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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「趣味がアニメとゲーム」だから場違いなのではない。場違いな原因は自分自身にある

認めるのはツラすぎるし、別に絶対に認めなければいけないことでもないけれど。
でも、アニメやゲームを辞めても場違い感はなくならない、本当の原因を理解しなければ。




入社式にて新入社員「趣味はアニメとゲームです」上司「入社式でその趣味を言うのは場違い、普通野球とかサッカーじゃないの?」 - Togetterまとめ
私こういうまとめ嫌いだなあ。

私自身も趣味がアニメやゲームであり、実際に場違い感を出してしまって職場に溶け込めない側だ。だから状況自体は他人事とは思わない。

けれど受け止め方は違う。

相手の偏見ももちろんあるだろうけれど、私はそれ以上に自分が相手に少し壁のある態度をとってることが原因だと思ってる。だから、相手が私に合わせるべきだとも思わないし「キモイと思うな」とも思わない。

正確に言うと、昔は上のような記事に同調していたかもしれないけれど、今は全然そう思わない。私がそう思うようになったのは、私と同じか、それ以上にオタクなのだけれど、それでも人の間に壁を作らずに、きちんと受け入れられる人が実際にいることをしってその人を見たからだ。その気になれば不可能ではないし、お互いの間に壁があるのであれば、その壁は自分からも作ってしまっているのだ、ということを自覚したからだ。


その人は別にイケメンでもない。むしろちょっと太った坊主頭のオッサンだ。ジョジョガンダムをこよなく愛する一方で、私がその人を知ったときは「団地ともお」がお気に入りだと言っていた。昔のアニメはさらに詳しかった。

ただ、その人は、自分と部署の人の間で「自分の趣味が原因による壁の意識」は全然なかった。だから「どうせ話が通じない」とかいうことは考えてもいなかっただろう。「相手が自分が好きなアニメやゲームを知らないなら、わかるように話せば良い」という考え方だったろうと思う





場違いになるオタクと、そうでないオタクについて

適当に違いを考えるとこの辺りかなあ。

①相手目線を重視できるかどうか、それとも自己満足を優先するか

この人と自分の話し方が明らかに違うなという点が3つあった。

1点目は全然欲張らないこと。「まずこれだけわかってくれれば良い」で自分を抑えられること。

2点目は「相手から見て自分のキモイかもしれないところを理解していて先にそれを断った上で話す」ということ。

3点目は、自分が話す以上に、相手への興味を示すこと


徹底的に相手目線。「自分が共有したい」と思っているからこそ、話を聞く相手には努力を求めない。自分が意識して相手のレベルに合わせている。そもそも、相手にちゃんと興味を持っていて、相手のことを知っているから、苦手意識を持っていない。外見においてはイケメンとか爽やかさ、とかいうことが言われるけれど見た目ではなく会話におけるそういうものがあるとしたらこの人はそれがある。とにかく楽しそうなのね。「卑屈さ」だとこあ「理解してくれないかもしれない」「馬鹿にされるかもしれない」みたいなおそれが全然ない。



②欲張りすぎずにいられるか、いきなりすべてを受け入れてもらいたいと思うか

彼の語りは「オタク視点」で見ると、物足りないものであることが多い。簡潔でわかりやすいけれど、掘り下げた話をするわけでもないし、感覚的な表現が多い。でも裏返せば、一般の人からしたら「わかりやすい」し「共感しやすい」、つまり「とっつきやすい」。 

なんかすごいこと言ってるように見えても、「相手からして取っ掛かりもない」やつより、「わかるところ」を話ししてくれて、共感できる話のほうが良いに決まっている。相手水準で考えればたしかにそうなんだけれど、そういう風に話を切り分けられるのがすごい。「まずこれだけわかってくれれば良い」という入り口部分で通じ合えばそれで満足できる、という感覚を持っているのがすごかった。この人にとっては、続きの話は、相手が興味を持ってくれたらちょっとずつやっていけば良いものなのだ。


「この人はわかってくれる人かそうでないのか」「敵か味方か」みたいな分け方をして、相手の反応がちょっとでも望ましいものでなかったらハリネズミみたいになるか、ならないか。ここの差は大きいと思う。



③人と話をするのが好きか、それとも「オタク」の仲間意識が大事か

きっとオタクである前に、この人は他人のことが好きで、話をすることが好きで、お互いに会話して通じ合うというのはどういうことか、っていうのがよくわかっているのだろう。 オタクの話も、いろんな会話のネタの中の一つに過ぎないのだろうと思った。

私のように「人にあんまり馴染めないから、ぼっち趣味としてオタク趣味を発展させた」人間とは根本から違うのだなあと感じたものだ。



なんというか、全然伝わっている気がしないので、この動画を見てもらいたい。この人も、わたしが知ってる適応能力高い人と比べるとちょっと方向性違うのだけどある程度イメージ伝わると思う。

この人は前期アニメ27作品全部見て感想を延べているらしく、私以上にアニメ好きだと思われる。8分くらいのところからは、かなりキモい話もしている。この話そのまんまだったらダメですね(笑)

でも、多分この人は、一般人の間にも溶け込めるタイプだろうと思う。オタクに向けて濃い話もできるし、一般人向けにチューンも合わせることができる感じがする。

このあたりの差の感覚については、また別記事で言語化を試みたい。








翻って、上のまとめを見てみましょう。

「趣味がアニメとゲーム」であることに引け目のようなものを感じつつも、根拠もなく相手を見下すような発言が多数見られます。相手のことに興味はない。自分のことを認めないやつなど見下しておけ、といわんばかりです。

どうしてこれで、他人から受け入れてもらえると思えるのか。

いや、思ってないんでしょう。「受け入れてもらえない」という気持ちが強いから、防衛機制が働いている状態なんだろうなと思います。否定されるのが怖いから自分が先に否定する。欲しがってえられないとツライから、最初からほしくなかったと「すっぱいぶどう」扱いする。その手の反応です。

私がこの年になって未だにそういう所あるから勝手に投影しているだけですが、多分間違いないでしょう。

ポジショントークに成りますが、別にそれはそれでいいと思います。そのことに自覚があるのであれば。自分から遠ざけてるのだから、よほど奇特な人がいない限り受け入れてもらえない、ってそのことを認めてるならかまわないと思う。本当に認めてるなら、ちゃんと諦めてるなら害はないはず。

そうじゃなくて、そういう態度を無自覚に取っていながら、「世が私を受け入れてくれない」みたいに考えて逆恨み的に世を攻撃したり、ミソジニーこじらせる青  的な態度はアカンって話です。以上。