頭の上にミカンをのせる

マンガアニメ大好き兼業投資家の日記です

「トクサツガガガ」において、アニメグッズを捨てられて以来恨み続けていた娘は母親に対してどう思いをぶつけたか

長くなってしまいましたが一番最後の「トクサツガガガの紹介」のところだけでも読んでもらえたらうれしいです。というわけで久々に目次置いときますね。

「アニメグッズを捨てられ、36年間親を恨み続ける53歳男性」の話

dot.asahi.com

捨て台詞でもなく、喧嘩腰でもなく、ちゃんとじっくりと、「あなた達の行動をいまだに許せないんだ。高校生の僕にどうしてそんなことをしたんだ?」「アニメのどこが恥ずかしいんだ?」ということを話し合いましたか。もし、とことん話しているのなら、僕にはもう、薫ラバーさんに対するアドバイスはありません。それでも、恨みが晴れないのなら、しょうがないとしか言いようがありません。

トーチソング・トリロジー』という映画は見たことがありますか? 1988年の映画ですが、自分がゲイであることをなんとか母親に受け入れてもらおうとする息子と、ゲイを拒否する母親の壮烈な映画です。その議論の徹底した戦いはただ唸ります。話して話して、とにかく、薫ラバーさんが納得できるところまでいきましょう。

この話は受け止め方が二極化してるのがおもしろい

懐疑的な人

raitu これは悪手。人間同士には個々に最適な距離感というものがあり、それを維持することこそが人間関係最大のポイント。

kiichan1115 自分はこの回答に反対だな…。相対化って相手の視点を理解しろということでしょ? 母が相談者の価値観をまるで理解する姿勢を見せておらず無断で捨ててまでいるのに。無理な話でしょ…

tomoya_edw とことん突き詰めて話すのはやってもいいけどさぁ…。みんなも経験ない?心を開いて付き合い長くて、そんな相手だからこそ知り合い未満まで嫌うか無関心になってしまった人がいるってやつ。パンドラの箱だと思う。

Zuboraben とことん話し合えば、という発想になるのは鴻上さんが周囲に恵まれてたんだと思う。やるなら恐ろしく後悔する結果も覚悟しないと。

ikukosikuko そのご両親が30年間費やしてきた愛がすべて無駄だったと言われても耐えられると見越した鑑定眼はすごいとおもう

肯定的な人

K-Ono とことん話した結果、別に恨み続けてもいいわけでな。これは薫きゅんラバー氏の"36年ためた鬱屈"を消すための手法なのだから。そのあとの和解決別は違う話なんだよ。

flatfive 超大事。本文にもあるが母親と理解し合う事じゃなくて怒りを対象に充分表現する事が重要。抑圧された感情は何年経っても消えず変形して身体症状や精神不安など厄介な形で現れる。時間は解決しない。次善はセラピー。

yn1104 多分、親はその「とことん」には付き合わないよ。それはそれで「わかってくれるはず」という希望が消えるから怒りもなくなるけど。まあどうせ介護するなら『他人』より『家族』のほうがいいわな。話し合えるといいな

hiroharu-minami 最終的に「こいつは子供を自分の所有物としか捉えられない毒親なんだ」って云う辛い認識に至る議論であっても、それをはっきりと理解できること「言いたいことを全て言っておく」ことのメリットは大きいよな。

私はかなり懐疑的です

まずお母さん・お父さんがその怒りを受け止めてくれるという期待が全くありません。

仕方ないと諦めたからって悲しくなくなるわけじゃないの。夫や家族が愛してくれるほど、社会に拒絶される我が身が惨めだった。時間が解決してくれるという人もいたわ。いつか癒やされる日が来るって。

ウソよ。何年経っても、今、この瞬間に起きたことのようにあの時の感情が胸の内で泡立つの。早く忘れたいのに忘れられない。

https://www.tyoshiki.com/entry/2015/02/07/115822

そして、傷は癒えなくてもたいていの人は、人を恨み続けることはできない。
たとえ肉親であってもそこまでの執着を持ち続けられない。疲れてあきらめてしまうから。

わかっている。ここにいる限り解放されることはない。
いつまでも傷口は開き、裏切りは重く、幸福はただあさましく。
そして私は全てを許せないまま許せないことをたった一つの証明として---

https://www.tyoshiki.com/entry/2019/05/23/132506

つまり、53歳男性の執着や怒りはそれだけ強いってことだと思います。これだけ強い感情があって、それでも今まで解決できなかった話ですよね。そういうものに対して「真剣に話し合いましょう」って言葉だけもって送り出すのはどうなんだ。「真剣に」とは言ってるけど、ただ何の工夫もなく話し合ってもダメなのはわかりきってるはずで。


「行動することの必要性がわからない」から躊躇してるのではなく「成功のイメージが全くない」ことが問題なのだと私は思う

鴻上さんが悪いというよりは、このコーナーの限界だと思うんですが、「こうしなきゃいけない」がわかってるけど成功のイメージが全く持てずに足踏みしていることに対して具体的な戦略部分に言及せず「今がラストチャンスだ」とか「話しあうしかない」と精神論のところだけ説かれるの、個人的にはかなりきついです……。

私が目の前でこの答え返されたら「違う、そうじゃない」って言いたくなってしまう。

違う、そうじゃない 

違う、そうじゃない 

あくまで個人の体験なので私の問題かもしれないですが、少なくとも私は親に何度もそういった幼少時の怒りや大学の時に受けた理不尽な仕打ちについての感情をぶつけてるが、全く関係は変わらない。 

ただ思いのたけをまっすぐにぶつけるだけじゃあ何も変わらないんです。それによってスッキリするところまで相手が向き合ってくれたりもしない。この手の人たちの「自分が悪いという可能性を想像することさえ不可能(むしろ全力でそれを拒否する)」性質を甘く見てはいけない。話せばわかるなんていう期待を持ってはいけない。

少なくとも、親という立場でいる限り子供に対してはとことん「邪悪」な親はいるのです。

相談者も、そういう経験が何度かあってわかってるから今まで手が出せなかったんだと覆う。


「ぶつければなにかが変わる」っていうのは、親を過大評価しすぎだろう。なので、私には鴻上さんの答えは「99%無駄だけど当たって砕けてそのことを確認しろ。それであきらめろ」って言ってるに等しいと思う。


でも、私はそもそも「当たって砕けさせてくれる」とは思えないんですよ鴻上先生…… 「思いのたけをぶつけて、だめだったならスッキリすればいい」という楽観的なイメージは、河原で殴り合いしたら仲良くなれる不良少年の話とか、ソープに行け御大と同じような響きなんですよ……。


(勘違いしないでほしいこととして、ここまで批判的に書いてますがそれでも鴻上先生の答えはこの企画で可能な限り誠実なものであると思っています。今回は自分が相談者と同じような悩みを抱えているから納得いってないだけで、鴻上さんはいつもと同じように方向性を示してくれているだけです。きっと突っ込んで相談すればさらに深く受け止めてくれるという信頼はある。あくまでこの企画の範囲内では限界があるって話です)



そこで参照してほしいのが「トクサツガガガ」の15巻以降の展開

批判だけするのは不毛なので、ひとつ例を挙げて鴻上さんの話を補足したいと思う。そう。多くの人がブコメで書いているけれど「トクサツガガガ」の話である。

www.tyoshiki.com

鴻上先生はその必要性だけを語っているけれど鴻上先生のアドバイスを実際にやってみたらどのくらいの軋轢がが発生するか、そしてそこからどう破局に陥らないようにかじ取りをするかを描いている。


娘はいままで母に対してずっと隠れ特撮オタをやってた娘が母に見つかったのを機に、ついにため込んでいた感情をぶちまける。その際の胃が痛くなるような緊張感のあるやりとりが描かれている。


最初はただ恨みつらみを爆発させ「嫌い」のひとことを突きつける。ここで終わってしまったらそのまま絶縁なのだが幸運にこの二人はそうはならなかった。母親も今まで我慢してきた思いを娘にぶつけ、お互いにぶつけあう。そして、とりあえず喧嘩をしたことで新しい道が開ける。まさに鴻上先生が語っていたような流れになる。


だが、このような展開になったのは娘側が「正攻法では絶対に無理」だと最初から覚悟していて戦略とアイデアを用意していたからだ。この部分こそが大事だと思うので是非読んでほしいと思う。


具体的なアイデアとは「お互いが親と子の関係である限りは関係の進展は不可能だ」というもの

子からすれば親が親であるがゆえに逆らえなくて恨みだけがたまり、心を開けなくなった。親からしたら子が子であるがゆえに自分の思いを受け止めてほしいという気持ちが抑えられなかった。

さらに言うと、子はシングルマザーとして自分を育ててくれた親への恩みたいなのが枷になっていた。親は娘を育てるために自分の好きなものの多くを犠牲にしてきたことが後に引けない理由になっていた。

この二人にとって、互いに求めているのは「自分の好きを理解してほしい」と些細なものだったが
親子関係という距離感である限りはどうあがいてもうまくいかないものだった。

なにより、最初はささいなすれ違いだったかもしれなくても、子からは長い間の抑圧への恨みが、母からは長年自分から逃げ、嘘をついていたという不信があって家族としての関係修復はとっくに不可能になっていた。

「全てをあきらめるか」「すべてを得るか」しか選択肢がないわけではない

だから娘は発想を変えるのだ。

「①やられたことは絶対に許すことはできない以上、②親子として二人が思いをぶつけあって仲直りなんて楽観的なシナリオはない。全ては得られない。そのうえでこのやりとりから何かを得られるとしたら何を選ぶか。何が一番大事か。自分は何が得たいのか」と。そうしていくつかの要素を捨てて、ある要素だけを選び取る。



この発想が素晴らしかった。


「あ、これでいいんだ」って思った。「すべてを許して受け入れなければ」と考えなくてもいいし、「話が通じないならきっちり切り捨てなければならない」わけでもなかった。100点満点でなくても全然よかったのだ。無理なものは無理と認めて考えればよかった。今まで苦しかったのはお互いに100点満点か0かで考えていたからだ


そのことをきちっと描いてくれてるのがとてもよかった。


なお、ここまでやってもやっと「不良債権を減らせた」くらいでまだまだスタート地点に立てたかどうかも怪しいのである。長年の恨みというのはそのくらい難しいのだ。それでもプラスマイナス差し引きした感情がマイナスでなくなって1点でもゲットできたなら、将来に希望は残る。


まとめ 「親子関係」への悩みは尽きせぬものだけれど

「親子関係だから」というだけであらゆるものを欲張ってしまいがちな人は多いと思うけれどたぶんそれが原因でうまくいかない家庭って少なくないと思う。どちらも相手に求めすぎなのである。そういう人こそ、この漫画を読んで一度「一番大事なものは何か」って考えてみてほしい。

私はこの作品にとても勇気づけられました。是非皆さんも読んでみてほしいです。