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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「イスラエル 人類史上最もやっかいな問題」を読む1 :シオニズムの誕生までの歴史を整理する

作者は、ユダヤ系アメリカ人であるが、ユダヤ人のみではなく「ユダヤ民族、アラブ民族などすべてのイスラエル人」に民主主義と平等をもたらすべく活動する最大のNGO、「New Israel Fund」を運営している。

本書は この論争を支配しがちな2つの陣営 つまり 「イスラエルは常に正しい派」と「イスラエルが常に間違っている派」のどちらにも組みしない。
読者が世にはびこる意見の対立を拒否し、イスラエルに関しては 事態は決して 白でも黒でもないと理解する手助けができればと願っている。
イスラエルは要するに グレーなのである

イスラエル・パレスチナ紛争は、本質的に歴史家のベニー・モリスが「正義の犠牲者」と名付けたもの同士の闘争である
つまり 両者とも土地に対する正当な 繋がりと権利を有しており、 外部の世界の、お互いの、また自分自身の犠牲となってきた2つの民族である。 それは 土地をめぐる紛争であり、 記憶と正当性をめぐる紛争でもある。生存権をめぐる紛争であり、自己決定権をめぐる紛争でもある。生き延びることに関する紛争であり、正義に関する紛争でもある。それはその信奉者が完全に正しいとみなす 相容れない 語りを巡る紛争である。これらの語りは実体験のみならず、物語や宗教的伝統、家族やメディア消費や政治的信念によって――また故意かどうかは別にして、 様々な程度の無知によって支えられている。
イスラエル人とパレスチナ人の紛争を解決することの最大の障害は何かというと 政治的想像力の欠如ではなく 政治的意志の欠如だ

よくブリカスの三枚舌外交が批判されるが、聖書の神様の時点からすでにあやふや……

聖書の物語の中で神が アブラハムに約束した正確な 領地ははっきりしない。

・創世記15章18節が最も重要とされているが他にもある。

・エジプト記では神はイスラエル人に対して ナイル川 から ユーフラティス 側までの全ての土地を与えているが
・ヨシュア記ではイスラエル人 が征服したのは カナンのみである。
 とはいえこの「カナン」には 現在のイスラエルに加え ヨルダン 側政官と ガザ地区のパレスチナ自治区 が含まれている。

お気づきの通り 物語の始まりからすでに 事態は複雑だったのである

https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/ot/gen/15?lang=jpn

ユダヤ人の歴史(エルサレム追放まで)

1:アブラハムと神の約束

2:アブラハムの孫・ヤコブ →民族をエジプトに移住させる

3:エジプトで民族はファラオの奴隷にされる → 有名な出エジプト記

4:シナイ砂漠で40年さまよう 

5:紀元前13世紀頃に約束の地に戻ってくる

6:紀元前1000年頃 ダビデがユダ王国を建築し、エルサレムに首都を起き
  ダビデの息子ソロモンがエルサレムにユダヤの神殿を建てる。

7:紀元前587年~ バビロニアがエルサレムを包囲・征服・破壊し、エルサレムの住民を追放する
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8:紀元前538年 アケメネス朝ペルシャの初代の王キュロス2世によって解放され、故国に戻ってエルサレムで神殿を建て直すことを許される

9:ヘブライ語聖書が正典となった。

10:マカベア家がセレウコス朝シリアに反乱。
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紀元前165年12月25日、エルサレム神殿からヘレニズム的な司祭を追放し
異教の祭壇を撤去することで神殿を清め、再びヤハウェ神に奉納を行った。この出来事を今も記念するのがハヌカーと呼ばれるユダヤ教の祭である。

11:紀元前63年 ローマの属国になる。

12:ヘロデ王がエルサレムで第二神殿の建設を完了させる

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13:イエス・キリストが登場する

14:70年 ローマに対する反乱が失敗しエルサレムと第二神殿が破壊される。
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15:弾圧から逃れた人たちは、ヤブネと言う街に移住し、ユダヤ教を原始的な宗教から「ラビ・ユダヤ教」に変貌させる

16:ハドリアヌス帝時代にエルサレムから追放される
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ローマ帝国においては、兵役に就かず、唯一神以外礼拝しないユダヤ人は特異な存在と見なされることが多かった。
離散したユダヤ系の人々は追放を受けるなどとされていたほか、土地が与えられずに迫害を受けることがあった。

ハドリアヌス帝はユダヤの不安定要因はユダヤ教とその文化にあると考え、その根絶を図った。
・ユダヤ暦の廃止が命じられ、ユダヤ教指導者たちは殺害された。
・律法の書物は神殿の丘に廃棄され、埋められた。
・さらにエルサレムの名称を廃して「アエリア・カピトリナ」とし、ユダヤ人の立ち入りを禁じた。
・紀元4世紀になって初めてユダヤ人は、決められた日のみに神殿跡の礎石(いわゆる嘆きの壁)の前に立つことを許された。
・ハドリアヌス帝は徹底的にユダヤ的なものの根絶を目指し、属州ユダヤの名を廃して、属州「シリア・パレスティナ」とした。
これはユダヤ人の敵対者ペリシテ人の名前からとったものである。現代まで続くパレスティナの名前はここに由来している。

ディアスポラの中で世界各地に散らばったユダヤ人は「セファルディ系ユダヤ人」と「アシュケナージ系ユダヤ人」に分かれたがいずれも差別や弾圧を受けた。

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特に東欧に住んだアシュケナージ系への弾圧は苛烈だった。なぜなら支配的宗教であるカトリックやローマ正教に帰依しなかったから。
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なお、ローマを追放された後も2.5万人ほどのユダヤ人はイスラエルの地に残って暮らしていた。

大半の人びと が、 サフェド、 ティベリアス、 ヘブロン、 エルサレム という 古代 の 四大 聖地 に 住み、
海外 の ユダヤ 人 コミュニティ からの 援助 に 頼っ て い た。
こうした 慈善 活動 の 結果、1850年代 以降、 四大聖地の城壁外に新た な ユダヤ人の居住区 やコミュニティが建設 さ れる こと に なっ た。

18世紀からの啓蒙運動の流れにおいてユダヤ人啓蒙運動(社会に適応しようとする運動)が起きるが……

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しかし19世紀末にはこの「ヨーロッパ社会に順応・統合する」という活動は挫折した。
なぜならヨーロッパ人のユダヤ差別はますます激しくなったから。

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19世紀以降の人種説に基づく立場を反セム主義(はんセムしゅぎ)またはアンティセミティズム(英: antisemitism)と呼び
近代人種差別主義以前のユダヤ人憎悪(英: judeophobia,独: Judenhass)は区別して人種論的反セム主義ともいう。
セムとはセム語を話すセム族を指し、アラブ人やユダヤ人を含む

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有名なポグロムやシオン議定書はこの時期のものである。
ついでにいうと、シオン議定書という文書は、ロシアの秘密警察が捏造したものである。


ヨーロッパに安息の地はないと見きった大勢のユダヤ人はアメリカに移住した。


ヨーロッパに残ったユダヤ人たちは……

・一つは労働組合などを結成し、共産主義と連携して地道に地位向上を目指した。彼らの多くは悲惨な運命をたどることになる…。
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・一つはアメリカ以外への移民。自分たちの国を作るという理想。民族自決運動「シオニズム」が誕生する。
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・とはいえ、最初のシオニズムは全く相手にされていなかった。

彼らは自らを「シオンを愛するもの」と称し イスラエルの地におけるユダヤ人の民族自決を求める運動を始めた。ちなみに シオンというのは エルサレムの丘 のことであり イスラエルの地 そのものを指す言葉だ。この運動は やがてより単純な名称「シオニズム」として知られるようになる。当時 ほとんどのユダヤ人はこうした 理念を非現実的だとか 望ましくないとかさらには 馬鹿げていると相手にしなかった。結局ホロコーストが起こり、ヨーロッパにおけるユダヤ人の立場をめぐるシオニストの分析がぞっとするほど、また想像を絶するほど 正しかったことが証明されて、ようやく 世界のユダヤ人の大半がシオニズムの思想を受け入れるようになった。

最初にシオニズムが盛り上がったのはドレフュス事件の後で、この時にとある人物がシオニズムをまとめ上げた。
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・1897年 第一回シオニスト会議。綱領を策定する。
www.youtube.com
シオンの議定書は、こういうシオニズムの動きが起きる前に捏造されたものであることを絶対に間違えないように。




というわけで、第一回はここまで。

最初は歴史の振り返りなので、ほとんどWikipediaの羅列になったけどまぁ仕方ない。

2回目はシオニストの分類とか、1948年建国までの流れを確認するよ。

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