おすすめ度★★★★★
この記事でマンガ紹介が500記事めになるので、私が大好きな作品「レ・ミゼラブル」のコミック版を紹介します。
「一つ一つの選択肢の積み重ね」によって、とあるシーンに重みと輝きが生まれる。こういう作品が私はめちゃくちゃ好きです。このいろんな可能性を念頭に置いたうえで、一つの物語がたどり着いた結末を受け止めること。私はそのことをエロゲや「ひぐらしのなく頃に」で学ぶことができました。
その観点において、「レ・ミゼラブル」は古典作品の中でも最高傑作だと思っています。
この作品はまさにその「選択」の物語だから。
人を不信や争いに導く社会に抗いながら、良心に基づいて選択をし続けた男の人生の帰結とは、ということで
・エロゲのように選択肢が見えるシーンがたくさんある、いろんな可能性を内包した物語である。
・なろうのような異世界転生の感覚や俺TUEEEE感が楽しめる。
・自分を慕う幼女との平穏な生活がいとおしい。
・主人公だけではない群像劇要素でいろんな楽しみ方ができる。
・一人の人生を最初から最後まで描き切ってるので終わった感があって満足度が非常に高い。
と、私が好きなものすべてが詰まっている。
というわけで、ここからはジャン・バルジャンの選択部分についてまとめます。
この作品は最低でも作品中に全部で15個の選択肢があったと思っています。どれか一つ違っていても、この作品のようにはなっていない。そういうことを思い浮かべながらこの作品を振り返るとまた違った感想になるかもです。
それにしても、このコミカライズは本当に素晴らしい。
一つ一つの重たい選択に顔をゆがませ、何度の他の可能性を考慮し、言い訳をし、自分の愚かさを呪いながら、それでも約束に従って血のにじむような選択をし続けるジャン・バルジャン。その苦悶の表情がマンガでは非常に克明に描かれます。マンガを読むことではじめて得られる気づきも多いと思う。文章だけだとわかりにくかったジャン・バルジャンやジャヴェールの内面が深く掘り下げられてえになっているのがすごい。
導入部 ジャン・バルジャンの人生を決定づけたミリエル司教との約束
①パンを盗んだとき
たった一つでいい。今夜だけ。せめてもの慈悲を
②銀の食器を盗んだとき
このみじめさを生み出したのは何だ?
法だ。社会だ。神だ。
俺からすべてを奪った。
これは復讐だ。19年の苦痛と汚辱をやり返せ
③これからの人生で生まれ変わると決めたとき(1815年)
「法は、社会派、神は、お前を一生赦しはしない。」「私は赦す」
「どうするか、お前が決めろ。24601号」「違う、私はあなたの名前を知っている。貴方の名はーーー」
これが真の「君の名は」だ。
司教はジャン・バルジャンの名前を取り戻し、祝福を与えてくれた。その代わりに、必ず人生の終わりに、ジャン・バルジャンとして在ることが義務付けられる。これはめちゃくちゃ重たいよね。
第一部 ファンティーヌ編 ジャン・バルジャンの人生を決定づけたもう一つの約束
④身バレの危険を冒して市長の任を引き受けたりフォーシュルヴァンを助けたとき
あの一瞬、過去の暗いものが頭をもたげました。
私は、あなたが救うに値した人間になれていますか?ミリエル司教
⑤暴行事件を起こしたファンティーヌを市長命令として放免した時
「私は彼女を許す」
「あなたが許しても罪は消えない!何のための法か!法とは遵守すべき」
「ジャヴェルくん。最高の法は、良心だよ」
⑥ファンティーヌとの約束を破ってでもシャンマティユーを助けることを決めたとき。
ファンティーヌはどうなる?コゼットは!?取るに足らない盗人一人の人生と、この地方に暮らす無数の市民の生活を天秤にかけるのか?そうだ、仕方ないのだ!マドレーヌとして生きよう。私はジャン・バルジャンではない。
墓穴は一つ。シャンマティユーか、己自身か。どちらかがそこに入らなければならない。
また、あの地獄に戻るのか?俺はどうすればいい。
無理だ。私はシャンマティユーの裁判が始まるまでにアラスにはたどり着けない。
仕方がない。車輪が壊れてしまったのだ。精一杯やった。しかし無理なのだ。
私はアラスに向かうべきではない。これは神の啓示なのだ。もういいじゃないか。ここまでよく頑張った。
さあ変えるといい。お前を慕う人々と、お前のみを頼りとしている、哀れな女がいるお前の街へ。
それとも、天意に背き、なおあがくのか?わかっているのか?その先は地獄へ通じる扉。
お前は、己の意志で、その扉を開くのだ。
⑦死んだことにして身をくらませることにした時。
第二部 コゼット編 ジャン・バルジャンの生きる理由
⑧コゼットを引き取りゴルボー屋敷に住まうことにした時(1823年)
いまはっきりとわかる。私はコゼットの柱であり、コゼットは私の杖なのだと。
ここでおとなしくしていればいいのに、彼は慈善事業をやめなかった。
そのせいで、浅ましい女に密告されてジャヴェールがやってくる。
追い詰められるが、④で助けたフォーシュルヴァンに救われる。
あなたは人の生命を助けておいて、その人を忘れてしまいなさる。
助けられたものはみんなあなたを覚えているというのに。恩知らずなお方です。
ここからはユルティム・フォーシュルヴァンという名前を名乗ることにする。
第三部 マリユス編 しばらくジャン・バルジャンは後景に
⑨フォーシュルヴァンが死んだあと、修道院を出る決断をした時。
サンジャック会堂に移ってから、再び慈善活動を行う
このせいで、またテナルディエ一家やパトロン・ミネット、ジャベールらとつながってしまう。
そこまでわかっていても、ミリエル神父との誓いはそれ以上に重たいものだっってことなんだろうな。
時に運命は糸をかけ間違える。
一つの誤りは、別の誤りを招き、糸は複雑に絡まってゆく。
結ばれるはずのなかった者同士が引き合わされてゆく。
みじめな者たちよ。君たちを見ていると、私は胸が痛い。
まるで在りし日の己の姿を見ているようで。わかっただろう?あらゆる苦痛をもってしても、私が娘を差し出すことは断じてない。
閑話休題 しばらくマリユスのターン
「天気の子」を見ていると、マリユスとコゼット(&エポニーヌ)を思い出す。マジで「天気の子」が受けるならレ・ミゼラブルのテナルディエ一家をメインとして物語化したら受けるんじゃないかな。
エポニーヌは本当に可哀そうだっただったけれど、本人は幸福のまま死んでいくのがさらに哀れさを誘う。
というかテナルディエは「不幸」というものを概念化したような存在で、ジャン・バルジャンだけに不幸をもたらすのではなくて、一家全員が不幸になってるよね。アゼルマは結局最後まで父親から離れられず、ガブローシュは死に、さらに下の子供二人も消息不明。
この作品はあくまで「民衆革命に敗れた人たち」を鼓舞する話であり、「戦って敗れたもの」は賞賛するけれど、一方でファンティーヌを死に追いやった女工たちやジャン・バルジャンを密告した老婆などは徹底的に「救いきれないもの」「醜いもの」として描いてるんだよね。
それにしても、このマリユス登場後の展開を見ると、天気の子って本当に東京を描いてはいるけど一方で社会というものをこれっぽっちも描かなかったなとう気持ちがますます強くなる。
第四部 「抒情詩」と「叙事詩」 二人だけの世界ではなくなり、1832年6月暴動が物語として大きく絡んでくる
⑩モンパルナスを撃退した時に、警察に突き出すのではなく逆に自分の財布を差し出した時
まぁその財布はがブローシュの手によってマブーフの爺さんのもとに届けられるのだけれど。
ここでモンパルナスを見逃したせいで、モンパルナスはテナルディエの脱獄を手助けしてしまう。
モンパルナスはめっちゃ味のあるキャラクターであり、エポニーヌとの関係がすごい萌えるんだけど、コミック版ではあんまり詳細に描かれてないのでこの点はとても残念。
⑪エポニーヌの密告によりテナルディエの脱獄を知り、コゼットの気持ちをしりつつもイギリスに移動することを決めた時
この時の決断はジャン・バルジャンらしくないといえばないんだけれど、ぶっちゃけマリユスが出てきてからのジャン・バルジャンはしばらくの間物語の舞台装置みたいになってるからね。しかたないね。
本当なら、ここで話が終わっていてもおかしくなかった。マリユスとコゼットは結ばれず、その代わりジャン・バルジャンがイギリスでコゼットと二人で平穏な晩年をすごすことだって可能だった。
でも、そうはならなかった。
閑話休題 エポニーヌの純情が、ジャン・バルジャンを再び決断の場に立たせる
エポニーヌはテナルディエの娘とは思えないほどに純情な娘であり、自分のみすぼらしい姿に恥じ入りつつもそれでもマリユスを思い続け、マリユスのために行動し、マリユスと一緒に死ぬために彼を騙してマリユスを戦場までいざなうけれど、結局恋するマリユスをかばって死んでしまう。とても悲しいね……。
「どうしてバリケードに、こんな危険な場所…」
「あなたと一緒に死ぬために」
「エポニーヌ、君だったのか。それなのに……僕をかばった」
「あなたがあの門の中に入っていくのを見るたびに、胸が引き裂かれるようだった。誰にも触れさせたくない。愛のささやきも、優しいまなざしも、何もかも、ほかの誰にも渡したくない……」
(中略)
「たぶん、あたし…あなたのこと、ほんの少し…愛していたんだと思う」
この後マリユスがエポニーヌの最期の願い(弟であるガブローシュを助けてほしい)を受け入れてガブローシュにコゼットへの手紙を渡してしまったために、ジャン・バルジャンはまたも決断を迫られることになる。
⑫ガブローシュからの手紙を受けて、マリユスを助けに行く決断をした時
この時、ジャン・バルジャンは愛娘のコゼットが自分よりもマリユスを大事に思っていることを知っていた。
お父ちゃんとしてはマリユスなんぞに娘を渡したくなかったかもしれない。
それでも、娘のために自分を危険にさらしてでもマリユスを助けに行った。
⑬革命軍にとらわれていたジャヴェールを解放した時
ジャン・バルジャンは政府軍との戦闘においても、一度も人を殺さなかった。
ジャン・バルジャンにとって、ミリエルのように生きることはそれほど重要なことだった。
優しく、寛大で。
悪に報いるに善をもってし、
憎悪に報いるに許容をもってし
復讐よりも憐憫を取り、
徳の高所にあってひざまずき、
人間よりも天使に近い徒刑囚……
この怪物目……!
殺してやる!いや、私を殺せ!殺してくれ!
⑭絶体絶命の状況で、それでもマリユスだけは助けようと地下水道をさまよっていた時
帰るのだ。愛する娘のもとに。
これまでの何も変わらない。二人だけの時間が流れるだけ。
それは何よりも尊い、魂の安らぎ。何物にも奪わせてはならぬ……そいつはお前の娘の思い人だ。
お前ならわかるはずだ。その青年を救った時、お前の娘はどちらを選ぶか。
その青年か、お前か。
マリユスが憎い。コゼットを奪う。
そして私は孤独に。孤独は嫌だ。
ようやく得た安らぎ。コゼットは誰にも渡さない。……ただ今は、コゼット、お前に会いたい…
ここからがこの作品の最大の醍醐味だと思う。
絶体絶命の状況で、ジャン・バルジャンを救ったのは
テナルディエ、そしてジャヴェールであった。
もちろんテナルディエは金と引き換えにであるし、ジャヴェールもジャン・バルジャンを助けるつもりだったわけではないが。
運命のいたずらで、そうなった。
そして、ジャベールは
ジャン・バルジャンを見逃す罪を犯すか、ジャン・バルジャンをとらえる罪を犯すか。
そのどちらも罪。罪を犯した者は、裁かれなければならない。私はこれより己を裁く。
私の理想は人間たることではなく、
偉大たることでもなく。
崇高たることでもなく。
ただ、〇〇〇〇〇〇〇ものになること。
己の魂を裏切って歩む、その道に、意味などない。それは私ではないのだから。
第五部 ジャン・バルジャン編 「ジャン・バルジャン」として人生を全うする
⑮マリユスに己の正体を明かし、コゼットを託して去る決断をした時
「なぜそれを今、私に打ち明けたのです。
黙っていればよかった。たとえ真実だとしても。
私はそんなことを知りたくなかった。」「これまで多くのことを偽ってきました。
それもみな、コゼットの幸せを願ってこそ。
私は役目を果たしました。なればこれより先の偽りはコゼットのためではなく己のための偽りになってしまう。」「生きるためです!仕方のない嘘もある!!」
「生きるためにパンを盗んだ私は裁きを受けました。
私しか頼るものがなかった姉、甥、姪たちがそのあとどうなったか。
そして今、生きるためフォーシュルバンの名を盗んだとして、今度はどんなさばきが下るでしょう。
裁きは私の実にとどまらないのです。
あなた方の家族に加わり、幸せになる権利など私にはない。あってはならない。」「…」
「ただ、恐ろしい。コゼットと離れ離れになることが。
己の意志でそんな真似ができるはずがありません。
あなたの助けがいる。だから告白した……真実を。
私は卑怯な男なのです。一言言ってくださるだけでいい。
もう決して私とコゼット、我々家族の前に姿を現すな、と。」
ここから先の展開が本当につらかった。
「チキタ★GUGU」のラー・ラム・デラルの最期を見ているようで本当につらかった。
今までの選択の結果の集大成がラストシーンに集約される
しかし、それまで本当に頼りなかったマリユスが、ジャン・バルジャンを救う。
彼の選択は多くが間違っていたのかもしれない。神様はずっとジャン・バルジャンに厳しかった。
でも、真摯に選び、行動し続けた彼に、神様は最後の最期だけ、ささやかなプレゼントをしてくれる。
痛みもない。苦しみもない。
あるのは喜びと、愛だけ。
光が見える。曙だ……夜明けが近い…
さっきは悲しかったけど、今度はうれしくて泣いた。 私も、こんな最期を迎えたい。自分にできることは何かあるだろうか。
たぶん全然伝わってないと思うけど、このコミカライズ本当に素晴らしいのでぜひ読んでほしい
原作も読んで、何度もミュージカルも見に行って、全部展開も知っていたけれど。
それでも何度読んでも泣ける。この作品は本当に素晴らしい。
コミカライズも、少し物足りない点はあったけど、本当に丁寧で、美しかった。
このコミカライズを最後まで完結させてくれた作者様、ありがとう。
この記事だけ読んでも全然わからないと思うけど、ぜひ皆さんにもこの作品読んでほしい。
余談。
「レ・ミゼラブル」は副題のせいで「ああ無情」という意味にとられがちだけど、素直に「哀れな人々」と訳すべきだと思います。原題は複数形だ。レ・ミゼラブルはミュージカルなどでみて、「民衆の歌」や「オンマイオウン」だけは覚えてるっていう人いると思う。
映画やミュージカルは尺の問題でいろいろカットはされてるけど、とにかく音楽が素晴らしすぎるので、もし見たことない人はぜひ見てほしい。
相乗効果でこの作品のこともっと好きになると思います。
アニメ版について
「人は変わることができる。人類も同じだ」
そういえば登録してたのすっかり忘れてた(もったいない……)
マンガ版だと、コゼットに関する描写はかなりバッサリ刈り取られている。
ジャン・バルジャンにとって大事な愛娘であり、マリウスのことが好きになってしまう、くらいしかわからない。
アニメだとかなり感情豊かに描かれている。もっとエポニーヌとかアゼルマにいじめられてるし、ガブローシュとも関係があったりする。コゼットはマリウスと結ばれてからは学校の教師として活動するようになったりする。