※この本の感想を書くのはかなり体力がいるので、次回は土曜日に更新します。
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の続き。
前回はシオニズム運動が本格化したことに対してパレスチナの先住民が対抗するために組織を作り上げたという話まで。
今回はイギリスが介入してきてさらにややこしくなります。
ですが、この問題におけるイギリスの評価については多くの人が誤解をしていると思います。私は高校の世界史の授業で習った時に先生が「この部分は入試ではまず問われない、しかし絶対に適当に理解してはいけない部分だ。君たちはきちんと理解してほしい」と言ってました。なので、めちゃくちゃ強く印象に残っています。
この件を「よく知らないけどブリカスが三枚舌外交やったやつでしょ」として雑に理解している人は、この機会にちゃんと把握しておいてほしい。この本の著者も、ユダヤ人寄りのためか「だいたいイギリスが悪い」という割と通説通りの理解をしている。三枚舌外交は意外と三枚舌ではない。イギリスはたしかにこの問題の根本的な原因なのだが、「悪意のあるカス」というより「無能」だったと理解したい。イギリスがわざとこういう状況を作ったわけではなく、イギリスにとってもこの問題は難しかったということだ。
第一次世界大戦が勃発したため、シオニズム運動は一時的に中断する
・1917年 ロシア帝国が崩壊しソヴィエト連邦が成立
・オスマン帝国は分裂 → 国際連盟はパレスチナとトランスヨルダンの統治をイギリスに委任
この状況において
・サイクス=ピコ協定
・フサインーマクマホン協定
・バルフォア宣言
の3つが重なった結果状況がねじれにねじれたため、よく「イギリスの三枚舌外交」と評される。
しかし、イギリスは他にも世界史で色々カスなことをやってきたので擁護したい訳では無いのだが実態としてこの件についてはイギリスはそこまで不誠実なことはしていない。むしろ他と比べたらだいぶ誠実にやろうとしていた。それでも失敗したのだ。
まずは「バルフォア宣言」について正しく理解しよう
・イギリスはロスチャイルド男爵に対して「バルフォア宣言」と呼ばれる書簡を送った。
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1917年11月2日親愛なるロスチャイルド卿
私は、英国政府に代わり、以下のユダヤ人のシオニスト運動に共感する宣言が内閣に提案され、そして承認されたことを、喜びをもって貴殿に伝えます。
「英国政府は、ユダヤ人がパレスチナの地に国民的郷土を樹立することにつき好意をもって見ることとし、その目的の達成のために最大限の努力を払うものとする。ただし、これは、パレスチナに在住する非ユダヤ人の市民権、宗教的権利、及び他の諸国に住むユダヤ人が享受している諸権利と政治的地位を、害するものではないことが明白に了解されるものとする。」貴殿によって、この宣言をシオニスト連盟にお伝えいただければ、有り難く思います。
この時のイギリスの狙いは2点。
1つは「アメリカ系ユダヤ人」によるアメリカの連合国側参戦反対運動を抑制すること。
2つは中東支配を確立するということ。
この際、イスラエル建国を補償したわけではない。むしろ「パレスチナに在住する非ユダヤ人の市民権、宗教的権利を害さないこと」を条件に付け加えている。つまり、シオニストよりも英国がパレスチナを支配するに当たり、パレスチナ現地にいるアラブ人や、シオニスト以外のユダヤ人を安心させることが目的だった。
この宣言をユダヤ人におもねった内容と考えるのは間違っている。ちゃんと後述するフサインーマクマホン書簡の内容を踏まえた話をしている。
悪名高き「フサインーマクマホン書簡」は、実はそれなりに誠実な内容である
ja.wikipedia.org
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オスマン帝国に反旗を翻すときに支援するという「フサイン=マクマホン協定」を結んだ。そして、4人の息子と共に「アラブ反乱」を起こして1916年に独立を果たす。このときフサインはイラク・シリア・アラビア半島を含む大アラブ王国を構想していた
「バルフォア宣言」と違い、マクマホン書簡は、あくまでもイギリスの駐エジプト高等弁務官が、メッカーのシャリーフと交わされた書簡である。このことを理解しておくと、マクマホンが実現不可能な約束をしたことではないのがわかる。
メルスィン県およびアレクサンドレッタ地区、およびシリアのうちダマスカス・ホムス・ハマー・アレッポの各地区より西の部分は純粋にアラブ人の地とはいえない。それゆえ、提案される決定からは除かれなければならない。この修正に従い、また我々と特定のアラブ人首長との間で結ばれた諸条約を侵さないような形で、我々はこの決定を受け入れる。提案の境界線の内側にある地域については、イギリスがその同盟国フランスの権益に損害を与えることなく自由に振舞える地域であり、私は貴殿に対しイギリス政府の名において次の通り誓約を行い、貴殿の書簡に対し次の通り返答する権限を与えられている:上記で述べた修正を条件に、イギリスはメッカの太守が提案した境界線の内側にあるすべての地域におけるアラブ人の独立を承認し支持する用意がある。
この通り、マクマホン書簡はちゃんと「パレスチナは約束の範囲外である」と明記している。あくまで、イギリスが約束できるのはフランスとの関係において問題にならない部分である、ということだ。このマクマホン書簡の評価については、本の著者の認識が間違っていると思うのでwikipedia側で書かれている主張を採用している。
最も誤解されている「サイクス=ピコ協定」については「サイクス」という人物を理解することが重要
一番誤解されているのがこのサイクス=ピコ協定である。これは「パレスチナ問題における外交矛盾」というよりも、民族を無視して人工的に不自然な国境線を引いたことに問題がある。つまり、どちらかというとパレスチナ問題よりもシリア・イラク・クウェート問題の原因になっている。
そもそも、このサイクス=ピコ協定の鍵となっている「マーク・サイクス」という人物がめちゃくちゃ厄介である。彼は大貴族である一方中東の専門家であり、バルフォア宣言にも関わっているし、イギリスがカイロにアラブ局を設置するきっかけになったのも彼であるからマクマホン書簡にも彼の意志が反映されていると見て良い。
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つまり、3つの協定を理解するためにはこのサイクス氏を知ることが必要なのだが、なぜか日本語のWikipediaがないくらい注目度が低い。だからみんな誤解してしまう。