以前に楠本まきさんが話題になった時に、「マンガ読まずにこれ以上どうこう言うのもなんだからとりあえず作品読みます!」と宣言してから1か月以上が経ちましたが、ようやく「KISSxxxx」と「致死量ドーリス」をまず読みました。
男から見ればファムファタルの物語だけど、女性側の気持ちがわかることが大事なんだろうな……
僕の中でもう一人の僕が言う。この子はだめだ、本当にやばい。これ以上深入りしたら僕はきっと後戻りのできないところまで行ってしまうだろう。それがどういうことなのか何に向かって進んでいるのか。始末に終えないのは僕までがそれを楽しんでしまっていることだ。
「CARNIVAL」の理沙とか「仏蘭西少女」のオルタンシアを思い出すような作品。「最終兵器彼女」ほどたくましくはない感じ。んでこの作品のエピローグの後には「さよならを教えて」が始まるんですねわかります。
ありもしない「純粋無垢」に踊らされ,妄執し,数多の人間の人生を狂わせた治道の芸術的才能の無さは,こうしても証明されてしまうのである。
すごい乱暴にまとめると男がファムファタルに出会って共依存を突き詰めていったら、女性のほうは死んで、残った片方もぶっ壊れたという破滅型のお話。
「自虐の詩」と違って、女性側がすでに壊れきっており、それを助けるためには男は彼女に「理想の形」をあたえる存在でなくてはならず、それには男はあまりにも力不足だったな、と。
女性にとって「その人間が一番美しい時に理想の形で殺してくれる」という噂話のブギーポップ、みたいな存在を求める気持ちはかなえられず、ただ一人のなんでもない男に「一瞬の永遠」という妄想を与え、その人間の人生を破壊して終わるのみである。身の程をわきまえずに手におえない女に手を出そうとした男の末路は悲劇である。
誰もが誰も、シィルのように運命の相手に出会えるわけではない。男だって誰もがランス様のようになれるわけではない。男の視点だけから見たら、食人鬼にあこがれる愚かな女の子の話を男女反転させた程度のたわいない話にしか過ぎない。
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女性目線から見るのが大事なんでしょうねたぶん
でも、正体不明の女性側から見えることが、この作品のキモなのだろう。「ウツボラ」みたいな感じで、女について想像したり自己投影したり、そういうのがこの作品の価値になるのだと思う。
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だから、人によっては、たぶんものすごい刺さるんだろうなとも思う。たとえ自分が男に救われて幸せになれないとしても、「自分の死(生きざま)によって、一人の人間に癒えない魂の傷を残す」みたいな妄想が実現していることになるんだろうか。あるいは、何か「容れもの」がなければ、自分を定義する何かがないことにことによる精神的な呼吸困難ぶりを描いてくれたことが大事なのだろうか。あるいは、たとえ偽物でもいいから何か自分に形を与えてほしい、誰かにとっての「人形」になりたいみたいなことを描いてくれている作品とみるべきなのか。
多分答えは読む人によって変わってくるのだと思う。
Amazonレビューにはこんな感じのことが書いてある。なるほど、私は男側の視点で読んで「ヒロインである蜜のことは永遠に理解できない」「何もできないことの無力感」を強く感じたのだけれど、読者の人は「蜜」の気持ちを感じ取ってそこに共感するみたいですね。
「リスカ」「ボーダー」「引きこもり」とかいう、単語が無い頃の作品なんですよね。
この作品を読むのは楽しむためではなく、ある種のやるせなさ、くすぶる苦しみに救いを求めている人が不意に手を伸ばしたくなるからなのだと思います。言葉では言い表せないこの世に対する辛さを人は不意に感じてしまうときがあります。そんな時に読むと自分もこの作品に同調してしまう。なかなか他では見ない作品ですね。
この作品が描かれた時、主人公の名前の「蜜」は使ってはいけない漢字の一つだったらしいです。その辺りからも存在を許されないというか、人の作った理想を体現することでしか、生きられないっていう蜜を表している気がします。私にとっては、完璧な作品です。
残念ながら、私にはそこまでこの作品にのめりこむことはできなかった。読む時期が遅すぎたんだ……。
雰囲気は好きだったけれど、世界が狭すぎて窮屈過ぎて私にはきつかった。その窮屈さこそが良いという人は良いのだろうけれど、私は好きじゃなかった。外部者が存在し、そのサポートもあってこの作品よりも深く深く堕落していく「仏蘭西人形」のほうが私の中では評価は高い。ヒロインとしての怖さではやはり「CARNIVAL」の理沙を超えることもない。
ただこれは、単に私には合わなかっただけだと思う。
先に「KISSxxxx」を読むことをおすすめ
先に「KISSxxxx」を読むと、主人公であるかめのちゃんとカノン君の間でこういう会話があります。
これを読んでおくと、より感じるものがあると思います。
「私、生まれ変わったら植物になろう」
「いいなそれ」
「うん、それいいよ」
「かめのちゃんがウツボカズラになって、そしたら僕は虫になってかめのちゃんに食べられよう。
そして僕はかめのちゃんに同化しちゃうの、永久に」
「やだ。それよくないよ。
私カノンくん食べたくないもん」
「じゃあ、二人で虫になろう。それで二人でウツボカズラに食べられるんだ」
「うん、それならいい」
「そしたら二人で溶けていくのが分かるね。ウツボカズラに吸収されていくのも分かるね。素敵だよ」
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「致死量ドーリス」の場合、女がウツボカズラであり、男は虫である。そして、女は途中まで順調に虫を溶かして捕食していたが、最後に消化しきらないまま吐き出して、自分だけ死んでしまう。女が何を考えていたかはわからない。
かめのちゃんとカノンくんのように、本当は二人で溶け合いたかったのかもしれない。そして、それが不可能なことをしって絶望したのかもしれない。その答えは作中では示されない。なにせ、彼女は何一つ思いが相手にわかるように表に出すことはないからである。だからこそ、読者によって自分が好きなように解釈できる作品となっている。
きわめてスマートに、コンパクトに「堕落」というもののイメージを美しく描いた作品として理解しました
今の私には合わなかったとはいえ、その時間の濃密さというか、「堕落」というものをごく短時間にギュッと詰め込んで感じさせる作家さんのセンスは本当に素晴らしく、これはもうストーリー漫画というより芸術作品っぽいですよね。。マンガというよりコンセプトアートみたいなものとしてすごいなーと思います。
雰囲気を味わうためにもうちょっと引用しますね。
ねえ蜜、君はくだらないって笑うかもしれないけれど。僕は本当にその時運命の糸が見えたんだよ。君の細い足首からくねくねと生き物みたいに触手を伸ばし、僕を絡め取ろうとするその糸が。
夜なのか朝なのか真昼間なのか。今日が何日なのか、外の天気はどうなのか全ての感覚はとっくに麻痺して蜜のことしか考えられない。嘘の温度嘘の湿度嘘の時間。蜜だけが本当
「あの子は君なんかの手に負えるような代物じゃないよ。」
あの子は君の理想の少女だろ。僕にとってもそうだった。あれは、相手の望むものになるのさ 。僕たちの出会いは運命的芸術的出会いだった。彼女を初めて見た時息が止まったよ。僕がずっと描きたかったドーリス(理想の少女)がそのまんまそこに体現されていたんだからね。それまで何人もモデルは使ったけど、あれほど完璧なドーリス理想の少女はいなかった。外見的な部分だけじゃなく仕草も考え方も物言いも。どこもかしこも、彼女はまさに僕のドーリスそのものだったんだ。
けど、しばらくして気が付いたんだ。彼女が意識的無意識的にそれをやってるって事にね。その頃の彼女は自分を持て余していた。自分がどう生きたらいいのか一体何をなすべきなのか、むき出しの神経を無防備に晒したこの少女人形は漠とした不安と制御不能の恐怖の中で今にもひきつけを起こして失神寸前といった態だった。そこにドーリスという入れ物が与えられたんだ。僕の作り出した架空の少女の肉体となることに、迷う理由のあるはずがなかった。そして幸運にも彼女は僕が彼女に望むことを敏感に察知し忠実に具現化する能力に長けていた。僕たちの利害は完全に一致した。僕たちは二人ともドーリスが必要だった。
しかし、永遠にドーリスではいられない。彼女もいつかはやがて老いさばらえて行くのに絵の中のドーリスは永遠に少女のままだ。彼女はこのところずっとそれを感じていたに違いないんだ。ドーリスは限界だ。次を探さねばまたあの不安な日々がやってくる。そこに都合よく現れたのが君さ。ドーリスという人工の皮膚を脱いだ時何もなくなった彼女は代わりの皮膚を君に求めた。今度は君の理想の少女になろうとしたのさ。
だけどあの子は馬鹿じゃない。すぐに気づくだろう。君じゃ彼女にそれを与えられないことに。だって君、なんでもないじゃないか。少なくとも今の君では彼女の救いの神にはなり得ない。それどころかヘタをすると、君まで共倒れだよ。
そう、これは忠告だ。そもそもドーリスの代わりなんてあるはずがないんだ。あまりにも彼女はドーリスに接近しすぎた。彼女も本当のところはもう気付いているのかもしれない、頭の良すぎるのが彼女の不幸だ。
なるほどね、だから彼女は出会った時に「私のことを話して」と言ったわけだ。そして「私がドーリスじゃなくても?」と聞いたわけだ。
彼女は彼女なりに、ドーリスでない自分として生きる希望を求めてたわけだけれどアプローチが「自分がドーリスであったころ」から変わってなかった。「誰かにとっての理想の存在」という形でしか自分を保てなかった、と。
紳士淑女の皆様。こちらがミスター何でもない男が残した唯一の作品です。
もはや世界にたった二人きりの僕たちは安全なこの部屋に隔離される双子の胎児みたいに抱き合って眠る。その日を境に僕たちはほとんど全く外に出ることをやめた 僕たちが僕たち以外のすべてのものと決別したのは。
さっきから踊っているこの女は誰だっけなかなかの美人だ眉毛がないななんで昨日もおとといもその前もずっと俺の視界に入るんだろう部屋から一歩も出ないで俺を監視しているのかな俺が道を外れないように通りで一緒にいると息が詰まりそうになるご苦労なことだ何か忘れていないけそうだ愛していたんだっけあい愛していたそうだったそうそう愛してるうんところでそれは憎んでいるって言うのとどう違うんだ。
結局僕はしくじった。君を連れて逃げ出すことができなかった、夢から希望から未来から現実から。
君は最後まで一人だった。僕は彼女に関わることすらできなかった。ただの一度も。あんなに近くにいたのに。何もかも世界は全て思い通りだと思っていた頃の僕を懐かしく思った。
ねえ、君のいない今日と明日とあさってと、それから何週間を。僕は、どうや って過ごしたらいい?
これ、男をエサにした、ものすごいオ〇ニー行為だと思うんだよね。女性が読んだらさぞ気持ちいいんだろうなと思う。つまんない男ごときには私は理解できない。そして私の神秘性は男を壊し、一生虜にするってわけしょ。歪んでるけどこういうのが理想という時期もあるんだと自分の人生を犠牲にする覚悟さえあればこういう欲望もありということ。好きな人には嫌なたとえかもしれないけれど、彼女の相手が年下の男ではなく年上の先生であったなら、つまりこの作品の前段階での蜜さんの状態はクジラックス先生の対極に位置する作品だったと思う。(被虐体質のパッションリップと加虐体質のメルトリリス的な意味で)
一応思ったことは書いたけれど、この作品については、私ごときが理解することは不可能だろう。これ以上とやかく語っても意味はないだろうからやめる。せっかくだから、しかるべき時に読んで、深く感じ入った人の感想が読んでみたい。
ちなみに、KISSxxxxの方は、これ「究極超人あーる」をビジュアルバンド系の人間がやってる、みたいな話だと思う。いろいろ思わせぶりな設定はあるけど別に何か特別なことが起こるわけではない。ただ、周りの人間はちょっとずつ変わってるけど、ってかんじのお話。私はこっちの作品はかなーり好き。もっと続いてほしかったな。
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おまけ
心が男にも女にも定まらない人の話 pic.twitter.com/mKnU2A5Cf5
— こけもずく🐙 (@kokemotto) May 11, 2019
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この作品、途中からは微妙な気もするけど題材としてはとても面白かった。