この記事は「推し」について考える記事です。
ほとんどの人には何を書いてるかよくわからないと思うけれど、とある人に伝えたいことを自分で整理するために書いたので、まぁあまり気にしないでください。
「推し」の気持ち悪さに関して、うさるさんの記事のまとめがしっくり来て心地よかった
私は前から推しという概念が本当に気持ち悪くてしょうがないと思っていてその感覚を何度か言語化しようとして失敗し続けてきたのだけれど
うさるさんの「自他の境界線の感覚の違い」という補助線はとても良いなと思った。
ファンになればその対象に時間や金銭などを費す。だが、それはあくまで「現実にいる自分がメイン(主体)であり、その生活を豊かにするために」消費する。「推し」は自分との境目が曖昧だから、対象の成功(輝き)によって自己実現するように錯覚してしまう。「現実の自分の生活」を崩壊させるほどのめり込んでしまうのは、「現実の自分が空っぽ(の器)」だと感じているために「自己(主体)」を対象に預けてしまうためではないか。対象に「自分」を移設しているから、空っぽの器である現実の自分はいくら壊れても構わない。
属性や思想などの概念、架空の人物(キャラ)ならまだしも、「実在する赤の他人を自分の認識のみで理解して自己同一性を求める」という発想は怖い。「相手の個人的な文脈を無視して自分の認識のみで相手を解釈する」のは「実在の人間を、自分にとって都合がいい概念として扱う」ことになる。
他人を自分の好みの入れ物にしてその中に潜り込もうとするのはしてはいけないことだし(↑のようにキレられても仕方ない)
推しというのは「非常に危険な概念」であるというのは、シロクマ先生が大好きなコフートの自己心理学とか読んでても感じる
人間は安定した自己を持つために3つの「自己対象」を持つ必要がある。
・鏡自己対象(自分を褒めて認めてくれる存在)
・理想化自己対象(そのまんま理想となる存在。アドバイスとかを受けたいと思う存在。)
・双子自己対象(同好の士。等身大で話せる相手)
3つの構成要素のうち少なくとも2つが重い欠陥をもった時に自己の損傷的障害が生じるが,そうでなければ代償構造形成の原則が働く
うさるさんはここで自他の境界が曖昧になることが気持ち悪いと書かれていると理解しているが
私はこういった存在を持つこと自体は、人間ならだれしも自然にやっていると考えている。
普通の人は、この対象を複数持っているし、ずっと転移しっぱなしとはならない。
他人に憧れて自己を転移することはあっても、自己をすべて相手に委ねたりはしない。
自分を甘やかしてくれる人を好ましく思うことはあっても、そこで自己を相手に全部預けたりもしない。
自他の境界線を越えつつ、行ったり来たりしながら自己を形作っていく。ちゃんと自分を維持できている。
それは一つ一つの転移がそれほど大きな比重ではないし分散しているからだ。
しかしたまに、一人の人間にあれもこれもと全部委ねちゃうような「推し」をやってしまう人がいる。これは大問題である。
うさるさんが問題視されているのはまさにこういうパターンであろう。
「推し」が問題となるのは、人間関係の狭さなどが原因で「限られた少数の対象に、自己を転移させ、それによって自己をおろそかにしてしまう」ことだと思う
もう一度図を出してみる。
当たり前なのだが、上記の3つは基本的には同時に成立しない。同時にすべてを受け入れてくれる人などいない
「自分の憧れの存在が、自分を認めて自分をヨシヨシしてくれて、それでいてなんか気楽に話せる」みたいな欲望がいかにありえないかは考えなくてもわかるはずだ。
これがわからないのであれば、自分がいかに欲張りであるかを全く自覚できていないということである。それは他人にとってむちゃくちゃ迷惑である。
これらの欲望を抱くこと自体が悪いのではない。
これらの欲望をすべて一人か二人のの人間に受け止めてもらおうとすることが不可能であることを理解しないことが罪深いのだ。
それが許されるのは乳幼児までである。少なくとも中学生以降にこんなことをやって許されると思っているならそれは幼いではすまない。
そんなもん受け止めきれる存在がおるわけないだろということを早く学ぶ必要がある。
どうしても求めたいなら二次元のキャラにするべきだ。そうでないと対人での距離を見誤って、現実の人間に迷惑をかけてしまう。
自己対象転移(推し対象)は、複数に分散させたほうが良い
なので、色んな人と付き合って別々の人にこれを求めたほうが安定しやすい。
もっといえば、1つの自己対象ですら複数の人に分散させたほうが良い。
同じ「理想化自己対象」でも、仕事におけるソレと、趣味におけるソレは分ける。
一人の人に押し付けてはいけない。
それを望んでも相手は全力で拒否するだろう。
あれもこれも自分の理想を押し付けられる側の気分をちょっとでいいから考えてほしい。
むちゃくちゃ重たい感情労働になる。
相手はそれだけの重たい気持ちに応えることに何のメリットがあるんだと言う話である。
一人の人間にそこまで求めるなら、プロのカウンセラーか「キャバクラ」とか「ホスト」に行くしかないだろう。
どうしても受け止めてほしいなら、それこそ年間1000万円くらい払うのはむしろ当然だと思う。
そのくらい少数の人間に自分のすべての自己対象をつとめてほしいというのは重たい要求なのだ。
「相手が受け止めきれる以上の推しはただの迷惑である」
これが理解できない人は、リアルの人間を推す資格はないので二次元のキャラを推すようにしてほしい。
最悪でもVTuber止まりにしてほしい。
地下アイドルとかVTuber推しの人がトラブルを起こすのは、こういうことをわきまえないからだ。
自分の欲望ばかり押し付けて、相手の気持を考えない。
「これだけしてあげたんだから相手もこのくらい受け止めてくれるはず」っていって
相手のキャパを越えてクレクレやってたら、出禁になっても文句は言えない。
そのあたりがめちゃくちゃ皮肉交じりに描かれているのが「メイド諸君!」というマンガなので、私が言ってることよくわからんという人は是非読んでほしい
- 「推し」の気持ち悪さに関して、うさるさんの記事のまとめがしっくり来て心地よかった
- 推しというのは「非常に危険な概念」であるというのは、シロクマ先生が大好きなコフートの自己心理学とか読んでても感じる
- 「推し」が問題となるのは、人間関係の狭さなどが原因で「限られた少数の対象に、自己を転移させ、それによって自己をおろそかにしてしまう」ことだと思う
- 自己対象転移(推し対象)は、複数に分散させたほうが良い
- じゃあこういう推しを求めてしまう人はどうすればいいのか
- 問題解決のヒントはやはり自己心理学の中にちゃんと書かれている
- 一番難しいのは、自分がいかに欲張り人間であるかを認めて、それを自制できるようになること
- 一人の人間を推すというのはほとんど「暴力」と一緒なので、最低でも1つのジャンルごとに2人ずつ、つまり2*3で6人の推しを持ちましょう
- 自分のなかの本の1~2%を認めてもらえるだけで、人付き合いは出来る。100%認めて貰う必要なんかない。まずは自分のいいところをちゃんと自覚してそれには胸を張っていくところから!
- おまけ