頭の上にミカンをのせる

マンガアニメ大好き兼業投資家の日記です

バイトテロと「ポストモラトリアム時代の若者たち」

この件については、既にいろんな人がいろんな視点から説明してくれています。


(手持無沙汰な状況を強制した上で監視も置かず放置しているマネジメントの問題だ)


(社会のババ抜き構造が分かり易く露呈したと見るべき。ババ抜きの対象になりたくなければ現場レベルでバイトがその職場を居心地よく感じさせるような地道な取り組みが必要)


(そもそも最近のネットが若者に要求するリテラシー高すぎね?むしろほとんどの人がそのレベルをクリアできてるって驚異的じゃね?)

さすがというかどれも納得いくものですし、バイトテロ事件そのものについてはもう私が改めて語ることないです。




そのうえで、私としては特にシロクマさんの話が大事だと感じています。

この「今のネットがどれほど若者に対して抑圧的であり、かつどういうメッセージや影響力を与えてしまっているか」ってのを考えると、これってバイトテロだけで収まる問題ではなくてそれこそイケハヤさんやはあちゅうさんを信じて意識高いムーブしちゃう人たちにもつながってる話なんじゃないかなあと妄想してしまいます。

これとかもそうですね。

一連の出来事を見て、いよいよ「ポストモラトリアム時代の若者たち」について真剣に考えないといけないんじゃないかなと思っています。 

tyoshiki.hatenadiary.com

すでに一度感想書いたことありますが、現状を踏まえて改めて振り返ってみます。この記事では一通り雑にネタだししておいて、別記事で一つ一つ具体的に考えていこうと思います。





「ポストモラトリアム時代の若者たち」は2012年発売の本だけど今こそ読むべきなんじゃないかな

私がこの本を知ったのはshowgotchさん*1が紹介していたからです。これは結構インパクトが大きかったです。その後あまり若者論のアップデートができていないので、私の中では今でもこれが議論のベースになっているところがあります。


https://web.archive.org/web/20160626153635/http://d.hatena.ne.jp/showgotch/20130601/1370136347

さまざまな社会背景の下、<モラトリアム>を自由に謳歌できなくなった若者たちの心理、環境、事例をあつかったもの。ちゃんと若者論3原則に則りながら、現在の若者について、教育や就職、価値観やヒエラルキー、心理的葛藤を淡々と描き出す快作だ。
イケダハヤト氏や家入氏はなぜ生まれたかなど、これが答えであるとしか思えない内容が書かれている。

通信技術やアプリなどの進化著しい中で、細かいところはもちろん変わってきていると思うものの、根本的な部分はここで語られていることと大きく変わらないんじゃないかなあと。

というわけで、自分なりの理解を要点だけまとめておきます。この話を踏まえたうえで、6年を経て変わった点や付け足す部分があれば是非ご指摘いただければと思います。



※余談ですがshowgotchさんはイケハヤさん本人については5年前にこう指摘されており、今も金至上主義になって人を人と思わなくなった点を除いて(大問題ですが)はこの頃から根本は変わっていないと私は思っています

https://web.archive.org/web/20160412120059/http://d.hatena.ne.jp/showgotch/20130414/1365873532

①皆が記事を書くためにある程度再現性を考えて書こうとするのに対し彼は自分がその場で思ったフラッシュなアイデアを実験だと言いながら書き散らす。

②「エッジのきいた俺でも受け入れてくれる社会が欲しい」と言いながら「社会が俺を理解してくれないのは、俺はエッジがきいた情報発信をし続けてるからだ」みたいな演出をし続けなければならない病気に自らかかってる思春期な傾向

③イケハヤ批判している大人たちも、彼を始めとした若者をそこに至らせたリソース不足やライフイベント事態の変容に全く目を向けない。全員が共犯者だよ。


前置きはこのあたりにして、ポストモラトリアム時代の若者たち、の内容について話をしていきますが。



ありとあらゆるアクションに「責任」が発生し「仲間内だけの悪ノリや軽い気持ちでやったおふざけ」といったものに過剰なリスクがつきまとう世の中


まずはこの点から。今の若者は少なくとも、昔かなりの程度許容されてきたであろう「無責任な言いっぱなし」が軽い罰では許されない。見逃してもらえない、ということです。

そこから導き出される結論は「再帰性の内面化」である。再帰性とはすなわち「自分はどうか?」という問いかけが自分に飛び掛ってくる頻度のこと

自分の発言や行為について、ネットで何かを言おうものなら即座にレスポンスが返ってくる。仲間内だけの悪ノリや軽い気持ちでやったおふざけも、きちんと意識しないとなにかのきっかけですぐネット上に拡散してしまう。それをあらかじめ意識して行動しなければいけないということです。

常に「正解」を意識することを求められる構造の中で、加害者と被害者がめまぐるしく入れ替わり、安心感が全く得られない状況では自己を確立するのは難しい(モラトリアムの消失)

ネットは人々を自由にするはずが、人々がダイレクトに「社会」と接続させた結果何が起こっているかというと、逆に正解が狭められて多様性を殺す世界に近づいているといわけです。「正解」とそれ以外を明確に分け、不正解なものに対して不寛容になっていく社会です。

標準化が進むと共に目的論的な世界が出来上がり、目的にそぐわないものが排除される。目的を見つけることが目的だった「モラトリアム」はいつしか消えていき、目的もあいまいなまま、プレゼンテーション能力や資格や飛びぬけた経験が求められるポストモラトリアムがそこに聳え立っている

これは就職氷河期とかリーマンショックといった経済的な理由よりも、ネットのアーキテクチャがもたらす帰結としての要素が大きいようです。

こういうことを言うとすぐに「ポリティカルコレクトネス」に近いリベラルとかフェミニズムを真っ先に想像する人がいるかもしれませんが、この流れはこういった人たちに限った話ではありません。いろんな立場からこの手の「目的にそぐわないものが排除される構造」に積極的に参加している人が多い。


どちらかというと、それぞれの人が「自分が感じてる抑圧を他者にも押し付ける」という復讐的な行動を「正義」と偽って発露しているケースが多いと感じます。

・一部の若者たちは過剰にメタであることを求められ、結果的には逆に去勢されてしまったということであろう。
・理想どおりに振舞えない原因を外部に求め、過度に行動や発言を恐れ脅迫化、不自由化する

自分たちはこんなに不自由や不都合を我慢したりしているのに、他の人たちが自由にしているのは許せない、という「みんなで不幸になろう」な発想が強い人が多すぎる。他人を攻撃することで自分への呪いをさらに強化してさらに自縄自縛になってる光景を、ネットで山ほど見かけます。本当にアホらしいなと思う。


現在のネットでは多くの人がぼんやりと「ポリコレは窮屈だ」といい、これに対して「ポリコレの何が悪い」という完全に的を外した言い争いを行う光景が見られますが日所に不毛だと思います。これの問題は「囚人の構造」や「加害と被害の位置がすさまじく入り乱れる」ことの気持ち悪さにあるんですよ。被害者意識が強すぎて「今の構造を続けると自分たちが加害者側として排除される側になる可能性」に対する想像力が著しく欠如している人が多いのはすごく問題があると思いますね。

整列のさい、囚人は争って中間の三列へ割りこみ、身近にいる者を外側の列へ押し出そうとする。私たちはそうすることによって、すこしでも弱い者を死に近い位置へ押しやるのである。ここでは加害者と被害者の位置が、みじかい時間のあいだにすさまじく入り乱れる。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/yaziuma/kano/pesimist.html

「過剰適応(奴隷化)」と「逃走・野蛮な抵抗(海賊化)」の両極の間で悩む人たちが多い

もちろんこうしたプレッシャーが強い状況でも、自己を確立した上で社会や周囲の人間と折り合いをつけられている人のほうが多いと思います。そういう人たちはネットに依存する必要がないので目立たないわけですが。しかし、こうしたプレッシャーにさらされ続けることで、自己を抑圧してしまい、自己確立に失敗してしまうとどうなるかというとまず反応が二極化し、その後中間でさまよう人たちが出てくるということです。


①自分を殺してでも社会の「正解」に過剰適応する組=内向き

社会的に見ると若者にとって過剰に市場に適応することが現代の自分探しの行き着く先であり経済活動に取り込まれることが内部である。例えばイケメンだの巨乳だので人の価値を語るようになったり、コミュニケーション能力やプレゼンテーション能力など、パーソナリティと関係なく優劣の曖昧なもので合格不合格が決められてしまう。

②社会への適応をあきらめてそこから離れる=外向き
一つは社会に適応した自己を確立することを断念します。社会の外部に出て新しい自己を確立できる人も少なからずいるとは思いますが、これは社会の内部で自己を確立するよりも難易度が高いため受け身な姿勢ではなかなか厳しいです。

結果として、外部にはじき出された人の多くはひきこもるか、あるいは「社会の何かを呪う」「何かを否定する」という形で、ネガティブな形で社会とかかわります。何かを否定する、という形でしか他人と共通項を持つことが出来ず、これは本質的なつながりにはなり得ませんし、これによってアイデンティティを獲得したつもりになってもそれは蜃気楼的なものであり、ずっと自己不全感を持ちながら常に何かに対して怒り続けることになります。
(※「ミソジニー」や「ミサンドリ」の他、ネトウヨさんたちの中の一部にある「排外主義」に特化したクラスタなどがこれに該当します。この人たちはもはや自分と同じタイプの人としかつながれなくなってどんどん純度を高めていってるように見えます)


③多くの若者は過剰適応だとしんどくて、かといって完全に外側にいるのは嫌だから、中間地点で悩みながら固まってしまう

そこに適応できない若者は内部からすこし距離を置くのであるが、一方で不登校やホームレスやニート、貧困など、社会から排除された外部に行きたくはないため、内部と外部の間で葛藤が起きる

こうした身動きが取れない上にじっとしていると絶えずスリップダメージを受け続けるような状況に対して、「何でもいいからここから抜け出したい」という需要が生じるのは当然のことで。その結果として起きる現象の一つが「イケハヤやはあちゅう的な存在を崇めるブーム」だとされています。

現実の自分を疎外し、「理想の自己」を演じることで「社会に適応できない・適応するのがしんどい」状況を乗り越えようという欺瞞に逃げ込む

①軍国主義時代は軍国青年が良しとされたように、高度資本主義経済時代には市場青年とでも呼べる若者が良しとされ、

②一方で学生運動のような反抗ができない若者は、ひきこもるか無理やり市場に適応するか、

③「<新しい世界>を産み出す存在」としての<自分>を構築する。

すなわち意識高い学生のように自分たちが「未来(という名の自分を中心とした世界)を切り開く!」存在として振舞おうとし、感情を中心に世界を語り共感してくれる人たちを巻き込みながら<新しい世界>を産み出す<自分>という自己を強化する。
過剰に市場原理や資本主義経済に巻き込まれながらも、「評価経済が大事」「ルールに囚われない面白いことをしよう!」などと叫び内部の世界観に囚われない自己の世界観を演出しようとする。

イケハヤさんおよびその信者の主張には非常に面白い特徴がある。
彼らは口をそろえて「自分たちのやってることこそが資本主義への正しい(新しい)適応だ」というのである。同時に「既存のルールに適応している人たち」への敵意を隠そうともしない。この「両方」が必ずセットになっている。

なぜなら、イケハヤさんに傾倒するような人は①と②の両極において「社会に適応したいけどしんどくて無理」「社会に反抗したいけど自分だけでは非力すぎて負けるだけ」という間でどちらも選べずに苦しんできたからだ。両方とも選べなかったからこそ、どちらも満たせる都合の良いストーリーを信じる。そのために「新世界」「異世界」を求めることになる。

フィクションでその欲を代替的に満たしている人たちもいるだろうし*2、現実でも何とかしようとする人もいる。そのうちの一部の人たちが結果としてイケハヤやはあちゅうが語る「既に先人たちが試して否定されたチープなストーリー」にすら飛びついてしまっているだけなんじゃないかな、と適当なことを思ったりもする。

もちろん彼ら彼女らが主張する「新しい資本主義」というのは主観によってゆがめられた、自分たちに都合の良い妄想にすぎない。現実的に考えると資本主義社会において抑圧されたり排除されてきた人間が、自分たちこそが真の意味で資本主義経済に適応できた存在だと主張してるだけだ。
もちろん、これは現実から乖離しているので同じ幻想を共有できる人間の間でしか通用しない、そうであってほしいという儚い願望にすぎない。それを社会全体に認めさせるような強度は持たない。宗教としてもあまりにも非力で、教祖を中心とした数人くらいしか満足させる力がない。

しかしこうした転倒現象を起こしてでも自分たちの存在や行動をポジティブにとらえようとしたり、「自分たちが自分たちでいられる場所を求める」若者たちの切実さってこのまま放っておいていいんかなぁ……ってのは気になりますね。ロスジェネ世代とはまた別の形で、バイトテロよりももっと恐ろしいサイレンとテロが起きてるんじゃないかなぁとかね。



などなど。

とりあえず思ったことを整理せずに雑ーに書き連ねてみました。このあたりは今後いろいろ考える必要がある話かと思います。

*1:showgotchさんは、next49さんやズイショさんと並んで私が強く影響を受けているブロガーさんの一人です。私自身もともと教育の世界の末端に居たので、きちんとした理論背景やファクトベースで様々な問題について語られていたshowgotchさんに大きく刺激を受けました。教育の問題について「レディネスのミスマッチ」という概念を意識している人がはてな界隈にはほとんどおらず、この点をきちんと押さえてお話をされているという点一つとっても信用ができます

*2:※「小説家になろう」の読者はむしろロスジェネ世代より上の世代が多いらしいという話もあるので、「なろうは若者の願望」みたいな話にすぐに飛びつかないように注意したいです