ちなみにここからする話は特にアークナイツとは関係ない。
一人でやる分には良いことであっても「みんなが一斉にそれをやろうとする」と悪いことになる。今の世の中で「ただ良いことをする」のは簡単なようで難しいい
「みんながやってないときにまず自分が良いことをやろうとする」のは尊い。
しかし「みんながやってる時に、そのみんなと同じように行動する」のは必ずしも良いことではない。
そういう状況になったら、たとえ良いことだと思っても、自分はいったん踏みとどまるべきだ。
むしろみんなが良いことをしようとする、間違ったことを避けようとする結果として、大惨事が起きることがある。
少なくともSVBの破綻およびそこからの金融不安はそうやって起きた。
最初はただのSVBのリスク管理の失敗だった。
トランプ前政権が、アメリカの中小企業の検査を緩めてしまった。(ドッド・フランク法の規制緩和)ことやずさんな財務体質だったSVBに格付けA(投資適格社債)認定を出していた会計監査・格付け機関レビュー・財務省の検査など、コロナバブルの中でいろんなものがちょっとずつ緩んで怠慢になっていたのは確かだけれど、それでも「みんなが一斉に動く」ということがなければこうはならなかった。
しかし実際はみんなが一斉に動いた。
Pティールをはじめとしたインフルエンサーによる「預金を引き出せ」煽りで一気に取り付け騒ぎが起きた。
前兆こそあったものの、話題になってからわずか2日のスピード破綻。
これを受けて「リーマンおじさん」が暴れだした。リーマンおじさんの9割は紫おばさんくらい役に立たない。ただリーマンショックの時に投資をやってただけでそもそもパリバショックのことすら理解してないような奴すらいるのだが、そういう連中が今回の事態をよく理解せずに危機を煽りだしたのだ。
その人たちはもしかして「間違わないように」「善いことをしよう」と思っていたのかもしれないが、こういう状況でそういうのはやっちゃダメなのだ。それはよい行為でもなんでもない。より事態を混乱させ、魔女狩りを引き起こす破滅的な行為だ。
SVBの次は、シグネチャー銀行が魔女狩りのターゲットとなり消滅した。魔女狩りは収まらず、次は地銀がターゲットにされた。間抜けなインフルエンサーはウェルズファーゴにも破綻リスクがあるなどと煽るやつまでいた。善良な人たちは別に悪人ではない。「間違わないように」「善いことをしよう」としただけだと思うが、みんなが一斉に動こうとしたものだからそれを受け止めきれなくなった。
イエレンやパウエルさん、そしてFDICが、BTFPや預金保護などの対策を行って必死にカバーしようとしたにもかかわらず、パニック売りをかます人々もいた。
パニックはアメリカ国内だけでは治まらなかった。「念のため」ということでパリバとドイツ銀行などが慌ててクレディスイスから残高を抜こうとした。ここで踏ん張ろうとはしなかった。ブルームバーグの誤報が混乱に拍車をかけた。
これを受けて、ニュースになるより前の水曜日の時点で国がクレディスイスにあっさり死刑宣告を下すことになった。
muragoe-makoto.blog.jp
米国のSVB・シグネチャー銀行ベイルインによって、水曜日の時点でスイス当局は既にクレディスイスの流動性が危ういことは承知していた。
さらにサウジからの追加出資も難しそうだということがコンファレンスで話されていたこともあり、この時点でクレディスイスの流動性危機を止めることも不可能だとこの時点で悟っていたようである。
そのため、水曜日にスイス当局はクレディスイスのトップを呼び出し、「お前UBSと合併させるから」と死刑宣告をしていた
クレディスイスはG-Sibsの一つである、絶対につぶしてはいけない銀行だったが、あっけなく見切りをつけられた。
さらにこの救済をめぐって
当初は小さなほころびであったはずだし、個々人はそれぞれ「ただ良いことをしよう」としただけだと思うが、みんなが一斉に動いたことによって破滅的な結果をもたらすことになった。
「良いこと」を「みんなもやってる」と思う時に一番破壊的な連鎖が起きやすい
なぜなら、抵抗がいちばん薄くなるからだ。それが小さなことであればあるほど良い。
TwitterのRTとかはてブとかもその中の一つ。でも意外と、そういう小さな行為を良かれと思ってみんなが一斉にやったときに、取り返しのつかない破壊現象が起きる気がする。「正義のために問題行動をしてる人を批判する」みたいなのも怖いっちゃ怖い。
今の世の中は、あまりにも人がつながりすぎているし、インターネットのおかげで人が一斉に何かをやることが容易になりすぎた。みんながバラバラであれば、「ただ良いことをしようとした」だけのことが、集中することでいろんなものを壊してしまいかねない。
そして、今それを規制する仕組みなどはほとんどない。であれば、多くの人は「良いことをしたい」という気持ちでさえ自制しなければならないときが結構ある。
自分はただ一人の人間として良いことをやろうとしてるだけという人もいるが、そういうのは言い訳にならない。結果として大惨事が起きたら無自覚であろうが自覚的であろうが、自分たちの行動が何かを破壊したのだという責任は発生することになるだろうと思う。
ちなみにだからなんやねんどうしろっていうんだ、といわれても特に結論部分はない
どうしようもないから。
ただ、こういうことをみんなが意識しないのであれば、世のなかのコストは、みんなが一斉に行動しようとしたときの最悪の状況を想定して対策のコストはどんどん上がっていくことになるし、それはあんまり幸せなことにはならないだろうなという気持ちはある。
なんとなく思いついたので書いてみた。