昔からあまりテレビを見ない人間ですが「おばかキャラをいじって笑いを取る」という風潮が本当に苦手だった……。
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自分は小学生時代はとにかく周りに合わせた行動がうまくできなくておバカキャラ扱いされ、周りから馬鹿にされる側だった。この時に自分はつらいのに周りは喜んでるという状況があって、テレビで似たような光景を見ても全然笑えなかったんですよね。実際それがいじめにエスカレートしたし。小学校4年の後半から一念発起して勉強頑張って学年で一番になったら周りの評価変わりましたけど、それはそれですぐ評価が一変する状態なのが気持ち悪かった。おかげで小学生の時は人間不信というか、周りのみんな大嫌いになってましたね……。
それはそれとして、なんかこうその時の経験もあって「かわいい」という概念自体がものすごく苦手。
私はkawaii(二次元に対する愛好)は好きなのだけれど、三次元の人間に対してかわいいという表現を使うのが苦手
二次元キャラやアバターなどについてかわいいは連呼する。
グッズとか景色とかについては気軽にかわいいを連呼する。
リアルの人付き合いでも、服装や外見についての意見をもとめられたらかわいいを連呼する。
でも、内面について「かわいい」というのはめちゃくちゃ抵抗がある。
なぜかと言うと他人を「かわいい」というとき、めちゃくちゃいろんな制約を押し付けることになると感じてしまうからだ。
かわいいという感性のモデル
これに基づくのであれば
・キュートとか美しいという外見や特質の要素はまあいいと思う。実際ここのことだけ意識している人が結構多いと思う。だから上でも述べた通り、外見に限った話であればかわいいを使うことはない。
・しかし、「脅威にならない」「不快感を与えない」という条件を意識すると、内面や人格に対して可愛いという言葉を使うのは慎重にならざるを得ない。
かわいいという形容をした瞬間に「お前は私にとって脅威や不快を与える存在であってはならぬ」という制約を与えることになる。
これはとても傲慢な考え方であるとおもっていて、だからあまり気軽に他人に対してかわいいとか言えない。
自分の赤ちゃんをかわいいと思う一方で、あまりに泣きやまなかったりオムツが汚れたりしたときにはその感情が薄れ、距離を置きたくなるという人の話を聞くことがあります。あくまで自分が楽しいこと、いい気持ちになれるという条件があって初めて『かわいい』と思えるわけですね。さらに、その対象をかわいいと思えるかどうかは、その人の経験や文化的な背景などによっても左右されます
・「親しみやすい」はさらに曖昧だ。
私はかわいいという形容をした瞬間に相手に「自分の感情は自分で制御しろよな」という制約を与えることになると考えている。
なので、外見を褒めることはできるが、ソレ以外の要素でかわいいという言葉を使うことはあまりない。
それでもまだ子供や年下に対して「かわいい」はギリギリありかもしれないけれど、大人に対して可愛いという言葉をつかうのは更に抵抗がある。
“かわいい(かわゆい)”は,もとも と“気がひける”,“恥ずかしい”という意味であり, 語源である“かわはゆし”に現れているように,感 情状態を表す言葉であった.中世(鎌倉時代から 安土桃山時代)には“見るに忍びない”の意から気 の毒で不憫という意味で用いられた
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/29016/files/4280
“かわいい”の基調には,保護や見守り といった社会的動機に関連したポジティブ感情が あり,それは幼児に対する愛情から派生している. そして,この生物学的な基盤は,日本文化の特徴 によってその適用範囲が広げられ,現在の“かわ いい”文化の隆盛につながっている.
それでもなお「かわいい」と扱われたい人がいるのであれば、相当の覚悟と努力が必要だと思われる
まず、少なくとも外見でのアドバンテージがない状態でかわいいと言われたいのでば相当賢くなければならない。
相手に対して脅威を感じさせないのは大前提だ。不快感を感じさせるなどもってのほか。
相手にコミュニケーションでのコストをかけさせず、相手の話をよく理解し、求めるように先回りして振る舞わなければならない。
さらにいうと、相手の大事にしているものに関心を持ち、強い向上意欲などを見せなければならない。
「かわいい」というのは、能力がある人間が、その能力を隠して相手から少し下に見られながらも
さらに相手に色んな面で奉仕することが要求されると考える。
というわけで「かわいい」には相当な賢さと、メンタルの強さがないと難しい。個人的にはめちゃくちゃヘビーな感情労働を要求される大変な仕事だと思う。
「かわいい」と扱われることにはメリットがあるのかもしれないがそれを維持し続けるのはめちゃくちゃコストが高いということだ。
さらに、年齢があがるにつれてかわいいの維持コストは上がっていく。年功序列の社会では年下というだけでかわいいと扱ってもらいやすいところがあるが、逆に言えば年を取るとそれだけでかわいいと思ってもらいにくくなるからだ。
「かわいい」で生きていくのは茨の道であると私は思う。
だからこそ最近ではアイドルはVTuber化していっているのではないだろうか。
賢くてメンタルが強い人間が、二次元の皮をかぶることによって外見のハンデを埋められるようになった結果
「かわいいというのは、外見よりも内面の方が遥かに重要である」というのにみんなが気づいてしまった以上もうこの流れは不可逆であろう。
難しさを理解した上でなお、かわいいキャラを目指したいという人はどうすればよいか
それでも目指したいなら止めはしないけれど、その難しさを自覚して、ちゃんとそれに見合った努力をして、コストを払い続けてほしい。
「私はカワイイ系のキャラです。かわいがってください」とメリットの方だけ享受しようとする人に対しては私はその人の為を思って厳しく接することになるだろう。
なぜかというと、私は実際に若い時に「かわいい」「愛嬌」だけでちやほやされていた人が
結局その「かわいい」扱いで得していた頃のことを自分の実力だと勘違いして道を踏み外してしまったケースを知っているからだ。
僕はわかってなんかいませんよ。ただ、僕もその感じ方をよく知っているだけです。僕は知っていることを言っているだけです。それはわかるってこととは違う。僕は知っているんです。その先には行き止まりしかないんだ。
— 尼子司 (@tsukasa_a_bot) 2015年8月17日