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ラブジョイの法則:検閲を支持する人が持ち出す「子供のことを考えろ」という言い分は、人から論理を捨てさせ感情に走らせる

なにこれ初めて知った。面白い。


「叩いて構わない奴は、とことん叩いていい社会」を、子どもたちは見て育つ。 | Books&Apps

https://ja.wikipedia.org/?curid=3354857

2020/09/04 11:12


BLMならぬCLMという感じでしょうか。



あらゆる論理的思考を破壊する「子供たちのことを考えろ」という同情論証

子供たちのことを考えろ(英語: Think of the children)あるいは 子供たちのことはどうだ (英語: What about the children?)は、修辞的戦術として使われるようになったクリシェである。この言い回しは、児童労働の話題などで文字通りに使われる場合には子どもの権利のことを言うものだが、討論においては感情への訴えかけ(英語版)として使われる同情論証であり、すなわち論理的誤謬である。


日本では「シュナムルの法則」「パパ、気持ち悪い……の法則」と名付けてもいいかもしれませんね。
togetter.com

ツイッター上で「子供がこう言ってた」といえば、あらゆる論理的な過程を無視してダイレクトに自分の主張を相手に押し付けることが可能という最終兵器的詭弁。

先日はショタコンラブドールの件でも論理的思考を放棄したサルみたいになってる人が山ほどいましたが、確かに「子供の気持ちを考えろ」はかなり強力言い回しであるように思います。広義的には佐々木俊尚氏が「マイノリティ憑依」と呼んだものの一種なのでしょうが、マイノリティを攻撃するための「異端審問官」たちがこの言葉を使いだすとリンチを誘発しやすく大変危険に思います。



「ザ・シンプソンズ」のヘレン・ラブジョイが元ネタ

とはいえ、元ネタがシンプソンズであることや、論文などを見ても、心理学的に実証された話というわけではなさそうに思います。

ja.wikipedia.org

『Art, Argument, and Advocacy』(2002年)は、討論の中で「子供たちのことを考えろ」と訴えることは、理性の問題を感情の問題にすり替える行為だと主張している。倫理学者のJack Marshallは2005年、この慣用句がよく使われるのは、論理的な思考、なかんずくモラルをめぐる議論を阻害する効果があるためだと書いた。また、「子供たちのことを考えろ」は、検閲を支持する人々によって、子供たちを彼らが危険と考えるものから守る目的でも使われてきた。

『Community, Space and Online Censorship』(2009年)は、子供をこのように幼児扱いし、保護してあげなくてはならない無垢なるものとみなすことは、「純粋さ」という概念への妄執が取る一つの形だと主張している。2011年の『Journal for Cultural Research』の記事は、この言い回しはモラル・パニックによって発達したものだと観察している。

『ザ・シンプソンズ』において定番化して以来、この言い回しはラブジョイの法則、「ヘレン・ラブジョイ抗弁」、「ヘレン・ラブジョイ症候群」、「子供たちのことを考えろイズム」と呼ばれてきた

あくまでも批判されているのは「討論戦術」「論理的誤謬」として使われる「子供たちのことを考えろ」のみ

①倫理学者のJack Marshallは「子供たちのことを考えろ」を、返答のしようがない論点を持ち出すことによって議論を打ち切ろうとするために使われる戦術であると説明している。

②Jack Marshallによれば、この戦略は、理性による討論を阻止する効果的な手段だという[2]。彼はこの使い方を、そもそも議論の焦点ではなかった対象に共感を誘導することで討論をうやむやにする、倫理にもとるやり口だとしている。

Marshallは、例えこの言い回しが善意に基づいて使われていたとしても、討論で両陣がこれを繰り返し使っていると、論理的な議論が成り立たなくなってしまうと書いている。彼は結論で、この言い回しは規則に従うことを倫理的葛藤に変えてしまう力を持っているとして、「子供たちのことを考えろ」を決定的な論拠にするのは避けるよう、社会に警告している


③レーガンは、 政治家が自分の支持する政策について語るときに、子供たちを道具にするのはやめるべきだと書いている。彼はこの戦術を、非論理的な論法であり、理性に基づく論争では分が悪いと感じた者が取る、自暴自棄の行動であるとした。レーガンは、この戦術がアメリカ合衆国において民主党にも共和党にも同様に使われてきたと指摘しつつ、これを「明白な政治的たわごと」と呼んだ


④Ferredayは、この言い回しが使われることがあまりに多くなってきているので、やがて第二の「ゴドウィンの法則」になるかもしれないと示唆した

特に検閲大好き人間が多用することが非常に問題であるとされている(確かに論理的思考が嫌いそうな人が良く使う印象はある)

⑤Scotte Beattieは2009年の本『Community, Space and Online Censorship』で、「誰も子供たちのことを考えないのか?」という問いは、しばしば年少者が不適切な内容を見てしまう懸念から検閲の必要性を主張する者たちによって投げかけられてきたと書いている。

Beattleは、若者たちがネットを介して性犯罪の被害にあうかもしれないという考えが、インターネットの規制を強化する根拠にされてきたが、この様に子供を幼児扱いすることは、「純粋さ」という概念への執着の一形態としての「無垢さ」という概念を想起させると主張している



⑥2011年、コリイ・ドクトロウは『Make(英語版):』誌に寄せた記事で、「誰か子供たちのことを考えてくれないのか」という言い回しは、「情報社会の終末を先駆ける4人の悪騎士(英語: Four Horsemen of the Infocalypse)」(違法コピー、テロリスト、組織犯罪、児童ポルノ)が若者を脅かすという言説の論拠として、非論理的な人々によって使われてきたとしている[18]。ドクトロウによれば、この言い回しは根本的な問題についての議論を妨げ、論理的な分析を保留にさせるために使われてきたという[ドクトロウは、社会がコンピュータ利用を法的にどう取り扱うべきか模索していた時期に、この言い回しが頻繁に使われるのを観察した

⑦『ザ・シンプソンズ』の脚本家の一人であるビル・オークリー(英語版)は、2005年のDVDに収録された解説で「負けるなアープーここにあり!」について語り、作品中で「子供たちのことを考えて」という台詞を使ったのは、討論におけるこの言い回しの使われ方が、無関係な話を持ち出して議論を脇道に逸らすものであることを浮き彫りにするためだったと明かしている

検閲大好きな人たちが「子供のことを考えろ」という言葉を使って守ろうとしている「子供」は非実在の青少年であるという皮肉

⑧アイルランドの日曜新聞『サンデー・インディペンデント(英語版)』誌に寄稿した記事で、Carol Huntは、政治討論におけるこの慣用句の使用を「ヘレン・ラブジョイ抗弁」と呼び、これは「ヘレン・ラブジョイ症候群」としても知られていると書いた。彼女によると、この言い回しで「子供たち」というのは、問題の影響を受ける実在の子供たちのことではなく、架空の子供たちを指すことが多いという

⑨『キャンベラ・タイムズ(英語版)』誌は、2009年にオーストラリア政府通信省がインターネット検閲を支持する根拠としてこの言い回しを使ったが、その使い方はヘレン・ラブジョイを想起させるものだったと報じている

日本でもこの手の言説を本心からではなく「討論戦術」として用いる人が多い。反論が困難な卑怯な戦術なので、今後こういう人を見かけたら一旦「それはヘレン・ラブジョイ抗弁ではないか」と疑ってみるとよいと思う

関連項目として、「誤った二分法」「恐怖に訴える論証」「結果に訴える論証」などが挙げられておりきわめて卑怯な詭弁ということができそうです。

当然ですが、上で述べたように「本当に子どものためを思って言っている」と思われる場合に反対する必要はない。

ただし、シュナムル氏やそのクローンのように、あくまでも「討論戦術」として、「バズるため」「発言責任を批判されにくい子供に押し付けるために」こういう詭弁を弄する人間をみかけた場合は、「それヘレン・ラブジョイ抗弁じゃないですか」と疑ってみることは非常に重要だと思う。

なによりも、安易に「子供のことを考えろ」に使おうとしてしまった時に、本人がまず「それラブジョイの法則じゃないかしらん」と疑ってみることも大事だろう。

海外でもたぶんそんなに変わらないと思うけれど、日本のツイッター上ではこの手の「子供のことを考えろ」が本当にアホみたいに猛威を振るっており、むしろなんで今まで私がこの言葉を知らなかったのか不思議なくらいだ。



私はこういう「レッテルレベル」「ワードレベル」のやりとりって私あんまり好きじゃないんですけど、これについてはあまりにも「子供のことを考えろ」を人質にして議論したがる人が多すぎるので、しばらくの間はそういう人たちの頭を冷やすためにもこういう乱暴な説もあってもいいのかもしれません。

なんといっても「子供のことを考えろ」的な詭弁を使うような人は、対抗陣営に対しては「それってマンスプレイニングだ」「それってトーンポリシングだ」と他人に対しては同じようなことをやっている印象があります。であるならば、まさか普段自分たちがさんざんそうやって相手に言葉のレッテルで圧力を与えておいて、自分たちが同じことをやられたら怒るといったダブスタ丸出しの態度をとることはないと信じたいですね。