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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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その考え方って、一見自由に見えるけど生きる世界を狭めてるだけじゃない?

なんだかすさまじい(古語的な意味で)ものを読んでしまった。


「悪口が「おはよう」程度に聞こえる。自分を嫌う人と付き合う必要がない理由」
http://megalodon.jp/2016-0724-2230-10/www.miyahaya.com/entry/2016/07/24/211035



「就活では人事に「副業OKですか?」って聞いちゃ駄目らしいぞ」
http://megalodon.jp/2016-0725-0001-19/www.iwata09.com/entry/2016/07/24/233818


この界隈の人たちについては以前から強く違和感を感じていたのですが、さすがに我慢の限界だわ……。

本人たちが読んで理解してくれるなどという期待はみじんも持ってませんし、私が書いてることが正しいとも言いません。彼らのために書くわけではなく、たんに自分が死ぬほどモヤモヤを感じたツッコミ所を整理して、自分がスッキリするためだけに書く、自己満足です。とにかく上の2つを読んでそれだけモヤモヤしたんだ、ということだけ伝われば幸いです。

ただ障害を「避けてる」「見て見ぬふりをしてる」「隠れてやりすごす」生き方は、有効範囲むちゃくちゃ狭く無い?

まず上の記事について。「自分を理解しようとしない人とは向き合わない生き方」はそりゃ楽だろうけど……。それって「お目こぼししてもらえる範囲で自由を享受する」って生き方なだけじゃないでしょうか。


何か問題があったとして

・こっそりやってるからあまり注目されないとか
・それを回避できたり
・誰かにただ乗りしたり、丸投げしたり
・イケダハヤトさんのような人が風よけになってくれたり

などなどができる間はいいけれど、それができなくなったら本人が対処しないといけないですよね。
その際に自分に全く問題解決能力が身についてないと、些細な問題でも致命傷になりませんか?


そんな障害を避け続けることの限界については、この前の炎上時にみずから証明されていたと思います。

あの時多くの人が気にしていたのは、「50円でなんでもやります」といったことではなく、そのあとの問題対処力のなさであったように思います。結局まともな対応をすることなく、後日「血を吐きました」という記事を書いただけ。いざという時にこの人はちゃんと問題に対処できるのか?という不安を強く感じました。

自分を理解してくれない人と向き合うのを避けるのはいいですが、それが「理解してくれる狭い身内の間でしか通用しない」状態のままでは「一定以上に目立ったら毎回事故になる」ということになってしまいます。それだとどんどん避けるべき対象が増えてきて、自由に活動できる範囲が減っていくのではないでしょうか。そして、それが「嫌いな人を避ける生き方」の限界であり終着点では無いですか?

どこかで「自分が自由に生きてても、相手が道を避けてくれる」という話と混同してないでしょうか。今そういう態度でもそれほど問題にならず成り立っていたのは、まだたいして目立つようなことをしてなかったからであり、今後いろいろ大きなことをやろうとしたときに今のままではまずいのではないでしょうか。

宮森さんはは自分「を」嫌いな人を避けてるのだと書かれていましたが、私にはどうもそう感じませんでした。自分「が」嫌いな人を避けてるように見えました。自分にうるさく言う人を、こいつは自分が嫌いなんだ、って決めつけて耳塞いでるような態度にしか見えませんでした。いざというときに、そうやって都合の悪いことから耳をふさいでしまうように見える人は、あまり信頼を得られないのではないでしょうか。



その生き方は、短期的にはよいかもしれませんが、長期的にはマイナスが多いような気がします。



「正直であることそれ自体」に価値を認めろという主張はあまりに筋が悪いのではないでしょうか?

綺麗な面だけ見せた騙し合いがぼくには一番汚く見える。そんな社会に媚びてまで就活を続けるつもりは、ぼくにはありませんでした。だって、正直者が馬鹿を見るんですよ。正直に嘘をつかずに生きるってそんなに駄目なことなんですか?汚い。汚すぎる。ぼくはそんな大人には絶対なりたくない。

根本的に話がずれているような気がします。というより、ちゃんと問題に向き合っているように見えません。


いわたさんは「自分の正直が評価されなかった!」と思ってるのかもしれませんが、そもそもの話として「正直であることそれ自体」に価値ってあるでしょうか?「正直でない」ことによって「その人から信頼性が失われる」ということはあっても「正直である」ことによって「その人や、言っている内容の価値がいきなり跳ね上がる」なんて話は聞いたことがありません。大事なのは、正直かどうかよりも話の中身ですよね。正直に話したことが問題なんじゃなくて、正直に話したその内容が圧倒的にレベル低いことが問題だと感じます

ネットで「本音」を垂れ流しにしている人を見ると不安になる原理 - この夜が明けるまであと百万の祈り
「本音至上主義」「感受性至上主義」の人々 - この夜が明けるまであと百万の祈り



(1)正直になる前にもうちょっといろいろ考えるべきことがあると思います

どうも文章を読んでいるといわたさんと私では「正直」についてのとらえ方自体が大きく違います。

いわたさんは「自分以外の事情を考えるのは自分の気持ちに正直とは言えない」とでも考えているかのように見えます。本当にそうなんでしょうか。

これから大学卒業して就職を控えてる段階です。これからは立場が違ういろんな人と一緒に仕事をやっていくわけですよね。そういう時には、自分の気持ちだけを考えるんじゃなくて相手が何を求めてるか、相手が何を考えてるかを考えて、合わせたところに着地点を見出すようなことが必要になると思います。それだって自分の気持ちですよね。他人のことを考えたらもうそれは純粋な自分の気持ちじゃないと思いますか?違いますよね。

正直になる手前の段階で、どれだけ思考を巡らせられるかが大事。自分のことだけでなく相手のことまでよく考えたうえで、それを正直に伝えることは会社の人だって歓迎します。相手の事情を十分に考えず、自分の気持ちだけを一生懸命語ったところで、それは正直じゃなくて「想像力の欠如」だとか「考えなし」というのだと思います。


こういうと「会社の暗黙の了解を察しろっていうんだろ、やっぱり会社はクソだな」とでも反発を感じるでしょうか?違いますよ。会社でなくても、友達だったとしても私だったらいわたさんの態度はNGだと感じます。



(2)「正直」は相手にコミュニケーションコストやリスクを負担させる理由にはならない

コミュニケーションコストがかかる人は相手にされない | サイボウズ式
「こじらせ」や「厨二病」は理不尽なコミュニケーションコストを相手に押し付けてよい正当な理由にならない - この夜が明けるまであと百万の祈り

いわたさんはブロガーであることを「正直」に言いたかったんですよね。それ自体は必ずしも駄目ということはないでしょう。ただし、やはり考えが足りていないと感じます。

これ相手からしたら「ブロガーであることを受け入れる。そのコストやリスクも会社が背負う」ことを求められてることになります。それについて相手の立場で考えましたか?
*1

いわたさんはそのつもりはないかもしれませんが結果としては「正直であるためのコスト」を自分で払うつもりがないばかりか、相手に押し付けてる形になっています。いや、むしろそのことに気づいてないということがまずい。このことに鈍感だと、入社した後でも社内でのコミュニケーションで問題を起こしそうなリスクを感じるわけです。今までそういう態度を戒める人が一人もいなかったのか、それとも、そういう話を何度もされたのに「正直であることはいいことだ」と突っぱねてきたのかは判断できませんからとりあえずかなり警戒を感じます。

私が言ってることわかりますか?「ブログがリスクであるから駄目」とか「正直だからダメ」なんじゃないんです。「ブログにリスクがあることは了解の上で対処を示さない」し「正直であることのコストを会社や相手に丸投げすることに問題を感じてない点」が問題なんです。そんなやつお客様先に連れていけると思いますか?私は厳しいと思います。




(3)「正直」であることより正直に「何を」伝えたかったのか、が大事ではないですか?

これは定番の話ですが大事なことです。
会社側からしたら、入社して最初のころはまず会社のことに真剣に取り組んでほしい。会社の仕事にどういう興味があって、どのくらいやりたいと思ってるのかという本気度が知りたいわけですよね。「ちゃんと社員を育てたい」と思ってる会社ほどそういう点を大事にします。

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その時期にいきなり「副業したいんですけど」って面接で聞いてくる新入社員よりは、「この仕事に全力で取り組みます!」って人と一緒に仕事したいですよね。


副業が可能かどうかは面接受ける前に問い合わせとかで確認する話であって、なんで面接の場で、ぼくは他の人と違って御社の仕事以上にやりたいことありますってアピールをわざわざやろうとするのか理解に苦しみます。正直になるべき時と場所間違いすぎていて、正直かどうかというレベル以前の問題ではないでしょうか。また、正直に話すにしても、ブログをやることを会社としてのメリットにつなげて話するとか、いくらでもやりようがありますよね。そういう点を全く考えず「ただ正直にいうだけ」という戦略のなさはマイナス点にしかならないのではないでしょうか。

*2

それでも、いわたさんがよほど優秀ならば話は別だったかもしれません。でも今まで採用されなかったということは残酷な言い方をすればそう判断されなかったということでしょう。何か他の人に負けない点をアピールできましたか? 記事だけだと、マイナス点だけ一生懸命「正直に」アピールしてたようにしか読めませんでした


(4)自分にとっては大事であっても相手にとってはどうでもよいことかもしれない。

繰り返しになりますが大事なのはあなたが「会社にとって」どういう人間なのか、です。会社が知りたいのは、いわたさんが会社でどのように活躍できるか、ですよね。

もしかしたらいわたさんはブログや日常ではとても良い人なのかもしれません。友達やいろんな人から支持されている、という自負があるのかもしれません。それはいわたさんにとってはとても価値あることだしそれを否定できる人なんていません。ただ、その上で、自分にとって価値あることでも他人にはそれがわからないことを前提にするべきでしょう。

相手にもわかってほしいなら、それがどれだけ自分にとって大事であるかを伝える努力が必要です。あなたが会社にとっても価値ある人になって、あいつが大事にしてることなら俺たちも尊重しようとなるでしょうがそんなに簡単な話ではないです。自分の価値観を相手が共有してくれるのを前提としていては良くない。しかもいわたさんの「正直」に対する価値観は正直言ってかなり普通ではないと思います

自分が価値があると思ってる正直さを大事にしてくれるかどうか、ばかりを考えてるようにみえました。そこは受け身であったりクレクレ君になってはいけないと思います。


上手くいかなかったときにそれをどう受け止めるかは、その人の価値を決める重要な要素だと思います

と、パッと1つの記事を読んだだけも、いわたさんにはこれだけツッコミどころを感じました。そういうことを反省するのを全部うっちゃって「正直者がバカを見る社会」という結論に飛びつくのは正直信じられません。

これって「相手の事情おかまいなしに自分の気持ちを垂れ流しにしてそれでも受け入れられる世界じゃなきゃヤダヤダ」って言い分に聞こえるんですよね。問題をすり替えるにもほどがあるし、あまりにも主張が幼稚すぎて、青年の主張どころか幼稚園児かと思いました。会社はあなたのママでもなければ友人でもないです。

どうもいわたさんは、会社との付き合い方に対しても、今までの家族や友人の延長で考えているのではありまませんか?それは考え方の前提から大きく間違っていることを自覚したほうが良いと思います。


自分の勘違いで勝手にわかったつもりになって、会社のことを勝手に否定する記事なんて書いたらそりゃ読んでる人腹立ちますよ。プロブロガーになりたいなら、もうちょっと考えてから記事書くようにしてほしいです。

人を怒らせるための最も効果的な方法 - この夜が明けるまであと百万の祈り

人を怒らせるための最も効果的な方法、それは「その人にとって大事に思っていること」を「素人が知ったかぶりで語ること(肯定否定を問わない)」「その際に本題と関係のない容姿の話に触れるとなお効果的」

「青年の主張」は閉塞感に苦しむ高校生までは生きるために必要だ。でも大学生になったら卒業したい

お二人の意見に魅力を感じた人もいるかもしれません。確かに美しい話です。でもこれって「条件をすごい限定すれば正論に聞こえる」けどちょっとでも条件が変わったら通用しなくなるんですよね。いつまでもそれにすがってばかりはいられません。

私はこういう意見をすべては否定したくありません。こういう意見が必要な時期があるからです。学生の頃なんかは特にそうですね。普通は学校と家だけが自分の生きる世界だから、自分たちがいる世界がすべてみたいに思うじゃないですか。その頃に、閉塞感に打ち勝とうとして上のような主張をするのはまだわかるんですよ。学校空間において自分を押さえつけて否定するような空気を感じてる人が、それにあらがって生存するために必要不可欠であるといってもよい。


でも、大学、社会人になるにつれ、自分ができることや自由度は上がってくるはずなんです。そういう時にいつまでもこういう考え方に縛られている必要はないと思います。是非次のステップに進んでほしいと思います。


一冊紹介するからぜひこれ読んでほしい。

この本めっちゃ重要。別の記事で紹介するかもしれません。上の2人のような意見がでてきて一定以上の支持を受けるのって、やっぱり大人がちゃんと説明しなかったり、あと学校教育とかで意見を合わせることを求めすぎて「不都合な相手」と話をする練習をさせてこないのも原因かもしれません。

教育受けなかったんだからしょうがないじゃんというわけにもいかないので、自分で学んでほしい。私自身何度も書いてますがコミュニケーションが苦手でむちゃくちゃ苦労してます。でも、全部避けられるわけがないとおもって、可能な範囲で少しずつでもできることを広げたいと思ってます。お二人も、少しずつでいいから今より心を開いて、いろんな意見を取り入れたり、相手を見る練習していってほしいです。

*1:もし私がどうしてもこのことを伝えたいなら、それについてコストやリスクを抑えるためにどうするかとか、会社に迷惑をかけないためにこういうルールを守りますとかは、適切かどうかはともかくまず自分で考えて、「ご迷惑はおかけしません」とか「御社のメリットになって見せます」と説明するはずです

*2:このあたりが相手のことを考えてない「とみられる」原因だと思います。正確には「相手のことを考えてるつもりになって実は全然考えてない」という状態ですね。これは誰にでもよくあることです。それ自体は問題ではないんですが、そこで「自分は相手のこと考えてられなかったかもしれない」という可能性を考えられず上のような記事を書いてる時点で致命的です。いわたさんは自分のことを相手のことを気遣える人だと思ってそうな気がするんですが、それって自分でそう思ってるだけかもしれませんよ?