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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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人はいつまで「青二才」であり続けることができるのか

青二才じゃなくなった三沢文也さんがはてなブログに戻ってきたのでみんな読んであげてほしい。


これをみると、三沢さん老けたな……と感じる。肉体的な意味ではなく精神的な意味で。

少なくとももう彼は若者ではない。青二才でもない。

さすがに34歳になると自分が若者ではいられない、
青二才を名乗るのは認知不協和に耐えられない、という認識になったらしい。

もはや、アカウント名からも「a.k.a. 青二才」という表記が消えた。

どちらかというと、「自分はおじさんである」という意識が強く感じられる。


青二才というのは、若くて未熟であるという意味と同時に年長者に立ち向かう不屈のガッツや、成長の意欲の強さをアピールする言葉でもある。

語源は「青」と「二才」に分けて考えられる。青二才と同様に、青が接頭語の言葉は「青春」「青侍」「青臭い」などがあり、いずれも年が若くて人格や振る舞いが未熟なことを意味する。知識や経験が十分ではないさまや技能が足りない様子を「まだ青い」と言うように、青は色だけではなく、成熟していない(若くて経験が不足している)ことも表す言葉だ。

一方、二才には大きく二つの説がある。

①出世魚の幼魚「二才魚」説
出世魚とは、成長の時期に応じて名前が変わる魚のこと。例えば、出世魚の代表であるボラは、オボコ(スバシリ)、イナ、ボラと呼び名が変わり、さらに大きくなるとトドと名前が変わる。出世魚の生まれて2年目の幼魚は「二才魚」「二才」と呼ばれることから、まだ成長途中で経験が浅く未熟な魚から「二才」となった説がある。
②日本の古語「新背(にいせ)」
かつて日本では、夫や兄弟、恋人など自分の親しい男性を「背(せ)」と呼び、親しい女性のことは「妹(いも)」と呼んでいた。この背に「新」をつけた「新背」は青年のことを表し、「にいせ」が転訛して「にさい」となり「二才」の漢字をあてたという説もある

https://dime.jp/genre/1167659/

この自意識を保つためには相当なエネルギーや勘違い力が必要になる。なにか目標があって、自分ならそれが達成できるという思い込みのようなものが必要なのだ。

「いつか見てろよ」「今は無理だが、目上のやつら俺が全部乗り越えてやる」という前向きさを持っていないと名乗る資格がないといって良い。

これに三沢さんがどの程度自覚的であったのかは知らないが……とにかく自覚してかせずしてか、三沢さんはもはや青二才さんであるとtwitterで宣言しなくなった。これだけは間違いない事実である。



はー(くそでかため息)




私は「青二才」という概念にとてもこだわりがあるという話

※以降の部分はサブスク対象外。noteのメンバーシップでも共有しません。本人にだけ読ませるつもりです

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