ちょうどこんな記事があったので
「恋愛結婚が当たり前」だった時代の終焉と、これから - シロクマの屑籠
憧れの対象だった恋愛結婚は、いつしか当然のテンプレートとなり、ある種の強迫性を帯びてきた。「好きな者同士が、自由に伴侶を選びあう」はずの恋愛結婚が、「好きな者同士を探さなければならない」ものへと変貌していった。
いい機会だと思って紹介しておきます。
桐生先生は恋愛がわからない。(3) (フラワーコミックス)[Kindle版] | ||||
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恋愛がわからない桐生さんという女性
「逃げ恥」の男性は、恋愛に疎いというかそもそもコミュニケーションが苦手で、恋愛から逃げている、という描写でしょう。そもそも男性で、かつ仕事が出来て自覚できている、と扱いのため社会的プレッシャーはそれほど強く描かれていない。
こちらは恋愛嫌悪で、かつ「自分はAセクシャルなのではないか、非性愛なのではないか」と悩む(※クエスチョニングというらしい)女性マンガ家が主人公の物語。
ただ、「桐生先生」は女性。コミュ障ではなく人を大事に思ったり愛しく思うことは当然あるし、親友もいる。それでも性欲を一切感じない。かつ「恋愛できるものならしてみたいけれども、そういう感情が全くわからない」ことでコンプレックスのようなものを抱いているし、あまりに世間から「恋愛をするのが当たり前」というプレッシャーを受け続けて恋愛嫌悪になっている。
思春期辺りからですよ。同級生たちがどんどん変わり始めたのは。その理由が恋愛感情にあると知ったときから、我が恋愛嫌悪は始まった。
「恋愛感情持ってる連中は、何考えてるかわからん!正直怖ェ!」
そう……こういう偏見の垂れ流しこそが大嫌いなんだよ!!女は恋愛大好きで恋人欲しくて仕方ないのがデフォな生物とでもいいて~のか!だったら何か?生まれてこの方、他人に恋愛感情抱いたことが無い私は冷血漢か、異常者か!!私だってねぇ、他社に対する愛情は持ってますよ!?ただ恋愛がわからんだけだ!
そういうわけで、恋愛関係に関する悩み方はより攻撃的であり、なおかつ真剣です。「恋愛感情ってもんを分析して、持って無くてもおかしくない、と確信したかった」がために大学で心理学まで専攻しています。
ポリシーなんて大層なものは持ってません。私…自分の性的指向がわからないというか、これまでの人生で、男性にも女性にもピンと来たことがないんです。なので自分は、Aセクシャルかノンセクシャルなのかなあ……と疑ってまして。ただ異性愛者たちが、自分たち以外の性的指向を無視した発言をするのを聞くと、つい引っかかってしまうだけで。ジェンダーイメージへの反発も、恋愛がわからないってとこに起因してると思います。
「ムカつかないんですかアンタ!恋愛してねー女は問答無用で不幸、みたいなイメージ押し付けられて!」歴史的背景とか社会からの影響を考えずに「女はそういう生物」ってことで片付けるやつは思考停止してんだよ。人間の価値観は社会の中で培われます。「女は恋愛好きな生き物」って情報をガンガン刷り込まれる社会で生まれて育てば、それが普通って思い込む女が大勢いてもおかしくないでしょう!でも、中にはそういうイメージの押し付けに抵抗感じる女もいます!そういう女相手に、「女の人は恋愛好きでしょ」なんて期待を寄せられても、もう困っちゃうわけですよ。
こういう恋愛に対して価値中立的、あるいはややネガティブな価値観を持っている女性からみた恋愛というものは「恋愛するのが当たり前」とは全く違う観点なので、新鮮で面白いです。ほとんど研究対象なんですよね。
理系が恋に落ちたので証明してみた。(1) (メテオCOMICS)[Kindle版] | ||||
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マイノリティであることのいらだちや不安
正直、自分は普通に異性愛者なので、最初は彼女の感覚が理解できない、大げさって思ったりもします。ただ、その感覚以外の部分、つまり、世間の人と違う感覚を持っていることの苦しみやいらだちはわかります。周りに話をしても自分の感覚は理解してもらえないどころか、一般人の価値観を押し付けられたり、「変なやつ」として白い目で見られる。分かってもらうことは諦めざるをえないけれど、話をしなければそれはそれで放っておいてもらえない。そういうことが積もり積もってストレスは溜まってるんだろうな、という部分は強く伝わってくる。
気が進まない。その手の会話には良い思い出がない。
「桐生さん、ほんと変わってるよなー」「というか、つまらないこと気にするよね」って言われるのがオチだ
はてなでも、マイノリティの方々は妙にやさぐれた態度の人が多く、すぐコミュニケーションを放棄したり、やたらと強圧的な態度の人が多くてちょっと怖いなと思うのですが、それは普段マイノリティの人たちが受けている無理解や重圧の裏返しということなんでしょうね。 わかるとはいいませんし、やっぱり不愉快ではあるのですが、仕方ないかな、と少し思いました。
恋愛がわからない女性が、複数の男から交際を求められる展開(モテ期)が来て……
こうした「視点」は面白いんですが、展開自体はどっかで見たことあるような話です。
恋愛を理解できない自分をマイノリティと感じつつそれに反発し続けてきた桐生先生だけれど、自分が恋愛マンガを描くことになり、それをきっかけに「恋愛感情を理解しよう」と奮起する。そのタイミングに合わせてなぜかナイスミドルの男性や、若い大学生の男から求愛される、という展開。
ただ、このときも、「モテキ」の男主人公と違って、異性の人間と付き合いたいと思っても自分の性的指向がネックになる。相手のことを大事に思うからこそ、自分でいいのかな、と悩んでしまう。
もし私がAセクシャルだったら……どんなに付き合っても恋愛感情はモテないかもだし。
ノンセクシャルだったら、恋愛感情はモテたとしても、性的行為は楽しめないかもです。
あと……あと…それに……
そんなわけで、スタートこそ独特だけれど、やはり恋愛漫画としてはオーソドックな展開……そう思わせながらも要所要所ではやはり独特の部分が混じってくる。というこのバランスが良い感じなのではないでしょうか。
当事者の人からしたら、こんなもんじゃない、って思うかもしれませんが、個人的には興味深い作品です。
ちょっと真面目に恋愛や性欲の話を考えるならこちらの本がオススメ
男女交際進化論「情交」か「肉交」か (集英社新書) | ||||
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こちらの記事から引用しますが、
男女交際進化論「情交」か「肉交」か - 情報考学 Passion For The Future
つまり「上等」な人々には「上等」な恋愛ーーー精神的恋愛ーーーが、「下等な」人々には「下等」な恋愛がある、という差別的な構造を恋愛のなかに築いていったのです。そしてそのもっとも高度なものとして、最終的に登場したのが「プラトニックラブ」でした。それは高学歴の男女にだけ許されるある種特権的な恋愛形態だったのです。
恋に落ちるのはいつの時代も変わらないのだけれど、男女交際のスタイルは自然ではなく文化なのだ。恋に落ちるのはいつの時代も変わらないのだけれど、男女交際のスタイルは自然ではなく文化なのだ。
ヒトにおいては、性行為と経済的活動と繁殖の3つの間を結ぶヒューマン・トライアングルが形成されていると著者は説明する。この三者関係では、動物と違い性行為と生殖を切り離すことができる。性行為は単独で存在することもできる。経済と密接な関係を持つようにもなった
こういうあたりを踏まえて読むと、なおこの作品が楽しめるかもしれません。