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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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去年還暦を迎えた母親のこと

別にボケてはいないのだが、やはり年をとってから昔とはだいぶ変わったなと思うことが多い。

 

兎にも角にもせっかちになった。目の前のことしか見えないような感じになってしまった。話の途中でパッと何かを思いついたらそれをすぐにやってもらいたがる。もうそのことしか頭にないような状態になる。がまんがきかなくなった。こっち側がどういう状態かも全然考えてないような感じだ。優先度とかもまったく考えてなさそうだ。ただただ今思いついたことがすべて。

 

もちろんせっかちで目の前のことしか見えてない人は別に年寄りじゃなくてもたくさんいる。はてなブックマークやってる人は大抵そうだし、仕事場でもお客さんにもたくさんいる。でもすくなくとも私の母親は昔はそういう人ではなかった、はずだ。これが年を取るということか。はてなブックマークのせっかちおじさんおばさんだと思ってた人は実ははみんな還暦だったのだろうか。

 

 

当たり前だが空気感もたった数年前と比べても変わった気がする。なんだか親子ならではの安心感が失われて、いろんなところに脆さのようなものを感じる。

別に私が結婚して家庭を持ったわけでもないので関係性は変わってないはずなのだが何かが変わった。少しずつ疎遠になっており、もう年数回顔を合わせるだけの関係だからというのもあるだろうがお互いに共有できてると感じる部分があまりなくなった。幼い頃はあれだけ何でも自分のことわかってくれてる存在だと思ってたのに。中高のときもわかってくれないと思うことは多かったけど、他の誰よりも自分のことを考えて知ってくれてると思ってたのに。今じゃ目についた範囲で細かいこと言うだけだ。もう全然私のことわかってくれる存在じゃないし、そもそもあんまり考えてくれてない。それでいて、本人は未だに私のことなら何でもわかってるぞと思ってそうな感じなのがつらい。

 

あとこっちが黙ってるとグイグイ来るけど、こっちがちょっと言い返すとただ黙り込んでしまうようになった。昔から反りが合わないというのはあったけど、こちらが言い返したら母も言い返してきてよく喧嘩してたのになあ。当時はこっちも怒ってたけど今となってはそうやって喧嘩してくれることがものすごくありがたいことだったように感じる。父は逆らうことができない存在だったからなおさらだ。今となってはそういうの受け入れる余力がないんだろうか。単にだるいのか。張り合いがなくてとても寂しい。私も子供ということに甘えてたけどもうそんなに遠慮なく言えるような関係じゃなくなったというだけなのかもしれない。

 

当たり前なのだが、もう私はおっさんであり、ただでさえ昔から仲良くなかった。それでも昔は母からしたら子供補正で多少の可愛さみたいなのを感じてくれてたのだと思うが、今はどうなのだろうね。ほとんど他人みたいなものなのかな。

 

結婚するつもりなんか全くないのにこういうこと言っていいのかわからないが、この年になっても母親に孫を可愛がるという楽しみを提供できなくてごめんなあってちょっと思った。ちょっとだけ。まあ韓国ドラマ楽しそうに見てるからいいのかな。

 

孫の姿永久に見せてあげられないだろうけど、もし病気になったり介護が必要になったらそのときは安心していいから、そのぶん息子のことは気にせずに自分で好きなように残りの人生を楽しんで生きてほしいと思った。