頭の上にミカンをのせる

もうマンガの感想だけでいい気がしてきた

CODOCのサブスクキャンセルのお願い

まずはじめに

今までサブスクで私の記事を読んでくださっていた皆さん、ありがとうございました。
みなさんのおかげで、記事の更新に張り合いが出て、頑張って記事を書き続けることができました。



7月からもCODOCを使うこと自体をやめるわけではないですが
少なくとも、「課金してくれている人がお金を払ったことに満足できるような内容を書く」ことをお約束できません。


さすがにこんなものに課金してはいけないよ、ということであらかじめこちらから告知しておきます。



6月以降はサブスクの更新はしないでください。よろしくお願いします。



今後について

事実上、tyoshikiブログは2025年6月でほぼ終了と思ってください。




7月からこのブログは


ダラダラとマンガとか読んだりアニメを見て感想を書いたり
あとは旅行とかやったらその記録を残していく私的な備忘録として使っていくつもりです。



更新を辞めるわけではありませんが
全体的に「他の人にとっては面白みがない、やる気のないブログ」になると思います。



もちろんそうやって読者が減っていくと

どこかではてなブログPROと月額サーバーの元が取れなくなると思います。

そうなったら、このブログはひっそりと

noteかなにかの無料ブログサービスに資産を移転して

そしてはてなブログからは消滅すると思います。




みなさん、ながらくお世話になりました。



今思えば、いつかこうなってしまうと、はじめから解っていたのだと思う。でも、もし駄目になってしまうとしても、その前にゴールに駆け込むことさえ出来れば、何も問題がないとたかをくくっていたんだ。

ゴールはまだ見えない。あの頃想像していたより、僕たちは長生きしすぎてしまったんだろう。

一時停止ボタンなんかどこにもなくて、力一杯全部を出し切った。その瞬間に都合良く存在が消えてなくなったりもしない。疲れ切ってしまって、戦う気力なんか全然なくなって、勇気とか希望とか自分を守ってくれるものが全部失われてしまって、映画だったら「終」とテロップが出るような場面を過ぎても、生活は続いてしまう。けして止まらない。そこからが本当に人間が生きるということなのだろうと、最近はそう思ったりもする。

ドラマが終わって、興奮から冷めて、何も心を守ってくれなくなって、これからはもっと大変な毎日が続くだろう。でも、どんなに苦しくても、心が死んだようになって、痛みも喜びも感じることが出来なくなってしまって、何をしても無意味に感じられて、もう駄目だと思っても、諦めないで、自分に耐えて、もう少しだけがんばって欲しい。

小さな頃に夢見ていたものは、まだ何も知らなかった時代のまぼろしなんかではなくて、いまでも見ることが出来るずっとそこにある変わらないものだった。辛くなるからって無理に忘れてしまわなくても良かったんだ。僕は気付くのが遅すぎた。必要なものを、自分で隠していたんだ。でも、こんな僕でも全てを失ったわけではなかった。

世界は残酷で恐ろしいものかもしれないけれど、とても美しい。

思えば、そんなこと、僕らは最初から知っていた筈なんだ。

時間が過ぎて、僕のことは忘れてしまっても構わないけれど、僕が今ここに書いている言葉のいくつかをときどき思い出してくれるなら、それより嬉しいことはない。

追伸。今までありがとう。

出来ることならば、誰も憎まないで生きてください。

https://plaza.rakuten.co.jp/kyokkei/diary/201001090000/





いろいろあって、燃え尽きました

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