航空機事故で1番しちゃいけ報道の仕方
— SUOMIAAKI (@suomiaaki) 2024年1月3日
こうなるから原因が判明するまではマスコミ含めて不確定情報は流してはいけない
航空機事故の基本の基本です
犯人探しを煽ることになるし、123便の件からなにも学んでない pic.twitter.com/r2UdlHOeNl
今回の航空機事故では報道の姿勢にだいぶ問題意識を持ってる人が多いですね。
そんな中、なぜ社会部記者は、安全管理のプロに扇情的な記事をぶつけようとするのか、という問いかけに対して
そのときの結論は、機長の判断を信じるのがベスト。機長の方々は、乗客全員が脱出したのを見届けてから最後に脱出される。万一、脱出できない乗客がいる場合には、機長も機内に留まると。その覚悟で仕事に当たっている安全管理のプロに扇情的な記事をぶつけることの意義とは。https://t.co/vwLiOcfpdI
— Takashi Okumura (@tweeting_drtaka) 2024年1月3日
面白い意見がいろいろと集まっています。
www.tyoshiki.com
数日前にこういう記事を書いたのですが、これは私の理解が甘かったようです。
新聞記者はただ無知なだけではないと。
新聞というメディアでは、組織の力学として「記者は無知であれ」という強い圧力がかかっているのだと。
組織の内部にいた人からそういう指摘がされていますね。
もちろん、組織が嫌でやめた人の言うことだからバイアスはかかっているのですが、かなり興味深い指摘だと思います。
元新聞記者が、新聞記者(特に社会部)は「無知で想像力がなくて下劣な品性じゃないと残れない」とバッサリ
記者の無知を責める人達いるけど、コレはしょうがない。
— 飴308@2㌔マン (@candylight308) 2024年1月2日
無知で想像力がなくて下劣な品性じゃないと、あんな恥ずかしい質問を堂々と出来ないし、自分の質問の意味を全く理解出来ないし、自分が他人からどう見られているか想像も出来ない。
多少でも知識欲ある常人が記者なんて出来ない。
そりゃそうです。元全国紙記者ですが、私含めて、まともな人種はやめて他の仕事してます。
— 遠田 智美 JMBサファイア達成231230 (@Gz3kW) 2024年1月3日
記者時代の教えとして、「なんでもいいから相手の非をあげつらって、謝らせる、会見側の非を認めさせてこい!」って言われてたので、JALのCAがみんなを無事に逃したのと同じように、日頃の教育を発揮した記者活動だったと言うことです!
— 遠田 智美 JMBサファイア達成231230 (@Gz3kW) 2024年1月3日
そういう取材をした人が記事になる出世する様な、無言のお決まり事ではなく、言葉でその様に言われてるんですか…。社命なんですね…。
— 飴308@2㌔マン (@candylight308) 2024年1月3日
出世したかったら人間性捨てるしかないですね。
— 遠田 智美 JMBサファイア達成231230 (@Gz3kW) 2024年1月3日
社会部記者って、無知を演じなきゃいけない場面がある。「これを聞くのは失礼だよね」という常識を取っ払って、「社会部記者」という法被を着て取材しなきゃいけない。振る舞いが可視化され、批判されるのは当然。ギリギリ正当化されるとすれば、記事のクオリティがそれだけ高い必要があるが、厳しい。
— でぃかまい (@dicamai) 2024年1月2日
それどころか、社会部の記者は組織的に「相手を一方的に悪と決めつけて効率的に糾弾する構図を作る」ための訓練をさせられるらしい
まず謝罪させて、その後何に対して謝罪したのか問い詰め、答えられなければ答えるまで質問を続ける記者さんを想定した訓練を昔やっていました。 https://t.co/DDj6jXWDrK
— たいしょう (@taisho__) 2024年1月3日
現在把握に勤めておりますって何度でも繰り返すの。ポジションペーパーには記者に未公開の情報たくさん入れてあるけど、絶対に喋らない訓練。記者が物とか投げつける訓練もやった。表情を変えずにおやめください、ご質問がなければ次の方どうぞっていうの。記者対応慣れてるという経営者ほど危ない。
— たいしょう (@taisho__) 2024年1月3日
まず謝罪させて、その後何に対して謝罪したのか問い詰め、答えられなければ答えるまで質問を続ける記者さんを想定した訓練を昔やっていました。
現在把握に勤めておりますって何度でも繰り返すの。ポジションペーパーには記者に未公開の情報たくさん入れてあるけど、絶対に喋らない訓練。
記者が物とか投げつける訓練もやった。
表情を変えずにおやめください、ご質問がなければ次の方どうぞっていうの。記者対応慣れてるという経営者ほど危ない。社会部記者は精神的な暴力のプロなので、どこまでが合法かよく知ってる。頭悪い質問してるからと言って頭が悪いわけではない。先方なりの合理性が必ずある。
なぜこうなってしまうのかと言うと「読者の多数派が求めている記事を、より低コストに生産するにはどうしたら良いか」という点で最適化してきた結果ではないかという指摘
「精神的な暴力のプロ」とまで言うつもりはありませんが、「読者の多数派が求めている記事を、より低コストに生産するにはどうしたら良いか」という点で最適化してきた結果なんでしょうね。相手に失礼な質問をぶつけて失言を引き出せば、翌日朝刊にいい見出しが載せられる。https://t.co/2w3jDaN2aN
— Takashi Okumura (@tweeting_drtaka) 2024年1月3日
真実を明らかにするにはコストが掛かる。責任も伴う。被害者が語る「いかに怖い体験であったか」は、一次情報で、裏取りもいらない。読者の多数派も望んでいる。手軽に消費でき、「悪」を糾弾する瞬間、自分は正義の側に立てる。そうした諸々の力学の結果なんでしょう。https://t.co/fZQ03poBV2
— Takashi Okumura (@tweeting_drtaka) 2024年1月3日
メディアから情報性の優位が失われていく過程で、「正義のサブスク」によって読者をつなぎとめようとする動きが加速しているのかもしれない
その点、このツイはたいへんに分かりやすい。読者は、記者と同じ正義の側に立ち、悪を糾弾する取り組みに一体化する感覚を求めているんでしょう。
— Takashi Okumura (@tweeting_drtaka) 2024年1月3日
RT 一次情報で裏取りもいらない。読者の多数派も望んでいる。手軽に消費でき、「悪」を糾弾する瞬間、自分は正義の側に立てる。https://t.co/iYaHkyxqg8
新聞の定期購読というのは、倫理的な優位性を体感させてくれることへの対価も含んでいたのかも知れませんね。情報が独占されていた時代は、新聞は上質な情報に安価にアクセスするえでの最善手で、そこに正義が抱き合わせ販売されていた。そうした正義のサブスクも、もはやスマホ代に置換されつつある。
— Takashi Okumura (@tweeting_drtaka) 2024年1月3日
こうした記者の方々からの吐露は、命を賭けて安全管理に取り組んでいる方々を半可通な知識で断罪していく報道の背景を知るうえで、とても有り難い。https://t.co/rNlPa9uJ0Q
— Takashi Okumura (@tweeting_drtaka) 2024年1月3日