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江口聡先生が書かれた「定義」の分類を掘り下げて考える話がものすごく面白かったのでメモメモ

江口聡先生の記事が珍しくホッテントリされてたんですがすごく面白かったです。
yonosuke.net


その(1)ということなので、続きもすごく期待してます。


定義には大きく分けて5種類あることを念頭に置こう

①辞書的定義:人びとが実際に言葉をどういう意味で使っているかを説明するもの (「直示的定義」っていうタイプの実物をもちだします定義の仕方もあるがこれは特殊)




②約定的定義:新しい言葉の使い方を提案しているものなので、「正しい」とか「まちがっている」みたいなことは言えません。どっちの思いうかべている定義が正しいのかうまく判断できない場合もあるので、とりあえず一方が「私はこの言葉をこういう意味で使いますからね!」とかっていうふうに約定的定義として宣言しなければならないときがあります。




③明確化定義:たとえば各種の法律を作るときには定義がとても重要なので、ふつうの会話で使われるような定義よりもさらに明確な定義がなされています。どの程度明確にするべきかは、その文脈による、議論している相手による、定義を使う目的による




④理論的定義:日常的な意味が指している経験や感覚の原因となっているもの、背景にあるメカニズムを説明しています。学術言葉の定義には、巨大な「理論」が背景にあって、定義は単なる言葉の説明というよりは、ある領域に関する学術的な理論によるモノや現象の理解の結果をコンパクトに表現したもの




⑤説得的定義:被定義語(定義される方の言葉)をうまいこと定義することによって、その非定義語に対する態度や感情を変更しようとするものや、被定義語にたいしてもとからもっている我々の印象や態度を利用するやつ

これは議論のセットアップのためにとてもナイスな記事ですね。「反論ヒエラルキー」の記事とともにこれからも何度となく引用させていただくことになると思います!

www.tyoshiki.com


大事な記事だと思ったので、自分にしっかり定着させるために感想を述べますが、以下はあまり読む価値はないので、みなさんは私の記事読むよりも江口先生の記事をしっかり読み込んでください。


特に「明確化定義」「理論的定義」の概念はとても大事で、これが通じない人とは細かい話をすることがとても困難になる

法律を学んだ人であれば、必ず最初に「善意」の定義で洗礼を受けて、「ああ、法律の話をするときは一般的な使われ方で考えてはいけないんだ」ということを学びます。なのでその人が法律を学ぼうとしたことがある人かどうかは話をすればある程度わかります。*1

www.niigata-aoyama.com

法律用語としての「善意」とは、ある事実を知らないこと、又は信じたことをいいます。知らないことと読むか、信じたことと読むかは条文によって異なります。

私のブログには「ことば」というカテゴリがあるように、ときどきネット議論について言及する時に定義自体がみんなバラバラだからちゃんと確認しましょうという話をします。 最近だと「社会的福祉」とか「テロリズム」とか「政教分離の原則」とかの話をしました。 

この際、こちらは明確化定義とか理論的定義のつもりで話しているのに「辞書的定義」を持ち出して反論する人が結構多かった。何が問題なのだろうと思っていましたが、なるほどここでずれが生じていたのだなとわかりました。その人がアホとかいう話じゃなく「定義には、目的によってレベルや内容に違いがある」ということが共有できれば今後のズレは減らせると思います。とても助かります。

ちなみに私は論理学の勉強をちゃんとしたことがありません。なので明確化定義の方はまだなじみがあるとはいえ、理論的定義は苦手です。




「理論的定義」を振りかざすときは背景まで説明できる必要があり、その手間を惜しむ人は「ごまかし」てると思って警戒してかまわない

親しみのない理論を背景にしている人は、他人を説得したいのならば、その背景理論も簡単にでも説明する責務があると思います

①なんらかの専門的な理論的背景の上で特別な専門用語として使いたいというひとは、一般人と話をするときはその理論的背景も簡単にせよ説明しないとならんですよね。
②そしてさらに、それを我々の現実世界での実践的なルールと関係させたい場合は、なぜその理論的に定義された言葉を私たち一般人が使う必要があるかとか、それが実生活でのルールとどうかかわるかも説明しなければならない。

このあたり「にわか」な人の語りと、「実践してる人者」の語りがもろに出るところです。特に理系科目の話題にならまだましなのですが社会科学系だと教科書でならったばかりの人は①は説明できても②が説明できない人は全く相手にされません。結果としてエンジニア系などの人が社会科学系の話(政治とかジェンダー)にいっちょかみすると、だいたい①だけを語って「こうあるべき」を相手に押し付けるような形になります。

しかし相手になかなか受け入れられず、それでいて本人は正しさを確信しているので認知的不協和が起き、そこで「俺の話を理解できないやつはおろか」とゴーマンかましちゃうケースが結構ありますね。政治とかジェンダー以外の話だとすっごい頭いい人ですらこれ陥ることがあるので気を付けたい。



説得的定義は「下手なたとえ話をする奴」と同じで「邪悪」な人が多いので強く警戒したほうが良いです

とくにまあ理論的な背景があるようなふりをして理論的定義をしているようなかっこうでやってることは単なる説得のための定義もどき、という場合はけっこうあるので、とにかくあやしげな人びとの言葉には注意しましょうね。面倒な言葉や、キーになる言葉を定義しないような人びとはだいたい詐欺師です。

最近見事に「説得的定義」に当てはまるケースがありましたね。こちらです。
b.hatena.ne.jp

これに関しては「青識もnpなんとかさんもどっちもクソなので相手にしてはいけない。以上」で終わりにするのがおすすめです。

こちらで私が「山上の行為がテロかどうかはどうでもいい」といったのも同じです。
www.tyoshiki.com

「テロかどうかはどうでもよくないだろ」というのがまさに罠にはまっていて、東さんや三浦さんの目的はそこを論じることではなく「統一教会を批判してはいけない理由付け」をしたいだけなので完全に「説得定義」を仕掛けてきてるわけです。まずそこから離れなければいけない。

なので「テロかどうかはどうでもよくないだろ」と思った人は「東さんや三浦さんの話題から離れて」「統一教会を糾弾することの是非とはいったん切り離して」考えればいいと思います。そこをむすびつけてはいけないということが言いたかったのですね。私の文章が下手でうまく通じなくてごめんよ……。

www.tyoshiki.com



まとめ 議論の中心となるワードにおいて定義を共有するのは大事。あたりまえだけど覚えておこう

ということで、大変面白かったです。

なんか無性に「論理少女」を読みたくなってきたぞ。

他に論理学とかをネタにした漫画あったら教えてください。読みます。

www.tyoshiki.com




余談

私江口先生好きなんですよね。何か仙人めいたアトモスフィアというか、とげとげしさがあまりなくて何事もふんわり包み込むような感じが底知れなくて「強い…この人絶対強い…!これはかなわないぞ」って思わされてしまう。
ネット上の言い争いがある時でもどちらに肩入れという感じではなく、どちらの意見も面白がって、かつ的確に「ここはこうしたほうがいいんじゃないかな」みたいな感じでコメントしていく。「こうあるべき」を押し出さずに「せっかく論じるならこうしていくと面白くなるよ」って形でお話をする。

社会正義系の人からしたら「まじめにやれ」みたいに怒りそうな感じだけれど、人文系って早急に結論を出さずにこういう風に議論できたらいいのになーって私の願望が具現化したような感じ。

人文系ってすぐ「役に立たないから廃部にしろ」みたいな極論がネットで言われますが、むしろ性急に役に立てという話をするから「目立ちやすい」「なんでも社会問題に結びつけるような」説が目立ちやすくなっちゃうんだと思うんですよ。 学者でも何でもない片田珠美さんみたいな人のように信頼性が置けない人」がテレビで重用されるのも、正しいかどうかより敵味方がわかりやすくてズバッと切り捨てるみたいな言説を好むからでしょう。内田樹さんが昔から言ってるように教育とか人文系ってそんな簡単に結論出せるもんだろうかって考えがあってもよいと個人的には思うんですよね。

なので、私はこういうのらりくらりした人結構好きですよということで。

*1:ついでに言うと民事訴訟法を勉強したことある人は、だいたいネットで手続き面を無視した議論をしている人が嫌いになると思いますw