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「正義のサブスク」というパワーワード | 新聞は、いつしか「報道」に「正義」を抱き合わせで販売するようになった、という指摘が面白い


今回の航空機事故では報道の姿勢にだいぶ問題意識を持ってる人が多いですね。


そんな中、なぜ社会部記者は、安全管理のプロに扇情的な記事をぶつけようとするのか、という問いかけに対して


面白い意見がいろいろと集まっています。


www.tyoshiki.com
数日前にこういう記事を書いたのですが、これは私の理解が甘かったようです。

新聞記者はただ無知なだけではないと。

新聞というメディアでは、組織の力学として「記者は無知であれ」という強い圧力がかかっているのだと。

組織の内部にいた人からそういう指摘がされていますね。

もちろん、組織が嫌でやめた人の言うことだからバイアスはかかっているのですが、かなり興味深い指摘だと思います。


元新聞記者が、新聞記者(特に社会部)は「無知で想像力がなくて下劣な品性じゃないと残れない」とバッサリ



それどころか、社会部の記者は組織的に「相手を一方的に悪と決めつけて効率的に糾弾する構図を作る」ための訓練をさせられるらしい

まず謝罪させて、その後何に対して謝罪したのか問い詰め、答えられなければ答えるまで質問を続ける記者さんを想定した訓練を昔やっていました。

現在把握に勤めておりますって何度でも繰り返すの。ポジションペーパーには記者に未公開の情報たくさん入れてあるけど、絶対に喋らない訓練。
記者が物とか投げつける訓練もやった。
表情を変えずにおやめください、ご質問がなければ次の方どうぞっていうの。記者対応慣れてるという経営者ほど危ない。

社会部記者は精神的な暴力のプロなので、どこまでが合法かよく知ってる。頭悪い質問してるからと言って頭が悪いわけではない。先方なりの合理性が必ずある。

なぜこうなってしまうのかと言うと「読者の多数派が求めている記事を、より低コストに生産するにはどうしたら良いか」という点で最適化してきた結果ではないかという指摘




メディアから情報性の優位が失われていく過程で、「正義のサブスク」によって読者をつなぎとめようとする動きが加速しているのかもしれない

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