頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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ソースを正確に読むだけで価値がある存在になれるのが今のネット

たつき監督へのインタビュー動画を見た。降板騒動になる前に、けものフレンズについて作者がどのようなことを考えて作っていたかを語る内容だった。

 

この動画についての細かい感想はまたいずれ述べるかもしれないが、とにかく動物というものを題材にするにあたって、ものすごく真摯であると感じた。正確な言葉は忘れたが、題材となった動物に対して「我々はあくまでネタを借りさせていただいている」というようなことをいっていて、自分が主役ではなく動物が主役であるようなことを言っていた。その上で、ただ動物すごいやろ?をゴリ押しするのではなく観客に対しても楽しんでもらえる様にするためにここまでするかというくらい考え、さらに制作体制についてもこだわりすぎるくらいこだわっていることがわかった。(正直、軋轢の原因はこのあたりにあったんじゃないかと思う)

 

とにかく、

 

1:ネタ元に対する謙虚な姿勢と

2:演出面で自分ができることは何でもやろうという欲張りな姿勢

 

が両立しているのが素晴らしいなと思った。

 

 

 

 

さて、話は大きく変わるのだが永遠のゼロの作者が空母いぶきの件でなんか佐藤さんに暴言を吐いていた。そしてホリエモンも佐藤さんが悪いと断言し、説明を求められてもろくに答えず「俺の言ってることがわからないやつは文脈が読めないやつだ」などと言い出した。百田さんもホリエモンも、文脈どころか事実も確かめずに、とにかく俺様が正しいという態度であった。百田さんはもう手遅れだからいいとして、ホリエモンはこんなひとが教育機関やろうとしているのかと思うと少しげんなりしてしまう。

 

それに対して反論する人もいたが、党派性の強い部分で殴り合うだけで、いつものネトウヨとネット左翼の不毛な争い、としてしか見られていなかった。

 

 

その後、佐藤さんの発言についてきちんと雑誌でソースを確認した人が出てきた。ソースをちゃんと確認したらこう書いてあった、という話だけで大きな話題になった。もちろんcdbさんの知名度と文章のうまさの要素も大きいのだが、そもそもこんな話題が大きく取り上げられるということがものすごく違和感を感じる。

 

そういえば、わたしも時々おかしいなと思ったことに対してたまにソースを確認して記事を書いただけの記事がホッテントリすることはしばしばあった。

 

最初から、みんなが気になったことにもうひと手間だけかければなと思うことはある。自分で読まないまでもちゃんと調べて書く人を大事にしたり、よくわかってないのに偉そうに断言したり物事を単純化してしまう人より、正確さを大切にする人を大事にして、自分で考えたり自分で意見を述べるようにすれば、きっとホリエモンとかキンコン西野なんか要らないのになとか思ったりもする。

 

そんなわけで、今って何か発言する前に、ネタ元に敬意を払うというか、もっとシンプルに気になる情報があったときに自分で確かめる、という意識が極端に薄れてる人が多いのだろう。なんでそんなにかんたんに他人を信じられるのかは私にはよくわからないが。信じるにしてもなぜその人なのか。その説明がちゃんとできるのだろうか?

 

 

とはいえ、別にこれの是非とか社会背景とかそういう話をするつもりは全然ない。そんなん社会学者が山ほどやってるだろうし。私がなんちゃってで世の中について嘆いてみても意味はない。

 

 

私が言いたいのは、ブログのネタに困ってるとか、注目されてみたいという人は、ネットで話題になってることについて自分なりにちゃんと確認したりしてそれまとめるだけでも需要あるんじゃないの?ってこと。

 

 

ブログネタに詰まってる人って、いきなり自分を見てもらおうとすることが多い気がする。よほど才能がある人ならいいけど、そうじゃない人はまずみんなが知ってることについて、自分なりに情報を一つ追加できないかな、とかそういうスライム倒すみたいなところから始めたらいいのではないでしょうか。

 

このブログは、スライム倒し続けて5年間ですが、少なくとも記事のネタ切れたことないです。ありがたいことに読者数も1000名突破しました。読んでくださる方、いつも本当にありがとうございます。

 

私の場合は、いい加減スライムだけじゃなくてもうちょっと上のレベルを目指さないといけないですけどね。。。