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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「寄生獣リバーシ」 連続殺人犯や終末思想やオウム真理教の事件など、1990年代は本当に物騒で、かつ一部の人たちにとっては今よりも絶望が強い時代だったのだなと感じさせてくれるお話

私は「鉄風」の夏央というキャラクターががマンガ主人公の中でもトップクラスに好きです。
note.com

この「鉄風」を生み出した人が、「寄生獣リバーシ」という「寄生獣」のスピンオフマンガを連載してました。
すでに連載が終了し、つい最近最終巻が発売されたことをgryphonさんのブログで知りました。ありがとうありがとう…。

本作品は、寄生獣の本編を読んでないとわからない描写が多く、完全に寄生獣ファンに向けた作品です。

FGO6章におけるマシュの物語のように、「断章」と呼ぶのがふさわしい位置づけで、この作品単体では成り立たない物語となっています。しかし、矛盾しているようですが、そういった立ち位置でありながら本編とは関連性がほとんどなく、登場人物たちは「寄生獣」の物語の中で独立した存在として行動します。



「寄生獣」には、人間でありながら寄生獣側を支援していた市長「広川」という人物がいましたが、その人物の息子であるタツキが主人公です

本編では主人公も「ミギー」と一心同体になったことで戦う力を身に着けていた。

逆にいうと、自分以外の存在は弱すぎて足手まといにしかならないから、できる限り自分ひとりで孤独に戦おうとしていた。(途中で仲間もできたけど)

また、寄生獣を見に宿すものとして、自分という存在が人か寄生獣かというところでアイデンティティが揺さぶられる描写もあった。




これに対して「リバーシ」では主人公はあくまでも無力な普通の人間。人間であることに迷いはない。

しかし自分だけでは戦えない。そもそも向こうはタツキのことなどたいして気にしてないので戦う必要もない。

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それでも、親しい友人を殺されたこと、そして彼自身のわだかまりを解消するために、いろんな人に助けを求めながら人間として戦い続ける。

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リバーシでは原作に登場しなかったオリキャラ「海老沢」を中心に話が進む = オウム真理教的なものがモチーフなのだろうか?

人生を楽しむのに必要なものは何か?「信仰」だよ

「寄生獣」本編との関係で考えると、むしろこの「海老沢」こそが本編の主人公かもしれない。

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海老沢は、「寄生獣」本編の主人公同様に、寄生獣に脳を乗っ取られなかった存在だ。

だから、人を殺す必要は全くない。

実際に、同じ境遇の「寄生獣」本編の主人公は、戦う力を持った存在として、周りの人間を守ろうとした。

しかし海老沢は寄生獣たちよりも積極的に人を殺す。本能とか食事のためではなく、自分の意志を持って「楽しみのために」へらへら笑いながら人を殺す。 





彼は幼いころからの母親から受け続けた虐待の影響で、刹那主義、破滅主義に陥っていた。 

力を手に入れた海老沢は、非モテ・陰キャなど、社会に居場所がない人間を次々と信者にし自らは手を汚さずにその信者たちに世の中を破壊させようとする。

そのための第一歩としてVXガスを使って街を破壊しつくそうとする。このあたりはオウム真理教的が強く意識されていると思う。

タツキは、この海老沢のたくらみを阻止し、決着をつけるために戦うという展開になる。






本人は本人で社会に不満を持ってそれを壊そうとするんだけれど、その手段は自分より弱い人間を殺すという手段を選ぶというのは……。

よく知らないのに適当なことを言うのもなんだけど、これ「鬼畜系」「終末系」を合わせたようなイメージじゃないかしら……。







海老沢以外にも、個性を持ち、変化していく寄生獣の姿がえがかれる

群体として単一の意志のもとに行動していた時はバラバラだったが、個性を持つようになってからむしろ群れを成すようになるという点も興味深い。

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我々の思考が、群体から個体となった

利を取ることを優先した結果、害を取らされる。
まるで人間そのものではないか

こちらも、「寄生獣本編のその後」を考えるうえで非常に興味深い描写がなされている。





さて、肝心の広川だが、やっぱりよくわからない人物だった。

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「自分の行いが間違いかどうかを決められるのは自分だけだ」

原作ではただただ不気味な存在だったが、
彼には彼なりの信念があったし人間を減らさねばと考えつつも自分は家族を持ち父親としてふるまっていた。



その矛盾を広川がどのように考えていたのかは、
結局この作品でも描かれることはなく終わったように私は感じた。

父さんの正義はどこに?

人の思いはどこへ?

でも、それでも……僕は父さんともっと話をしたかった。
何を考え、何を憂い、何に執着し、何を愛したのか、もっと知りたかった。
父さんを理解したかった。
友達を理解したかった。
他人を、人を、理解すべきだった。

ただ、ヒントらしきものはちりばめられており、私はこれについて他の人とも話がしたいなって思う。





「寄生獣リバーシ」では終末思想・毒ガステロ事件といった要素が「世界の外側にいる人間たちの、理解されない叫び」として連想ゲームのように同列の存在として語られている。

バブル期に町山さんたちは「鬼畜カルチャー」と称して、自分自身を表現することができた人たちがいたのかもしれないが、

その裏では「アダルトチルドレン」だとか「いじめられっ子」のように社会から疎外されたと感じる人たちもいた。

本作品は、そういう「社会の輪に入ることもできず」「何物にもなれなかった人たち」が社会を否定する形で群れをつくり、仲間を得ようとした人たちの話である。

そういう土壌のもとにオウム真理教的なものが生まれ、力を持ち、そして変質していったのかもしれない。

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ただ、現代においてそういう破壊を肯定的に描いても受け入れられないのだろう。

毒ガスをばらまいて大量虐殺をたくらんだ人たちは結局成し遂げられないで挫折する。そういうお話になっている。

あるいみ終末思想がはびこった1999年よりもずっと、今の社会の方がディストピアなのかもしれない。



<余談>「リバーシ」は、寄生獣・終末思想・毒ガステロ事件のように、バブル世代の中で「存在しないものとして扱われてきた人たち」の声にならない叫びを表現した作品なのかなと感じた。

「リバーシ」は、「寄生獣」本編が描かれた1988年~1995年の空気感を別の側面から再現しようとしている作品だなと感じます。

「寄生獣」は10巻で2400万部と、当時としては異例の大ヒット作品となった。しかし本作品は当時の空気を色濃く反映したものであって、今の20代の人たちが読んでも自分事としては全く感じられない気がする。まして今の時代に若い人が「ザ・ワールド・イズ・マイン」やいましろたかしの作品を読んでもただただ残虐な物語としか感じないんじゃないかと思います。


しかし、あえて本作品は、当時の空気を色濃く感じさせる物語を描いている。私もこの頃はまだ思春期前だったので、本作品の空気をわがことのように感じることはできない。でも、だからこそ「理解できない感覚」を生々しく描いてくれるこの作品はとても興味深い。

最近、小山田圭吾の件をきっかけとして、町山智浩さんをはじめとして鬼畜・悪趣味カルチャーなるものを自称して自分たちの当時のやんちゃぶりを正当化・美化しようとしてる「痛い」おっさんたちが目立っているように思います。

町山さんなんかはめちゃくちゃ顕著ですが、「自分たちや、自分たちが反逆しようとしてきたもの」についてばかり語り、「自分たちが虐げてきたもの」については無関心だということです。 鬼畜系と言って本人がウンコくうなら好きにすればいいんだけれど、実際はうんこを他の人に食わせてたのに、その食わせてきた人たちのことは全く覚えてないし振り返りもしない。そういった過去を引きずったまま今までずっと来てた。

そうした態度が今このオリンピックの時になって批判されてるというのはなかなか熱いなと思っています。

本作品が今読まれる価値があるとするならば、そういう「当時声を上げることができなかった人たち」の姿を改めて取り上げているというところにあるのかもしれません。

寄生獣を読んだことがあって、小山田さん事件に憤りを感じてた人は、そんなことを考えながら読んでみると面白いかもしれません >id:Ta-nishi さん、漫画読むのが苦手でなかったらいかがでしょうか?