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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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発達障害

破滅フラグしかない人生ゲームの折返し地点

※誕生日エントリではないです。私の誕生日は8月です。

 

 

ずっと自分ができない側の人間だと思っていれば安心だったけど年取るとそれが許されなくなるんだなとわかってきた。

 

 

発達障害35歳限界説の年齢をあっさりと超えてしまった。私はもうまごうことなきおっさんである。それでもまだ、気を抜くと一対一で人と接するときどうしてもまだ自分ができない側の人間だという認識になってしまう。

 

 

昔から、年上であろうが年下であろうが、常に自分のほうができない側、なにか問題がある側だという認識で接してきた。

 

 

発達障害である私は家族からもなにか問題があるときはお前のほうがおかしいと思えと言われ続けて育った。他人と意見が違うときには、まず相手のほうが正しいんじゃないかという前提で考えるように強いられてきた。

 

 

いちいち相手の考えを聞いて合わせなければ、常に他人の意見を参照しなければ事故って死ぬという恐れがずっとあった。自分の考えは二の次として、相手の考えを聞いた後でそれに合わせる方が安心できた。私にはそれが当たり前で、だから逆に自分の頭で自分の責任で考えることが苦手だ。

 

 

 

 

 

だというのに。

年をくったという理由だけでその考え方を周りが許してくれなくなってきた。むしろ逆になった。人の上に立って管理する立場になってしまった。

 

おっさんになってくるとたとえ無能だろうが訓練されてなかろうが、明らかに向いてなかろうが、自分ができない側の立場にいることがもう許されなくなってしまった。

 

もう誰も自分にこうしろああしろと具体的な支持を出してくれることはない。抽象的な目的や数値目標に対して自分で意見を持って、自律的に動くことを要求される。それどころか、自分の考えに他人を巻き込んで動かす、というタスクも当然のように要求される。それをやらないと甘えと罵られ、自分が容赦なく死に追いやられるだけでなく、私みたいな人間の下につけられた人間まで巻き添えで死ぬ。

 

 

わかってはいるのだけれど、私はいままで、一対一の関係だとどうしても自分が上の立場に立つということができなかった。そういうことからずっと逃げ続けてきたので経験も技術も知識もない。

 

いままで色々本やマンガ読んできたのは何だったのかというくらいどうしたらいいのかわからない。

 

もちろんそういう本も読んできたしそもそもドラッカー大好きだった。知識としては頭の片隅にいろんな道具はあるはずだ。しかし自分がそれを使うということをあまり想定してなかったせいで、びっくりするくらい全く使いこなせない。私の読書は全く無駄だったことになる。なんてこったい。

 

 

嘆いても仕方がないので、自分に向いてないことは百も承知で、今からでも経験を積みながら1から考えていくしかない。

 

 

35歳を過ぎるまで生き延びられたというのに、そのあとも結局破滅フラグだらけのハードモード。しかもここでいきなりゲームのルールを変えてくるとかどんなクソゲーだよ。