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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「少女不十分」コミック版の感想というか自分語り

西尾維新の原作「少女不十分」を、「さんかれあ」のはっとりみつるがコミカライズしたもの。少女を徹底的に無表情に描つつ、ピンポイントで赤面させたり、呼吸を乱させたり、影を使って無表情の中にも感情を読み取らせたりと、ツボを押さえた描写がたまりませんね。すばらしいっす。



個人的にこの作品は西尾維新作品の中でも強く印象に残っている作品です。
というか、この印象が強すぎたというべきか。

それまではだいたいすべての西尾維新作品を読んできたのに、
この作品以降は西尾維新の作品を読まなくなり物語シリーズのアニメも見なくなってしまいました。
私にとってはそのくらい強い位置づけを持っています。




この作品は、

①とある事件をきっかけに、主人公がある少女の秘密を知ってしまう。
②その少女に一週間「監禁」される
③異常な少女とすごすうちに、彼女のことを少しずつ理解し、少しずつ通じ合う。
④主人公がとある事実に気づいたことで「監禁」という名の共同生活は破綻して強制終了する
⑤数年後……

というお話です。


ほとんど主人公の独白と、主人公と少女のやり取りだけで話が構成されています。




で、とにかくその少女の異常性が強調して描かれていきます。




彼女は他人である主人公から見たらどうみても異常な行為をしているように見える。
でも、本人の中では「とあるルール」にしたがっているだけなのだ。
彼女の中では世界はきわめて秩序だっている。

(この「ルール」に気づくと「あっ」という気分になります)




しかも、この「ルール」に気づいたら終わり、ではなく彼女の異常さはその先に描かれます。



もちろん秩序だってはいるけれど、その「ルール」には不備がありすぎる。
だから次第に現実に対応しきれなくなる。
それでも、少女はその「ルール」に鉄の意志をもって厳密に従おうとする。
自分の命が危機に瀕しても「ルール」から逸脱しようとしない。
普通ここまで来たら「ルール」を破棄したり、ルールに加筆・変更を加えるが彼女はそれをしないのだ。



ここの部分こそが、彼女の真の異常なのだが……という感じで話が展開する。

で、私彼女の描写みながらすごく苦しい気持ちになりました。





ここからどうでもいい自分語りです【読み飛ばし推奨】

なぜかというと、他人事とは思えないから。

彼女、すごく発達障害っぽいんだよね。 そして、その対処のやり方もよく似ている。

私は発達障害である。発達障害といってもいろんなパターンがあるのだけれど、私は自閉症寄りだ。

そのせいか、ほかの人がなんとなくわかる「してはいけないこと」「こうすれば相手が喜ぶ」みたいなことがわからないことがよくある。

だから、そういう失敗をするたびに、私はメモを取る。

「こういう時はこうするんだ」とか「こういう時はこういう受け答えをする」とか。

それを意識して繰り返してほかの人に似せてできるようにする。

だから私はすごく細かくいろんなルールを決めている。

私普段からブログであれこれ細かいルールについて言及するでしょ。

それは普段からそういうルールをあれこれと意識するからです。




ところが、当たり前だけれど。これ、状況や相手が変わると無駄になったりする。

そもそも、相手の気分次第とかで正解が変わったりする。

対人関係ってパラメーターが多すぎてメモでは対応できないんだよね。

にも拘わらず今までのメモの内容に固執するとまたそこですれ違いが生じる。

そうなると、上書きするか、別のパターンを用意するか、とか混乱が生じるわけです。

そういうのを延々と繰り返してるうちに、ある程度の基礎をベースにして、後はその場でリアルタイムで探りながら、今までに蓄積した一定の学習パターンに当てはめていくしかない、という感じになっていく。

多分普通の人も、みんな大なり小なり同じことをやってるんだと思うけれど、私はそれが自然にできないので、どうしても会話がぎこちないし、表面上はうまく話せていても、想定しないパターンが出て来たら急にフリーズしてしまったりする。アドリブや臨機応変みたいなものが求められるやりとりはほとんど不可能だ。

結果として理路整然としてなくてノリ重視の会話になると、ほとんど発言できない上に人の何倍も消耗してしまうし、会議のように多人数の人が好き勝手に発言する場にいると、思考がフリーズしてしまう。

(昔から、会議でずっと発言してない人が、眠らずにいられる理由が私には全くわからない)

環境の変化が嫌だし、大勢の人と話すのも苦手だ。

自分の気持ちを言葉にせずとも察してほしいと要求する女性のことが心底恐ろしかった。

ほかの人にできるいろんなことができないし、頑張ってやっても人よりへたくそにしかならない。

当然コミュニケーションについて自信を持つなんてことはできないし、下手にかかわろうとすると迷惑をかけるから拘わらないようにしようって引きこもってたら鬱になったりもした。

ネットにおける、文字によるコミュニケーションがなかったら窒息して死んでたかもしれない。



作品の話にもどると

そんな感じなので、むちゃくちゃ感情移入しながら読んでしまいました。

彼女が、主人公の些細なルール違反に激昂するところとか、結構わかる。

でも、当然私と彼女は別の人間で、彼女のほうが私よりさらに偏っていて、
私が彼女の立場だったらめちゃくちゃしんどいだろうなって部分で、彼女はそういう感情すらも押し殺してしまってるんですよね。

これがもう、見ててほんとにつらかった。

そして、そんな彼女に対して、主人公が語り掛ける最終部分。

僕がおとぎ話として彼女に語り始めたのは、桃太郎のように「正しくて強いものが勝つ」話ではなかった。

世間で語られるお話は、どれもこれも僕たちみたいな人間には冷たくて正しくあれ、強くあれ、清らかであれ、まっとうであれ、と語り掛けてくる。しかし今のUには、そんな教訓じみた、説教じみた話はとてもできない。

だから僕は物語を作った。即興で。それは例えば…

(中略)

とりとめもなく、ほとんど共通点のないそれらの話だったが、でも根底に漂うテーマは一つだった。

道を外れたやつらでも、間違ってしまい、社会から脱落してしまったやつらでも、ちゃんと……いや、ちゃんとではないかもしれないけれど、そこそこ楽しく面白おかしく生きていくことができるんだ……だから聞いてくれ。君の人生はとっくにめちゃくちゃだけど、まぁ…なにも幸せになっちゃいけないほどじゃやないんだよ