもできない。
 お父さんがやれるのはせいぜい知世がカバンの重さに負けないようにたくさんご飯を作ることくらいだな」
「やっぱり腕力よね」
「精神的な、ね」
ムカつくことがあったら、ちょっと考えてみるといいんだよ。どうしてそんな気持ちになるのか。それは自分のことを知る手立てになる

今これを考えずにノータイムで人が煽った通りに怒る人多すぎるんですけど、私はこういう人が超絶気持ち悪いと感じます。はてな村奇譚において「BOT」と形容されていましたが私はゾンビだと思ってます。


わたしたちの世代は「腹が立つ」と本当におなかが痛くなったものです。頭にくると本当に頭が痛くなった。

「むかつく」という言葉をつかう若い人たちは、いったいどこが痛くなるんだろう?痛くなることがないんではないか?からだことばが使われていた時代、怒る時にはこちらにも痛むところがあるわけです。怒ったら、相手に対していいたいことはいうし、それを聞いている相手も痛む。相手も怒っておなかを痛めていると思うから、喧嘩をした後で共感しあったり慰め合ったりする場面も出てくるわけです。

でも、むかつく、にはそういうものがなく、体の中に入る前にキレてるから怒った後には何もない。その場限りで終わる。瞬間の吐き気で終わってしまう。非常に瞬間的で、時間経過がない。要するに、今の言葉でいうと、アナログにつながっていくのではなくデジタルに、瞬時に起こり、終わってしまう。身体の中に、つまり心の中に入ってこないものになってしまった。

からだことばの時代には、からだの部位で心を表現することによって、心身全体で受け止め、からだとこころを表現していたのです。それだけからだの文化が豊かであった。いろんなこころのありかたを、「腹が立つ」とか「胸が騒ぐ」といったたくさんのことばで言い表したのは、文化の豊かさであってそれは同時に自分のからだやいのちを豊かにすることでもあったわけです。

そのからだが、今キレようとしている。昔だったらおかなや頭といったからだで受け止めていたんだけれど、今はどこで受け止めたらいいのか、よくわからなくなってしまっている。いまの「キレる」には、からだ語が入っておらず、むき出しになってしまっているから本当にナイフできる行動と一体化してしまう。ちょっとしたきっかけで人を切ることにつながってしまう。むかしの「きれる」には上手く細工する、利用するという意味があった。今はナイフや刃物で人を切る行為としか結びつかなくなってしまった。

腹が立つとかあたまがきれるというのは、文化でした。文化としてのからだことばが失われていくとつまり、ことばからからだが抜けていくと、からだは文化性を失い、それはついには人間性を失った得体のしれないものになっていくのではないでしょうか。

http://overtheperiod.hatenablog.com/entry/2019/03/08/144429

キレやすい人の4つの特徴
①伝えたいことが相手に伝わったという実感を得たことがあまりない
②心では自分のことを地球で一番どうしようもない人間だと思っている
③相手の意見は相手のものでしかなく、自分だって正しい部分があるという風なことがわからない
④意識のピントが「状況」に合っていて、「自分の心」に気づかない

https://www.tyoshiki.com/entry/2019/05/22/192048


私ブログで何回か書いてますけど、「怒る」という行為自体は否定しないけど、それは具体的で、かつ個人的なものであるべきだと思ってます。

自分の個人的なことについてすらちゃんと怒れない人は怒りのレベルが低い。そういう人が社会について怒ろうとすると、他人に利用されるだけです。「安全に怒りたい」という誘惑に負けないで、ちゃんと自分でリスクをとって、自分の体でいかりを受け止めて、自分で怒る訓練をしましょう。

以下、過去に書いた記事から参考にしてほしいところです。


怒る技術 (角川文庫)

怒る技術 (角川文庫)

怒る! 日本文化論 ~よその子供とよその大人の叱りかた (生きる技術! 叢書)

怒る! 日本文化論 ~よその子供とよその大人の叱りかた (生きる技術! 叢書)

最近fujiponさんに教えてもらった本。前半はしっくりこなかったけど、正義と怒りの関係など後半はとても役に立つ内容でした。fujiponさんありがとうございます。


あと個人的にすごくいいたいの。

「嫌い」とか「思い通りにならない」とか「怒る」とか「機嫌を悪くする」とか。こういったネガティブな感情を雑に一緒くたにしてる人、多分無茶苦茶しんどいと思う。

なぜか「機嫌の悪い自分」を見せることに抵抗がない(怒ってはいないからセーフだと思ってる?ストパンのこと馬鹿にできへんで)人いるけど、それ他人からしたら「怒る」よりはるかにめんどくさい奴だから。機嫌が悪い姿を見せて他人を不快にさせるくらいならちゃんと怒ろう。

私も、怒りの感情を無駄うちしたり他人のために消費させられがちだったから、今後はもっと丁寧に怒りたい。自分ごとと他人事を切り分けて、怒るなら自分ごととして自分のために怒りたい。怒りの感情を他人に利用されるのはもうまっぴらだ